婦女隊
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婦女隊(ふじょたい)は、会津戦争において、会津藩江戸詰勘定役中野平内[1]の長女、中野竹子らにより自発的に組織された女性だけの郷里防衛隊である。
- ^ 中野平内は照姫の祐筆を務めたことがあった。
- ^ 平石(1928)487頁
- ^ 平石(1928)492頁
- ^ 平石(1928)503頁
- ^ a b 平石(1928)505頁
- ^ a b c 石田明夫(会津古城研究会長) (2012年8月26日). “娘子軍の結成と八重”. 福島民友 2015年8月24日閲覧。
- ^ 会津戊辰戦史編纂会 1933, pp.566-567
- ^ 細川涼一「幕末の女性とペットとしての狆」『クロノス』29号、京都橘大学女性歴史文化研究所、2008年10月(細川『日本中世の社会と寺社』思文閣出版、2013年所収)
- ^ 平石(1928)492頁(水島菊子)
- ^ 会津藩の女性の最高位にあり、藩士子女全員の指導的地位にあった。
- ^ 平石(1928)493-495頁(水島)
- ^ 「柳橋」とも言う。
- ^ 指揮官は、有地品之允、原田良八、九鬼円之助(戦死)
- ^ 母のこう子または農兵が介錯したとする説もある。
- ^ 中野竹子の薙刀には「もののふの猛きこころにくらぶれば 数にも入らぬわが身ながらも」と辞世を記した短冊が結ばれていたという。「新説戦乱の日本史」
- ^ 平石(1928)498頁
- ^ 松邨賀太『開化期の若き啓蒙学者達』文芸社、2005年、138頁。ISBN 4835586166。
- ^ 名は蝶子とも言う。
- ^ 長女とも言うが、墓石には姉富子の名がある。
- ^ 二人とも復籍したので、養女だった頃に姉妹だったという意味。竹子と同じく薙刀の使い手。戦後、会津藩士戸田衛門と結婚して東京で没。
- ^ 名は吉とも言う。
- ^ 「新説戦乱の日本史」「少年輝く白虎隊」ほか。
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