堤内健
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/27 00:26 UTC 版)
この存命人物の記事には、出典がまったくありません。 (2016年2月) |
2023年3月31日、DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKAにて | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
生年月日 | 1980年7月20日(44歳) |
身長 体重 | 184 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 ドラフト9巡目 |
初出場 | 2003年8月7日 |
最終出場 | 2003年8月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について |
堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、横浜DeNAベイスターズの打撃投手。
来歴・人物
宮崎日大高2年夏に甲子園に出場し、登板するも敗退。日大では、大野隆治とバッテリーを組み、同期の館山昌平がエースであった。東都大学リーグで通算45試合に登板し5勝11敗、防御率2.84。4年生秋の専修大戦で当時のリーグタイの1試合18奪三振を記録した。ドラフト9巡目で横浜ベイスターズに入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。
- 2003年
8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。
- 2004年
肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。
- 2005年
手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。
- 2007年
工藤公康の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に戦力外通告を受け現役を引退。
2008年からは、横浜の打撃投手を務める。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003 | 横浜 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 74 | 15.0 | 15 | 2 | 13 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 10 | 9 | 5.40 | 1.87 |
通算:1年 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 74 | 15.0 | 15 | 2 | 13 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 10 | 9 | 5.40 | 1.87 |
記録
- 初登板・初先発:2003年8月7日、対読売ジャイアンツ23回戦(東京ドーム)、4回2失点
- 初奪三振:同上、1回裏に鈴木尚広から見逃し三振
- 初勝利・初先発勝利:2003年8月16日、対広島東洋カープ17回戦(広島市民球場)、5回1失点
背番号
- 47 (2003年 - 2006年)
- 36 (2007年)
- 108 (2008年 - 2014年)
- 118 (2015年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 堤内健 - NPB.jp 日本野球機構
固有名詞の分類
- 堤内健のページへのリンク