清原達郎(きよはら・たつろう)氏(タワー投資顧問)の経歴・評判・伝説です。清原氏はヘッジファンドの運用責任者(マネージャー)として大成功した投資家です。個人資産800億円超。現在は引退。サラリーマンながら2005年の長者番付(高額納税者ランキング)1位。(参照元:インベストジャパン)
1959年 | 島根県松江市に生まれる |
1974年 4月 |
松江南高校(島根県立)入学 |
子供のころからよく面倒をみてくれた親戚の叔父が、癌(がん)と診断される。分子生物学を勉強し、癌の研究をすることを決意する。 | |
1977年 4月 |
東京大学(理科二類)入学 |
1979年ごろ | 東京大学の国際関係論学科に転籍。叔父のガン宣告が誤診だったと分かり、分子生物学への情熱は失せていた。 |
将来は大企業のサラリーマンとして出世するのでなく、株の世界で勝負して儲けることを志すようになる。 | |
1981年 3月 |
東京大学を卒業 |
1981年 4月 |
野村證券入社 海外投資顧問室に配属。金属・機械業界のアナリストとして活動。 |
後に孫正義氏にスカウトされてSBI創始者となる北尾吉孝氏が上司に就任。師弟関係を築く。 | |
1984年 | 米スタンフォード大学 大学院のMBAコースに入学 |
1986年 | 大学院を修了 |
1986年 | 野村證券ニューヨーク支店に配属。日本株の営業を担当。 |
アメリカ公認証券アナリスト資格(CFA)を取得 | |
米国のヘッジファンドに、日本株(転換社債)の裁定取引のための「貸株」の需要があることが分かり、取引を開始 | |
日本株のロング・ショート運用を行っていたヘッジファンド「タイガー・マネジメント」と取引を開始。タイガーから「年間最優秀セールスマン」に選ばれる。賞金5万ドル | |
1991年 | 野村証券退社 |
1991年 | ゴールドマン・サックス日本支店に入社。転換社債を担当。 |
モルガンスタンレー
財務戦略部長 |
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スパークス投資顧問 | |
1998年 4月 |
タワー投資顧問入社。運用部長に |
1998年 7月 |
タワー投資顧問の日本株ロング・ショート・ファンドの運用開始 |
2001年 9月 |
日本の上場REIT(リート/不動産投資信託)第一号となる「日本ビルファンド」(三井不動産系)IPO。公募段階で20億円相当という多めの注文を行う。2000万円程度の当選を見込んでいたが、予想に反し、全額当選となる。上場後、株価は急落するが、買い増しを続けた。後に巨額の利益を生み出した。 |
2001年 ごろ |
ゴールドマン・サックスから、杉原行洋氏をヘッドハンティング |
2005年 | 長者番付(2004年分の高額納税者ランキング)で第1位に |
2006年 1月 |
ライブドア・ショックの影響で、保有する小型株が暴落 |
2008年~09年 | リーマン・ショックでファンドが危機的な状況になり、自身の銀行口座の預金残高約30億円をファンドに投入する。(貯金残高が30億円というのも普通に凄いが、それを全額ファンドに突っ込むというのも凄い) |
2011年 11月11日 |
粉飾決算で上場廃止の危機に陥っていたオリンパスの株式の5%弱を取得(ドイツ証券経由)。少し利益が出たため、午前中のうちに全株を売却する。午後になると、再び5%を450円前後で購入。 |
2011年 12月 |
タワー投資顧問がオリンパス株の5.95%を保有していることが明らかになる。 |
2012年 1月 |
東証がオリンパスの上場維持を決定。株価が1200円まで上昇したところで、タワーは保有株をすべて売却。 |
2012年 | Googleマップの口コミ評価が最低レベルの人材派遣会社「UTグループ」(2146)の株式購入をスタート。当時の株価は250円。主力の製造業派遣に逆風が吹いており、割安になっていた。買い増しを続け、2012年12月には株式保有比率が5%を突破。2016年にも410円程度で買い増し、保有比率が16%まで上昇。2017年にすべてを売却。売却終了時点で株価3010円。100億円以上の利益を出す。 |
2015年 4月 |
「週刊現代」の特集記事に登場 |
2017年 | 喉頭がんの手術を受ける。声帯を切断 |
2017年 | 安川電機(6506)の空売りを開始。株価5500円でスタート。2018年から暴落を開始。4000円で手じまいし、巨額の利益を得る。 |
2017年 4月 |
タワー投資顧問が日本電子材料の5.41%の大株主になったことが判明 |
2018年 12月 |
タワー投資顧問によるハビックス(素材メーカー)の保有比率が5.11%に。 |
2020年 3月19日 |
コロナショックで相場が暴落したのを受けて、株を爆買い。 メガバンク株やREITが中心。午後2時~3時に集中的に買い注文を入れた。翌日からの3連休を挟み、週明けから相場が反転し、分厚い含み益を出す |
2021年 6月 |
フェイス(「着うた」関連の上場ゴール企業)の株主総会で、タワー投資顧問が創業社長の平澤創氏の再任に対して反対票を投じたと伝えられる。 |
2023年 6月 |
タワー投資顧問が、指月電機製作所の保有株式24.33%の大半を売却。保有比率1.23%に低下。 |
同上 | 日神グループHDの株主総会で、タワー投資顧問が株主提案 |
2023年 | 自らのファンドを解散。ヘッジファンド業務から引退する。タワー投資顧問の運用部長も退任。 |
2024年 3月 |
初の著書「わが投資術 市場は誰に微笑むか」を出版(Amazon→)
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参照元:著書「わが投資術 市場は誰に微笑むか」、インベストジャパンの資料など
清原達郎氏は、タワー投資顧問の運用部長。伝説の投資家。カリスマ・ファンドマネージャー。サラリーマンながら、2005年の長者番付(高額納税者)で1位になった。東京・兜町では「清原氏が買えば株上がる」との評判が広まった。投資対象となる企業の本業の力を見抜く眼力がピカイチと評価された。2023年までタワー投資顧問の運用部長を務めた。2024年に引退記念となる自叙伝を出版した。
清原氏は1981年、東京大学を卒業後して野村証券に新卒で入社した。 河端哲朗氏らの少し後の入社である。 野村を選んだ理由・目的は以下の2つだった。
入社後の配属先は「海外投資顧問室」だった。 外国人投資家に対して、日本株の銘柄の説明を行う部署だ。 インベストジャパンによると、過去に玉山和夫氏(パリバ投資顧問運用本部長)や三国陽夫氏(三国事務所)らを輩出した「知性派」の部署である。清原氏はここで企業・証券のアナリストになり、キャリアをスタートさせた。
入社間もなく、あの北尾吉孝氏が上司になった。 北尾氏は後に孫正義氏とSBIを創業し、ネット証券界の王座に君臨する大物である。 北尾氏はたいへん面倒見が良かったという。 著書「わが投資術 市場は誰に微笑むか」では、北尾氏を「永遠の上司」と仰いでいる。
野村在籍中にアメリカの名門スタンフォード大学に留学し、MBA(経営学修士号)を取得した。 その後、野村證券のニューヨーク視点に配属となる。 そこで、日本であまり知られていなかった「ヘッジファンド」との取引を行うようになる。
野村証券退社後は、ゴールドマン・サックスの日本法人の転換社債部長に就任する。 ニューヨーク支店での経験を生かし、日本企業の転換社債の裁定取引で活躍した。
その後は、モルガン・スタンレーの財務戦略部長になった。 運用担当(ファンド・マネージャー)のキャリア一筋だったわけではなく、アナリストやМ&A、ベンチャー投資など豊富な経験を積んでいったようだ。
1998年、タワー投資顧問に入社し、投資活動の責任者である運用部長に就いた。 タワー投資顧問は外資系ではない日本企業。 しかも、どこの金融グループにも属さない独立系の会社だ。 東京タワー(東京都港区)の足元に本拠を構えたころから、タワー投資顧問という名前が付いた。
投資顧問(運用会社)といえば、 従前から国内大手銀行・証券・生保の系列または欧米の有力外資系が幅を利かせていた。 こうしたなか、タワー投資顧問は日本国内の精鋭をそろえた。 新興勢力として異色の発展を遂げることになる。
タワー投資顧問は、トップダウンでなく、ボトムアップ型のリサーチを主眼に置いた。 ボトムアップとは、個別企業を調査・分析し、投資スタンスを決める手法だ。 一方、トップダウンとは、景気や金利動向などのマクロ経済の指標に基づいて運用方針を決める。 投資顧問の評判によると、タワーの清原氏は、企業訪問や経営者インタビューなどの現場調査(フィールド・ワーク)を徹底的に行い、優れた運用成績を出した。
清原氏が入社した後のタワー投資顧問では、「タワーK1Jファンド」が代表的な商品になった。 このファンド名の「K」は清原氏のK、「J」は日本を指すと言われる。 つまり、「清原達郎による日本株ファンドの第一号」ということだ。
運用開始の1999年4月からの6年間で、元本が6・4倍に膨らんだ。
清原氏は、タワー投資顧問で運用したファンドに、自らの個人的なお金を大量につぎこんだ。 ヘッジファンドの運用責任者が自己資金をファンドに投入することは珍しくない。 ただ、その程度には大きな差が出る。
清原氏の場合、金融資産の70%程度をファンドに入れた。 リーマンショックの時は、ほぼ全額がぶちこんだという。 清原氏によれば、運用責任者(ファンド)の自己資金の投入の度合いによって、 そのファンドがどれだけ本気であるかが分かるという。
それでは、清原氏の投資法には、どのような特徴があるのだろうか。 その要点は以下の通り。
(1) | 小型株に集中 |
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(2) | 空売りも組み合わせる |
(3) | 企業価値を調べて割安株を狙うバリュー投資 |
(4) | 他のヘッジファンドに比べて、保有期間が長い。 買い(ロング)ポジションだと平均5年。 空売り(ショート)だと平均2年。 |
清原氏の運用スタンスは「自分たちが信じる企業価値に比べて割安になっている銘柄を買い、割高な株を売る」というもの。つまり、バリュー投資である。アメリカの著名投資家ウォーレン・バフェット氏と同じだ。
ただし、バフェット氏は大型株を好む傾向がある。 これに対して、清原氏は小型株を積極的にポートフォリオに組み込むのが特徴だった。
清原氏は、「大型株」「中型株」「小型株」を以下のように区分けしている。
区分 | 定義 |
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大型株 | 時価総額3000億円以上 |
中型株 | 時価総額500~3000億円 |
小型株 | 時価総額500億円未満 |
一部の小型株に集中投資を行った結果、特定企業に対する保有比率が5%を超える事例が相次ぎ、 中には30%を超えたケースもあった。
帝国データバンク情報部の名物課長だった中森貴和氏は「真の企業価値を見極める力がすごい」と評価していた。 業界では『清原が買えば株価が上がる』といわれた。
また、現物株の売買だけでなく、空売り(ロング・ショート運用)も行った。要するに「ヘッジファンド」だったのだ。
2005年の長者番付(高額納税者)で第1位になった。納税額は約37億円。サラリーマンが番付トップになったのは史上初めてだった。推定年収は約100億円。
サラリーマンで長者番付の上位に入った人物としては、米ソロモン・ブラザーズの鉄人トレーダーだった明神茂氏が有名だった。清原氏は明神氏の再来であり、かつ、外資でなく日本の投資会社で巨額の報酬を得たという点で歴史に名を残す存在となった。
2005年を最後に、高額納税者ランキングは公表されなくなった。このため、翌年以降の清原氏の年収は明らかになっていない。