ブラジル運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 08:10 UTC 版)
「ポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョ」の記事における「ブラジル運営」の解説
カルヴァーリョの商業政策はブラジルの農業生産の拡大と、生み出された富を貿易会社によって独占し、国王の支持者らに運営させる点に特色があった。そのためにポルトガルの利益を阻害するイギリス商人らを規制し、国税を納めなかったイエズス会の資産を没収した。イギリスはポルトガルの友好国であり、その経済活動への妨害は関係の悪化を危惧するところであったが、カルヴァーリョは規制前にイギリス商人らを調査し、政治的影響力の少ない小規模仲買人がほとんどと把握していた。ポルトガルはスペイン、フランス、オランダとの対立の中で、南米の利権をイギリスとの同盟で維持しているだけに、イギリスと明確に対立する政策については慎重だった。一方、イエズス会については当時からすでにイエズス会以外の聖職者から拝金主義を糾弾されており、宗教界全体の反発には繋がらなかった。カルヴァーリョはイエズス会から剥奪した財産をポルトガル商人に安価で提供し、新たなブルジョワジー層の育成を促した。しかし一方ではこの時に相次いで生まれたブラジルの大土地所有者が自立し、ブラジルの独立意識を高めていくことになる。 また、当時のブラジルではリンガ・ジェラールと呼ばれる、ポルトガル語と先住民語のクレオール語が一般的に使われていたが、カルヴァーリョはリンガ・ジェラールを禁止してポルトガル語化を進めたことも、特筆すべきことである。
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