大内青琥とは? わかりやすく解説

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大内青琥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 13:59 UTC 版)

大内 青琥(おおうち せいこ、1939年8月30日 - 2005年6月9日)は、日本の画家エッセイストである。本名は大内兆。祖父は仏教専門紙「明教新誌」発行で知られるジャーナリストの大内青巒、父は洋画家の大内青坡、伯父に彫刻家版画家仏師大内青圃(青坡の弟)、彫刻家の木村五郎(青坡、青圃の妹の夫)がいる。

経歴

1939年東京に生まれる。幼少時より父に師事し絵を学ぶも画業では生計は立たず、「三十数回」も転職をしたと自著『ヤップの島の物語』に記している。1979年に日本を出てミクロネシアを放浪。最終的にヤップ島のマープ島にあるベチヤル(バチエル)村にたどり着き、当時、村の酋長であったベルナルド・ガアヤンの家の居候となる(後に義子)。

大内はガアヤンに依頼され、ガアヤンが盟友のジョン・タマグヨロンとともに建造しようとしていた航海カヌーの建造工程の記録を依頼される。これを受諾した大内は、後に「ペサウ」と名付けられたこの船の建造記録を取り、また1986年6月から7月にかけて行われたヤップ島~小笠原父島間の航海にも同行した。

大内はペサウの航海を見届けてしばらくした後、帰国。2005年に病没。現在は多磨霊園で眠っている。またペサウは園田学園女子大学に保存されている。また大内がヤップ島滞在時に残した日記類は国立民族学博物館に「大内青琥アーカイブ」として収蔵され、2010年に公開された。

著書

  • 『ヤップの島の物語』朝日新聞社、1985年
  • 『おじいさんのはじめての航海』理論社、1989年
  • 『ののさま、ただいま』私家版、2006年

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