伏原宣明とは? わかりやすく解説

伏原宣明

読み方ふしはら のぶはる

幕末公卿。父は宣武。本姓清原、字は愚休、号は亭。正二位となる。文久3年(1863)歿、74才。

伏原宣明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:01 UTC 版)

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伏原 宣明
時代 江戸時代後期
生誕 寛政2年4月1日1790年5月14日
死没 文久3年2月14日1863年4月1日
官位 正二位明経博士
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 伏原家
父母 父:伏原宣武
宣諭
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伏原 宣明(ふせはら のぶはる)は、江戸時代後期の公卿儒学者修理権大夫・伏原宣武の子。光格天皇(119代)、仁孝天皇(120代)、孝明天皇(121代)の三代にわたり朝廷に仕えた。官位正二位明経博士伏原家8代当主。

経歴

伏原家は代々儒学を持って朝廷に仕える公家舟橋家の分家筋にあたり、伏原家も儒学を家学とした。

寛政10年(1798年)に従五位下に叙爵。享和3年(1803年)、元服して従五位上・備前権介となる。文化3年(1806年)に主水正。文化4年(1807年)に正五位下。文化8年(1811年)、従四位下に昇叙し、少納言侍従となる。文化12年(1815年)に従四位上昇進。文政2年(1819年)には正四位下・明経博士に任じられた。文政6年(1823年)に従三位、文政10年(1827年)に正三位天保14年(1843年)に従二位安政元年(1854年)に正二位となる。子の宣諭が家督を継ぎ、孫の伏原宣足の代に伏原家は子爵に列した。

江戸時代後期の朝廷儒学者として幕末期から明治に活躍した多くの皇族や公家の子女たちに儒学を教えた。明治天皇岩倉具視も幼少期に宣明に師事している。宣明は堀河家の次男であった岩倉具視を「大器の人物」と見抜き、岩倉家への養子縁組を推薦したという。

系譜

脚注

  1. ^ 伏原宣足『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]



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