三上千那とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 芭蕉関係人名集 > 三上千那の意味・解説 

三上千那

みかみせんな

慶安3年(1650)~享保8年(1723)4月27日

三上千那

大津堅田本福寺11住職大津蕉門重鎮であった芭蕉の『野ざらし紀行』の旅の途次貞亨2年入門この頃、千那は未だ部屋住みの身であったが、それゆえに特に親しくなる。 しかし、千那は結局保守派で、やがて師の俳諧変化していくのに追随できず、確執生まれるようになる千那宛書簡3(元禄3年8月4日)参照

千那宛書簡1(貞亨2年5月12日)

千那宛書簡2(貞亨2年7月18日)

千那宛書簡3(元禄3年8月4日)

千那宛書簡4(元禄4年9月28日)

千那の代表作


三上千那

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 17:32 UTC 版)

三上 千那(みかみ せんな、慶安4年(1651年) - 享保8年4月17日1723年5月10日))は、江戸時代中期の俳人近江蕉門浄土真宗本願寺派の堅田本福寺11世住職、名は明式、葡萄坊・宮山子・千那堂官江などと号す。近江国の生まれ。


  1. ^ a b c d 「近江人物伝 P64葡萄坊千那」(弘文堂書店 1976年)
  2. ^ a b c d e 「近江の先覚 P167葡萄坊千那」(滋賀県教育界編 1951年)
  3. ^ a b c 「滋賀県百科事典 三上千那」(大和書房 1984年)


「三上千那」の続きの解説一覧


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「三上千那」の関連用語


2
14% |||||

3
14% |||||


5
12% |||||

6
12% |||||

7
10% |||||

8
2% |||||


三上千那のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三上千那のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
芭蕉DB芭蕉DB
Copyright (C) 2025 芭蕉DB All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三上千那 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS