九州帝大総長
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海軍を追われた百武は、九州帝国大学から総長候補に指名される。これは工学部が新総長を学外の第一人者から招聘する意向を固め、海軍経験者の中から百武を選んだものであった。学習院長経験者である野村吉三郎大将から説得され、百武は総長選挙に立候補し、昭和20年(1945年)3月から11月まで総長を務めた。教官を敬わない学生の風紀を改めるべく海軍式の教育を普及させた。また、陸軍省と文部省が医学生の徴兵を猶予する協定を結んでいたにもかかわらず、医学生も根こそぎ動員していた西部軍に対して直談判し、徴兵された医学生を大学に復帰させた。
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