「アラブの春」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:41 UTC 版)
「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の記事における「「アラブの春」」の解説
イエメンでは2011年に大規模な反政府デモが発生した。同年2月にデモが拡大、3月に政権内から離反者が続出すると、事態は政権の制御がきかない事態に陥った。同時期にアル=カーイダ系組織が旧南イエメン地域で規模を拡大していたこともあり、4月下旬にサーレハ大統領はGCC(湾岸協力会議)に仲介を依頼し、それに応じてGCCはサーレハ大統領の退陣に関する合意文書を作成した。その内容は挙国一致内閣の成立から30日以内の大統領辞任とハーディー副大統領への権限移譲、60日以内の大統領選挙の実施、サーレハ大統領とその親族への訴追免除などであった。政府と野党勢力はこの調停案に合意したが、サーレハ大統領自身は4月末から5月下旬の三度にわたり調停案への署名を拒否した。この度重なる拒否には、GCCと調停案を作成することによって自身の退陣に道筋をつける姿勢をイエメン内外にアピールしつつ、政権の延命を模索する時間を稼ぐ意図があったと言われている。しかし結局サーレハ大統領は反政府デモに対して効果的な方策をとることはできず、同年11月にリヤドにて調停案に署名し、大統領を退くことが決まった。
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