二段目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 10:05 UTC 版)
(伏見稲荷の段)義経は駿河と亀井の二人を連れて伏見稲荷までやってくる。そこへ静御前がようやく追いつき、自分もともに連れて行ってと義経に願う。義経一行は多武峰の寺に行くので女は連れてゆかぬほうがよいと駿河は進言する。弁慶も追い付いて現れる。だが義経は卿の君のことから扇でもって弁慶を散々に殴り、手討ちにしてくれると怒る。弁慶は、だからといって主君の命を狙う者をそのまま捨ておけようかと涙をはらはらと流し、静も弁慶を許すよう言葉を添えるので、義経も一人でも味方がほしい時節なので今回ばかりは許すというのだった。 しかし静については、義経との同道は許されなかった。義経一行は多武峰に向うのはやめ、摂津大物浦より船に乗って九州へ向うことにした。なればなおのこと女は供に出来ず、静は都にとどまるよう駿河たちはいう。静は泣きながら連れて行くよう義経に訴えるが、義経も心では静を哀れと思いつつも、次に会うまでの形見にせよと初音の鼓を静に与える。それでも静は義経にすがりつくので、致し方なく駿河は鼓の調べ緒でもって近くの枯れ木に静と鼓を縛りつけ、義経一行は立ち去る。 ひとり残され嘆き悲しむ静。そこに雑兵を率いて義経を捜しに来た土佐坊の家来逸見藤太が、静を見つける。藤太は思いもよらぬ幸運と喜び、鼓を奪い静を引っ立てようとするところへ、佐藤忠信が現れ藤太たちを討取った。義経一行も戻ってきて、忠信は義経と対面する。忠信は故郷出羽国にいる母親が病であると聞き、義経の許しを得て里帰りをしていたが、その病も本復したので都に戻る途中義経の危機を知り、ここへ駆けつけたのだという。義経は静を助けた功により、その褒美に「源九郎義経」の名と自分の鎧を忠信に与えた。忠信は涙を流して悦ぶ。義経一行は静と忠信を残して立ち去り、忠信は義経の命により静の身柄を預かることになる。 (渡海屋・大物浦の段)摂津大物浦の廻船業渡海屋に、鎌倉より義経探索に出張ってきた相模五郎という侍が手下を率いて訪れる。相模は九州に向うと噂される義経一行を追うため、先約のある船に自分たちを乗せろという。主の銀平はちょうど留守にしており、銀平の女房おりうが応対して断ろうとするが、相模は権柄づくな態度で船を譲れと迫り、ついには先約の者と直接話をつけてやると奥へ踏み込もうとする。そこへ銀平が戻り、なおも無理をいう相模を腕ずくで追い払った。 先約の客とは、実は九州に落ちて行こうとする義経一行であった。義経は鎌倉より追われる己が身の上を嘆くが、銀平は義経に味方すると言い、今の相模が再び来てはいけないから、一刻も早く用意した船で出発するように勧める。義経たちはその言葉に従い、蓑笠を着て渡海屋から立っていった。 だが、銀平とは実は合戦で討死したといわれる平知盛だった。その娘のお安というのも実は入水したはずの安徳天皇、女房のおりうは実は安徳帝の乳母典侍の局(すけのつぼね)である。銀平こと知盛は安徳帝を掲げ平家の再興を狙っており、まずはその手始めに自分のところに来た義経に返報せんとしていたのである。さきほど来た鎌倉武士の相模五郎というのも実は知盛の家来で、義経一行を信用させるためにわざと仕組んだ芝居であった。知盛は義経たちの目をくらませようと白装束に白糸威しの鎧を着て姿を幽霊にやつし、さらにこれも幽霊にやつした手勢を率い、海上の嵐に乗じて義経を葬ろうと出かけていく。 安徳帝と典侍の局は装束を改め、知盛からの知らせを待っていた。夜が更けて雨風も激しく吹き、陣太鼓が鳴り響く。そこへ相模五郎が駆けつけ、戦の様子について注進する。ところが義経たちは兼ねてから用意がしてあったのか、手勢を揃えて知盛たちに反撃し、味方は劣勢となって危うく見えると言って相模はふたたび戦へと戻っていった。この知らせに気遣わしく思う局は障子を開けて沖のほうを見ると、味方の船の灯りが次々と消えてゆく。さらに一味の入江丹蔵が手を負いながら現われ、味方はひとり残らず討死、知盛は行方知れずと注進し、持っていた刀を腹に突っ込みながら海へと入水した。義経への奇襲は失敗したのである。局は涙に暮れるが、やがて安徳帝とともに自害の覚悟を極め、大物浦の浜のかたへと向う。 浜へと来た典侍の局は、源氏から逃れるためこの海に入水することを安徳帝に言い聞かせる。すると幼い安徳帝は天照大神にこの世への暇乞いにと、伊勢のほうへ向かって手を合わせ、「いまぞ知る みもすそ川の 流れには 浪のそこにも 都ありとは」と詠む。局は嘆きつつも、意を決して安徳帝をしっかと抱き上げ海に身を投げようとした。そのとき、後ろから義経が局を抱きかかえ止める。義経は帝を小脇に抱え、局の手を無理に引いて渡海屋の中に入った。 かかるところへ知盛が、髪はおおわらわ体には矢を多く受けて負傷した姿で立ち帰り、よろぼいながら帝と局を呼ぶと、一間のうちより帝を抱え局を従えた義経が現われる。この家に逗留した時からそのあるじといいまた娘といい只者ではない、平家の落人であろうと察し、裏をかいて知盛の計略を退けたのである。だが安徳帝の身柄については決して悪いようにはしないと義経はいう。それでもなお義経に立ち向おうとする知盛に、武蔵坊弁慶が悪念を断ち切れとの意をこめた数珠をひらりと知盛の首にかけ、また帝が義経のことを仇に思うなと知盛に言葉をかけた。さらに典侍の局は持っていた懐剣で自害してしまったので、さすがの知盛もしばし言葉もなかった。 知盛は、はらはらと涙を流して語る。安徳帝が帝の身にありながら西海に漂い、平家の一門とともに戦の中で苦しんだのも、実は安徳帝は姫宮であり、それを知盛たちの父平清盛が外戚になりたい望みで以って男宮と偽り、皇位に就けたので天照大神の罰があたったのだと。そして知盛は帝を義経に託し、自らは船に乗って大物浦の海に出ると碇を担ぎ、身を投げて果てたのだった。
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