下流の河道変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 14:28 UTC 版)
ガンジスデルタの多くの大規模な河川は合流や分岐を繰り返し、複雑な水路のネットワークを形成している。二大河川であるガンジスとブラマプトラを中心に両河川の合流点以前にも以後にも大きな支流が分流し、また合流する。現在の水路網は、長い時間の中で常に変動していた。重要なものだけでも以下に示すような変動が起こっている。 12世紀後半まではガンジス川の本流はフーグリー川であり、ポッダ川は小さく細い支流にすぎなかった。ただしフーグリー川の流路も現代のフーグリー川ではなく、 アディ・ガンガー川(英語版)を通って海に注いでいた。 12世紀から16世紀の間には、フーグリー川とポッダ川にはほぼ均等に水が流れ込んでいた。16世紀以降、ポッダ川がフーグリー川に代わってガンジス川の本流となった。これはフーグリー川がシルトの堆積によって河道が高くなり、その結果本流が南東へと移ったためと考えられている。18世紀末には完全に、ポッダ川がガンジス川の本流となっていた。 この結果、ガンジスの本流とブラフマプトラ川およびメグナ川が合流するようになり、おおまかに現在の流路が成立した。それまではガンジス本流とブラフマプトラ川、そしてメグナ川は、それぞれ単独でベンガル湾へと注いでいた。ガンジス川とメグナ川の合流点は、約150年前に成立した。 また、18世紀の終わりごろ、ブラフマプトラ川下流のコースが劇的に変わり、ガンジス川も大きく変わった。1787年に北からポッダ川に注ぐ支流だったティースタ川(英語版)に大洪水が起こった。これによってティースタ川は東のブラフマプトラ川本流へと注ぎこむことになり、その結果ブラマプトラ本流は逆に西へと大きく遷り、ポッダ川へと合流するようになった。 この新しい本流はジャムナ川と呼ばれ、現在でもブラマプトラの本流となっている。この洪水以前のブラフマプトラの本流はマイメンシン市を通過しメグナ川と合流するもので、現在の本流より100kmほど東を走っているものだった。現在、この流路は旧ブラフマプトラ川(old Brahmaputra)と呼ばれており、いまだ大支流の一つとなっている。Langalbandhにある旧ブラフマプトラ川とメグナ川の合流点はいまだにヒンズー教徒の聖地となっている。合流点の近くにある、Wari-Bateshwar遺跡は、この地方の歴史初期の重要な遺跡である。
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