ハレー彗星探査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 09:03 UTC 版)
「さきがけ (探査機)」および「すいせい」も参照 1970年代後半、1910年以来76年ぶりにハレー彗星が接近することを受け、開発中のM-3Sロケットの2倍以上の打ち上げ能力をもつ改良型ミューロケット(M-3S改I型ロケット、後のM-3SIIロケット)によるハレー彗星探査計画を秋葉鐐二郎が発表し、ハレー彗星探査の機運が高まることとなった。その影響でPLANET-A計画も当初の金星探査機からハレー彗星探査機に変更される。当初は金星フライバイも盛り込まれる予定であったが、ハレー彗星に目標を絞り、総重量120kgの探査機を2機打ち上げることになった。 東京大学宇宙航空研究所が文部省直轄の宇宙科学研究所に組み替えられたこと、また、ハレー彗星探査において関係宇宙機関が連携を密にすること(ハレー艦隊)を目的にIACGが発足されたこと等もこの計画を後押しすることになる。PLANET-A計画を実現するために、4つの大きな開発が行われた。日本初の深宇宙探査機となるMS-T5「さきがけ」及びPLANET-A「すいせい」の探査機本体、探査機を惑星間軌道に打ち上げるM-3SIIロケット、探査機と通信を確立するための臼田宇宙空間観測所の直径64mパラボラアンテナ、探査機をハレー彗星まで導く航法システム、以上の4項目がそれである。 さきがけとすいせいは特に大きな問題もなくハレー彗星探査を終え、磁場観測や紫外線によるコマの撮像、太陽風との相互作用の調査等の分野で大きな成果をもたらした。
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