塩谷惟義とは? わかりやすく解説

塩谷惟義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 09:18 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
塩谷惟義
時代 鎌倉時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 弥次郎
官位 従五位下兵衛尉
氏族 塩谷氏
父母 父:塩谷惟広 
兄弟 惟守横田頼業室、某(次男)、惟義
惟縄
テンプレートを表示

塩谷 惟義(しおのや これよし、生没年不詳)は、鎌倉時代下野国塩谷郡武将

沿革

喜連川塩谷氏三代目当主。初代塩谷惟広の三男として生まれる。建保元年(1213年)、兄惟守和田合戦において討死すると、嗣子の無かった兄の跡を継いで喜連川塩谷氏の当主となる。伝わる事績はほとんど少ないが、兄惟守が和田義盛に呼応して謀反したため、喜連川塩谷氏は鎌倉での地位を失い、惟義の時代の喜連川塩谷氏は、衰退していったものと考えられている。但し、吾妻鏡によれば建長2年(1250年)3月1日には、閑院内裏造営の造営役を命じられており、謀反後も、それなりの地位を維持してはいたと考えられている。また、この時、惟義の名は「塩屋(塩谷)兵衛入道」となっており、出家している事から、この時には子の惟縄に家督を譲っていたものと考えられている。

惟義の没年は不明である。

参考資料

  • 『喜連川町史』




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「塩谷惟義」の関連用語

1
18% |||||

2
4% |||||

塩谷惟義のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



塩谷惟義のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの塩谷惟義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS