救助船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:01 UTC 版)
「イル・ド・フランス (客船)」の記事における「救助船」の解説
「イル・ド・フランス」には「大西洋のセント・バーナード」という異名もあった。これは同船が数多くの海上救難を行ったことに由来するもので、1932年に船客を見送りに来た民間機が同船付近で墜落したのを救助したのを皮切りに、1951年には機関室浸水で漂流していた英貨物船「チェズウィック」をエスコート、1953年には荒天で沈没した英貨物船「グリーンヴィル」の乗員26名中24名を救助、1958年にはスウェーデン客船「クングスホルム」で病気の船客に吸入させる酸素が不足したのに対して補給を行い、その2週間後にはオランダ貨物船「ソェスダイク」の乗員が虫垂炎になったのを引き取って、船客の外科医の執刀によって手術を行った。開腹したところ、既に虫垂穿孔から腹膜炎を来しており、本船で手術が行えなければ致命的になりうる状況であった。さらにその10日後には、リベリア船籍の貨物船から喘息の乗員を引き取り、船医が治療を行っている。 様々な救助実績のなかで最も有名なのが、1956年7月25日「アンドレア・ドーリア」遭難事件への対応である。この航海で専任船長休暇から代理の任にあったラウル・ド・ボーディアン男爵は復航ニューヨーク出帆からしばらくのち遭難信号の一報を受け無線室に追加情報の収集を命じたが「アンドレア・ドーリア」の応答は無く、追ってもう一方の事故当事者「m.v.ストックホルム」とのコンタクトで半信半疑のままただちに復路を中断し反転、救助活動に向かった。この事件では衝突の直接犠牲者を除き1660名の生存者が救助されたが、このうち、本船は754名(船客576名、乗員178名)を収容している。事故発生時「アンドレア・ドーリア」の船長以下乗組員は被害状況をすみやかに把握し整然と避難誘導を進め、また事故発生時の濃霧から救難作業中好転した気象条件と「アンドレア・ドーリア」の救難信号に応答した船舶6隻の密接な連携から、この事件は海難救助の好例の一つとされる。また巨大な「イル・ド・フランス」の存在は遭難者に安心感をもたらし、疲労や衰弱に対して熟練した救難介護経験が発揮された。この救助活動は世界中から賞賛を受け、その功績によって勇敢な船への授賞を受けている。非アメリカ船籍の船としては異例なことであった。
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