「ギルはジョブズにめちゃくちゃやられるだろうね。ギルの鼓膜は破れるよ。」とは、元Apple社員(匿名)がジョブズ復帰について米ニューヨーカー誌にコメントしたもの。このコメント通り、ジョブズはさっさとギル・アメリオを追い出し自身が暫定CEOに就任する。
ジョブズのコメント
「Appleを救うために必要なのはコスト削減ではない。必要なのはこの窮地に立たされた現状を革新することだ。」
ジョブズはDellのコンピューターのことを面白みのないただのベージュの箱と揶揄。マイケル・デルはこれに対して、自分がAppleの経営者なら株主にきちんと配当を渡す事ができるのに、と応戦。
ジョナサン・アイブが入社。
Appleのデザイン新時代の幕開け。
アイブ初のプロジェクト、DVDプレイヤー・TVチューナーのついた20周年記念Macintoshが発売される。
1998年ジョブズは多くのプロジェクトを中止させ、コンピュータだけに焦点をしぼる。
Eve Jobsが産まれる。
最初のiMacが誕生する。
1999年Pirates of Silicon Valleyが放映される。
ノア・ワイリーがジョブズを、アンソニー・マイケル・ホールがゲイツを演じている。映画のオープニングシーンはスーパーボウルのCM枠で放送されたCM「1984」のセット。
2000年ジョブズが正式にAppleCEOに就任。
PowerMac Cubeが発売される。
ジョブズは1984年に購入したJackling Houseに手をいれるのをやめて放置。
2001年Apple初の直営店がヴァージニア州 マクレーンにオープン。
iPodが発売される。
OS X 10.0が発売される。
2003年フルアルミボディのPower Mac G5が発売される。
アル・ゴアがAppleのボードメンバーに加わる。
ジョブスの膵臓に悪性の腫瘍があることが判明。治療可能な膵臓癌という稀な種であったため、ジョブズは9ヶ月間様々な薬物投与の治療を試すも、その結果は残念ながら芳しくなかった。
2004年7月、ジョブズは腫瘍摘出手術をうけ、療養のため1ヶ月の休暇にはいる。
この時、ジョブズはPowerBook(17インチ)を使い、病室からApple社員にメッセージを送っている。
「みんなに知らせなければならない個人的な話がある、そしてこれは自分から直接みんなの耳にいれたいと思う。この週末、私は膵臓から癌性腫瘍を摘出する手術を受けた。」
ジョブズはJackling Houseを取り壊してその土地に新しく家を建てる許可を得るも、地元の歴史的建造物の保護を訴える団体がこの決定に対して差し止めを要求する。
2005年x86インテルのハードウェアでOS Xを起動させるためのプロジェクト「スタートレック」が実を結び、AppleはMac内部にインテルを使用することを発表。よって、WindowsとMacは部品という面から見ると本質的には同じものになる。ソフトウェアとデザイン性のみが両者の相違点となる。
ジョブズのデザインへの注目(早い時期からそうであった)とNeXTで学んだハードよりソフトを重視するということが、今後のApple牽引に大きく役立っていくことになる。
Macの父とも言える、ジェフ・ラスキンが膵臓癌のため、地元カリフォルニアのPacificaで息をひきとる。
ジョブズ、50歳になる。iPod Nano、Video iPod、iPod Shuffleが発売される。
ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で式辞をのべる。
この式辞は大きく3つのパートで成り立っており、1つは、教育について。大学は中退したもの、なぜ自身は大学進学を選びそして何を学んだか。1つは、Appleへの情熱とその愛するAppleを失った経験について。そして最後の1つは、自身の癌体験と死について。
この動画や文章はオンラインで広く出回っている。ジョブズの第2Apple時代で、最もプライベートが垣間見えるものである。
2007年iPhoneが1月に発表され、6月に発売される。
Apple TVが発売される。
2008年Macbook Airが発売される。
ジョブズの痩せ過ぎを理由に健康面での噂が多く出回るようになる。
Psystarが400ドルのハッキントッシュを発表する。
ジョブズはKeynoteプレゼンテーションを(ジョブズ1人だけでなく)他のApple役員と共に行うようになる。
余談だが、この頃に米Gizmodoはジョブズは体調が悪く翌年春には一線から退くのではないかと噂していた。多くの大手メディア(特にCNBCの局長Jim Goldmanとウォーストリート・ジャーナルの記者)はこれを2009年の1月まで否定し続ける。
2009年ジョブズは療養のため1月から6月まで休暇をとることに。
この間、ジョブズがCEOのまま、ティム・クックが暫定業務を行うことになる。
ジョブズはJackling house建て壊しの許可を得て、サイズダウンした家を同敷地内に建てる。
ジョブズ、テネシー州で肝臓移植手術を受ける。
これに対して、ニューヨーク・タイムズ誌は、なぜジョブズはそんなに早く肝臓移植を受けることができたのか? と疑問を投げる。その問いに、病院側はジョブスの許可を得たうえで、ジョブズがレシピエントの中で最も病状がひどかったからだと回答している。
6月ジョブズはAppleに復帰する。その際のプレスリリースにはジョブズ自身のコメント入り。
本社で姿が見られる。
2010年ジョブズによるkeynoteのプレゼンテーションでこの年は幕をあけ、iPadが発表される。
Googleのスローガン「Don't be evil」を「クソくらえ」と揶揄する。
会社同士がライバルとなっていく中で、元ギーク友達のエリック・シュミットと敵対するようになる。その後2人がミーティングをしている姿が見られるが、やはり張りつめた空気が感じられる。
6月にiPhone 4を発表。
iPhone 4のデザインの欠点により、持ち方によって電波受信感度が悪くなるとう問題が発生。ジョブズはこれに対するユーザーからのメールに「そんな風に持つのを避ければいいだけだ。」と返信。
その後、iPhone 4のアンテナ問題に関するイベントを開きiPhone 4を擁護するも、ユーザーへの無料バンパー配布を発表。さらに、米ウォール・ストリート・ジャーナルのアンテナの開発にミスがあったとする記事に対して「クソくらえ」とコメントし、ニューヨーク・タイムズにたいしては「でっちあげだ」と訴える。この時に自身の健康状態に触れ良好だとコメントする。
Magic Trackpadが発売される。
ジョブズによるkeynoteプレゼンテーションで、Apple TV、iPod nano、iPod Touch、iPod Shuffleの新モデルが発表される。
22歳ジャーナリズム先攻の学生とメールのやりとりで「我々のゴールには、君が良い成績を取るための手伝いをすることは含まれていない。」と返信、最終的には「頼むから放っておいてくれ。」とコメント。
iPadの売り上げが初めてMacを超える。
ジョブズによって、OS X Lion、iLife' 11、MacBook Air新モデル(2種)が発表される。
Financial Timesがジョブズを今年の顔(Person of the Year)に選び、「アメリカでは人生に2幕目はない」というF・スコット・フィッツジェラルドのアフォリズムを完璧に反証したと評する。
2011年米Verizon社からもiPhone 4が登場。この発表会にジョブズ氏は不参加。
ジョブズからApple社員に、再び病気療養休暇にはいるという内容のメールが届く。ジョブズはCEOのまま重要な戦略決定等には関わり、ティム・クックが暫定業務を行うことになる。またこの療養休暇が肝臓移植や膵臓癌に関連したものかどうかは不明。
Apple社員に宛てたメールの中でジョブズが「私はAppleをとても愛している、できるだけ早く復帰したい。」とAppleへの想いを語っている。
先日病気療養休暇にはいると発表したばかりのジョブズ氏。今年で56歳なのですね。ゆっくり休んで1日でも早く復帰できることをギズモード一同願っております。「アメリカでは人生に2幕目はない」を反証したジョブズ氏。米Gizmodo Brian記者作のこのタイムラインがさらに長くなり、3幕も4幕も、これからもずっと我々を驚かせて楽しませてくれるといいですね。
そうこ(Brian Lam 米版)
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