イェスデイとは? わかりやすく解説

イェスデイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 10:15 UTC 版)

イェスデイモンゴル語: Yesüdei、生没年不詳)は、モンゴル帝国に仕えた武将で、チャガタイ家に仕えて陝西四川方面の進出に大きな功績を残したアンチュルの曾孫に当たる人物。『元史』では野峻台(yĕjùntái)と漢字表記される。

概要

イェスデイは枢密院・御史台など中央の官職を歴任した趙世延の長男として生まれ、父祖同様に陝西四川一帯で活躍して四川行省左右司郎中・西行台監察御史・河西廉訪使を経て黄州路総管に任じられていた[1]紅巾の乱の拡大によって湖広地方が陥落すると、イェスデイの優秀さを見込んで朝廷は四川行省参政に昇格し、平章のヨウジュとともに反乱を鎮圧するよう命じた。ヨウジュは軍5千の中から精鋭800を選抜して先鋒軍とし、この軍の指揮を委ねられたイェスデイは巴東県に拠る反乱軍を攻撃し、巴東県を奪還した。

また、この頃帰州峡州も反乱軍の占拠する所となっていたが、イェスデイは反乱軍を水上戦で破って壊滅状態に追い込み、遂に帰州・峡州も平定した。また軍を進めて枝江県松滋県を平定し、勝勢に乗じて江陵に進出した。反乱軍は清水門に陣を構えてイェスデイ軍を迎え撃ち、日が暮れると門の中に退却した。そこでイェスデイはヨウジュ軍の到着を待ったが、黎明に反乱軍は突如としてイェスデイ軍に奇襲をしかけてきた。しかし、ヨウジュはイェスデイ軍までわずか100歩の距離まで来たにも関わらず救援に向かわず、援軍のないまま反乱軍の投擲した槍に貫かれて遂にイェスデイは戦死した。

この最後が朝廷に伝えられると、その奮戦と国への忠義を讃えられて栄禄大夫、陝西行省平章政事・柱国の地位を与えられ、涼国公に追封された[2]。『元史』においてもその忠義を讃えられ、巻195列伝82忠義3に立伝されている[3]

オングト部アンチュル家

脚注

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  1. ^ 『元史』巻180列伝67趙世延伝,「趙世延、字子敬、其先雍古族人。……五子、達者三人野峻台、黄州路総管」
  2. ^ 松田1993,37頁
  3. ^ 『元史』巻195列伝82忠義3野峻台伝,「野峻台、其父世延、自有伝。由四川行省左右司郎中・西行台監察御史・河西廉訪使転黄州路総管。湖広既陥、朝廷察其材、陞四川行省参政、命与平章咬住討賊。咬住軍五千、及分鋭卒八百、使野峻台為前駆。賊方拠巴東県、攻抜之。是時、帰・峡等州皆為賊所守、野峻台破賊江上、斬溺無算、已而帰・峡平。又進抜枝江・松滋両県、乗勝趨江陵。賊出陣清水門、鏖戦至夕、賊退入城、乃拠其門、俟咬住軍至。黎明、賊出戦、三時頃、咬住軍止百歩外、不救、賊飛槍刺之、遂死。事聞、贈栄禄大夫・陝西行省平章政事・柱国、追封涼国公、諡忠壮」

参考文献

  • 松田孝一「チャガタイ家千戸の陝西南部駐屯軍団 (上)」『国際研究論叢: 大阪国際大学紀要』第7/8合併号、1992年
  • 松田孝一「チャガタイ家千戸の陝西南部駐屯軍団 (下)」『国際研究論叢: 大阪国際大学紀要』第7/8合併号、1993年
  • 元史』巻180列伝67
  • 『元史』巻195列伝82

イェスデイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 09:36 UTC 版)

趙世延」の記事における「イェスデイ」の解説

詳細は「イェスデイ」を参照 イェスデイは黄州路総管務めており、主に紅巾の乱討伐などに功績挙げた。しかし、その最中味方見殺しにされる形で戦死しており、その忠義を讃えて『元史』では巻195列伝82忠義伝3に立伝されている。

※この「イェスデイ」の解説は、「趙世延」の解説の一部です。
「イェスデイ」を含む「趙世延」の記事については、「趙世延」の概要を参照ください。

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