かつての配線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:42 UTC 版)
稚内駅として開業した当初は、現在地点よりも1 kmほど北に所在していた頭端駅であった。以下に1924年(大正13年)2月5日時点での配線図を示す。この時点では、浜頓別駅経由の後に天北線となる路線が宗谷本線であり、現在の宗谷本線である幌延駅経由の路線は未開通であった。幌延経由の路線の第一歩となる、天塩北線の稚内 - 兜沼間が開業したのは1924年6月25日のことであるが、この配線図では既に兜沼への線路も描かれている。 稚内駅1924年2月5日時点配線図 凡例 出典: 1928年(昭和3年)12月26日に稚内港駅まで延長されると、この駅は頭端駅であったためスイッチバック構造となった。稚内駅に到着した列車は、一旦本線上へ退行した後に再び前進して稚内港駅への線路へ進んでいた。南稚内駅へ改称された後の1941年(昭和16年)3月時点の配線図を示す。 南稚内駅1941年2月時点配線図 凡例 出典: 1952年(昭和27年)11月6日付けで南へ1 kmほど移転してスイッチバックを解消した。これにより駅は現在地となった。1975年3月時点での配線図を示す。この時点では側線がまだ多数残存しているが、その後の貨物輸送の廃止などに伴い多くは撤去されている。 南稚内駅1975年3月時点配線図 凡例 出典:
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