南西戦線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/29 07:48 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search南西戦線(なんせいせんせん)
- 南西戦線 (ソ連軍) - 1941年から1943年の赤軍の戦線
- 南西戦線 (ロシア内戦) - 1920年の赤軍の戦線
![]() |
このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。 |
南西戦線(1941年6月~1942年7月)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/11 23:53 UTC 版)
「南西戦線 (ソ連軍)」の記事における「南西戦線(1941年6月~1942年7月)」の解説
最初の南西戦線は、1941年6月22日、キエフ特別軍管区(第5軍、第6軍、第12軍、第26軍)に基づき創設された。事後、第3軍、第9軍、第13軍、第21軍、第28軍、第37軍、第38軍、第40軍、第57軍、第61軍、第8航空軍が編入された。 1941年の国境会戦時、戦線部隊は、優勢なドイツ南方軍集団と交戦し、ドゥブノ、ルーツキー、ロヴノ郊外の戦車戦で敵に損害を与え、その前進を遅滞させた。7月中旬、キエフ郊外で敵を停止させ、7月後半~8月初め、南部戦線と協同で、右岸ウクライナのソ連軍を撃破しようとする敵の意図を破砕した。 1941年9月~10月、南西戦線は、クルスク、ハリコフ、イジュム東方まで退却した。12月、戦線右翼がエレツク作戦を行い、1942年1月、南部戦線と協同でバルヴェンコ・ロゾフ作戦を行い、100kmを前進し、北ドネツ右岸に橋頭堡を確保した。 1942年7月12日、同日付の最高司令部スタフカの命令に基づき、南西戦線は解散された。その配下の第9軍、第28軍、第29軍、第57軍は南部戦線に、第21軍と第8航空軍はスターリングラード戦線に移管された。
※この「南西戦線(1941年6月~1942年7月)」の解説は、「南西戦線 (ソ連軍)」の解説の一部です。
「南西戦線(1941年6月~1942年7月)」を含む「南西戦線 (ソ連軍)」の記事については、「南西戦線 (ソ連軍)」の概要を参照ください。
- 南西戦線のページへのリンク