掃討作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 23:22 UTC 版)
4代目国王の指揮下で、軍と親衛隊は総勢6,000人の軍勢で、30の拠点にいた推定3,000人の過激派の攻撃した。2003年12月27日までに、反政府側の拠点30箇所が制圧された。さらに、ブータン軍は500個以上のAK-47/56アサルトライフルと、ロケットランチャーや迫撃砲を含む500種類の武器および100,000発以上の弾薬を押収し、対空機関砲も発見したとその戦果を発表した。 2004年1月3日までに、30箇所の拠点全て(ULFA-14、NDFB-11、KLO-5)に加え、35箇所の反政府過激派の観測所が破壊されたことで、過激派は撤退した。合計485人のULFA、NDFBおよびKLOの過激派が殺害或いは逮捕され、押収された武器および弾薬は、インド政府に引き渡された。拘束された反政府組織構成員のうち、非戦闘員はインド・アッサム当局に引き渡された。ブータン軍では11人が戦死、35人が負傷した。
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