廃藩後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 01:03 UTC 版)
重直の死後、子の重信が4300石を相続し、弟の近藤重興に700石を分知した。孫の政徳の代に幕府に願い出て若年寄支配・江戸定府となり、子孫は4300石の上級旗本として幕末まで存続した。知行所は当初、伊那谷の立石村に存在したが、寛政年間以降、山本村に移転した。領地は山本村、上穂村、大草村、小川村、立石村、小松原村、河内村、栗矢村、合原村、梅田村、鴨目村、恩沢村、大島村、大久保村、分知領は粒良脇村、北又村、大平村、下梅田村である。(いずれも現在の飯田市、下條村、阿智村、阿南町などの一部)。
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