最近、立て続けに何人かに
「どうして迷ったら人と違うことをすることにしたのか?」
「いつからそう思うようになったのか?」
「どうやったらそう思えるか?」
といったことを聞かれた。
「うーん、ずっと昔からそう思っていて、ごにょごにょごにょ・・・・」
と適当に答えていたのだが、正直なところ「なんでそんなこと聞くんだろう?」と疑問符で頭は一杯。私にとって「迷ったら人と違うことをする」というのはあまりに当たり前のことで、「なぜ?」と聞かれても答えようがなかったので。
「迷ったら人と違うことをする」というのは、本にも書いたし、メッセージとして日本のワカイ人に伝えたいなーと思っていることでもある。でもその伝えたい相手は
「ついつい人と違うことをしてしまうのだが、それではいけないのではないかと思い、自分を殺して世の中標準にあわせている人」
で、そういう人に
「人と違うことしても大丈夫。死んだりしない。安心して自分の好きな道を選んでください」
と言ってあげたいなぁというのが趣旨だったのでした。
で、ユメユメ「ついつい人と同じことをしてしまう人」が興味を持つとは思わなかったので、その方向からの質問に答える論旨がちゃんとできておらず。ゆえに、「ごにょごにょごにょ」となってしまうんですね。
しかし、私から見ると、(少なくとも日本に住んでいる限り)「人と同じことが自然にできる」というのは大変うらやましい人たちである。小さいころから、どうしてもそれができなくてどれだけ苦労したか。ついつい変なあさっての方向に一人で行ってしまう私。いや、もちろんやりたくて「変なこと」を選んでいるのだが、まぁ結果的に結構孤独にはなる。しかし、「人と同じこと」をするのは、私にとっては、窮屈で、とてもとても息苦しいことなのでヤムナシ。
そんなこんなで、
「どうやったら人と違うことをしたいと思えるようになるか?」
と聞かれても、そもそも、そういう質問をする時点で、質問主の人は「人と違うことをついついしてしまう変人」とは180度違うところにいるわけで、私がとっさに思いつくのは
「なんで無理して思いたいのかな?」
ということ。さらに、
「『ついつい人と違うことをしちゃう人間』と『人と同じことができる人間』は根本的に違うタイプゆえ、説明してもどうにもならないのでは」
とも思ったり。
・・・しかし、うーむ、どういうものであろうか、と週末に日本人の友達とランチをした際に聞いてみた。(こういうのは、文化的背景の違うアメリカ人に聞いても、あさっての方向の回答に至るので。)
そこにいた3人は
「わはは、そりゃ、人と違うことしちゃうのは当たり前だよねぇ」
という返答だったのだが、一人が
「でも、人と同じことをしたいタイプでも、無理して戦略的に人と違う方向に進んで自分を差別化して成功する人がいる。だから、それはそれであり。」
と。うーん、そうか。
確かに人と同じことをしている限り、
1.異常に体力があって、人並みはずれた時間をかけられる
2.異常に知力があって、人並みはずれた成果を出せる
のどちらかでないと成功しないが、人と違うことをし続けて自分のニッチを確立すれば、「マイフィールド」を築くことができる。
ついつい人と違うことをしてしまう人間は、結果としてそういうおいしい目にあいがちではある。
しかしなぁ、戦略的人生というと聞こえはいいが、もともと人と違うことをしたくない人が、あえて人と違うことをしていく、っていうのは結構つらいもんじゃないんですかねぇ?それとも、自己鍛錬を極めれば、火もまた涼し、という感じになるんでしょうか。。。。
いずれにしても、私に「どうやったら人と違うことをしたいと思えるか?」という質問はなるべくしないでくださいね。答えを持ってませんので。
言葉の定義が違うのかな、と思いました。
「迷ったら人と違うことをする」を、
「人と違う方を選びたいんだけどいいのかなぁ。。。」という意味で
千賀さんは書いてらっしゃるのかなと思います。
でも、質問している人は、
「どっちにしよう。。。」と悩んでいるか最中に、
全く新しい軸「人と違うかどうか」が出てきてびっくり、
何故かわからないから千賀さんに質問しよう、
という風になっているんではないでしょうか?
以上、推測ですが。
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>人と違うことしても大丈夫。死んだりしない。
違うことをすると死ぬ世界で生きている人は
そういった概念そのものがないので、
枠にはまる人生が普通なので、疑問に思うんだと思います。
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わたしもまずヒトと違うことをしようと思っちゃうので、なんでみんなおんなじことするの?といつもカンジてます。
困ったときでなくとも、右へ倣えばかりでは進歩ないじゃんと思うのですが、世の中そう思わない人、思ってもできない人のほうが多いようで、非常にしんどくなること多々ありです。
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わたしも「ついつい人と違うことをしてしまう」人間ですが、
おいしい目にあっているという実感はありません。苦労の方が
多い気がします。
でも確かに死んだりはしていませんね。(^_^;
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私も人と違うことをしてしまいます。
というか、違うことをしたくなって、
我慢できなくなると言った方が的確かもしれません。
同じことをしていると、すごく「ムズムズ」する感じが
します。
だから、日本の学校は本当に嫌でした。
その点、アメリカの学校は相当自由だったので、
私にはアメリカの方が合っているのかなと思いました。
別にどちらが良いとか悪いとかの話ではなく。
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[雑 談]違うことをするかしないかなんて考える奴がどうかしてる話
「迷ったら人と違うことをする」ということについて http://www.chikawatanabe.com/blog/2007/09/post-5.html 結果的に貴方がコンフォータブルな人生なら それでよかったじゃないですかと思うのは私だけ?(←死語? 以上あいさつ) 経済学的に(無理やり)言うと今の時代…
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難しいですね。自分も最近、人と違うことをしたいと思うことが多いです。でも、そう思わない人って自分なりのこだわりをあまり持ってない気がします。少なからずこだわりがあれば自然と人と違うことをしている気がするんですが違いますかね…。
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私の場合、気がついたら「人と違うことをしていた」というタイプで、「人と違うことをしよう」と思ってやっているわけではないので、チカさんのいうような「迷ったら人と違うこと」というのとは違うかもしれませんが、やっぱり人には色んなタイプの人がいるので、「人と同じことをすることが心地よい人」が無理に「人と違うこと」というのは大変なんではないかと思います・・・。
私なんかは、「どうして人と同じにできないんだろう・・・」としばらく悩んでいた時期があって、ある年上の方に「それでいいんだよ。人と同じにできない人もいるんだから。生まれもっての運命だから・・・」というようなことを言われ、少し肩の荷がおりました・・・。
と、話がずれましたが、チカさんの言う
「人と違うことしても大丈夫。死んだりしない。安心して自分の好きな道を選んでください」
というのは、私の心には届きました。
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ボクがまさにそういうタイプでした。
いつも人の動きを見ては、外れないように気を配っている子供。
無意識に行動すると、なぜかずれちゃうんですよね。
あれっと思い、みんなに気づかれないようにこっそり修正する。
そのドキドキはよく覚えています。
でもあるときに、なんだ、別に気にしなくていいんだ、
と思った瞬間、随分楽になりました。
確かに海外に滞在する経験が
そう思わせるきっかけになったような気もします。
しかし、人に合わせようと考えていたことが、
今の自分にとっては武器になっているようにも思います。
そのことによって物事を別の角度から
見ることができるんですね。
案外悪いことじゃないかもと、今は思います。
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「裸の王様」のお話みたいですね。見えるようで見えない現実と、なーんか逃れられない既成概念とか。
「やっぱり王様裸だよな・・・、でもやっぱり・・・」と自分がおかしいんじゃないかと悩んだら、やっぱり裸!って自分を信じる、っていうことですよね!?
すぱっといくあたり、なんだかすっきりしました。ありがとうございました。
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「人と違う斬新な発想が出来る」という話であれば、それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、状況によっては、困ったことになる場合があります。
チームで作業をしていてほとんどの人がルールに従って進めている時に、ルールに従わないで自己判断で勝手なことをする人が一人でもいると、他の人の迷惑や手戻りにつながって、全体の作業が大幅に遅れてしまうというのは、よくある話だと思います。
職業柄、若い人には「迷ったら、他の人がどのようにしているかをちゃんと見るように」とお説教してしまうことが少なくないです。
日本人的、なんでしょうか…
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何か問題が起きたとき、アメリカ人はいっせいに自分の考えを話し始める。日本人はとりあえず黙って顔を見合わせる。
こんな風な差を感じる事が多い。これ文化の差なんだと思う。
どっちがいいとは言えないのですが、日本的なやり方が多様性を受け入れる展開になれば、この国は強力になるような気がするのだが、どうもそういう風にはならない。
いずれにしろ、chikaさんのタイプは、アメリカのほうが居心地いいような気がします。私もですが。
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「どうやったら人と違うことをしたいと思えるようになるか?」
って重要な問いだと思います。
今ある自分を受け入れる事は重要だけど、それを決め打ちにしてしまうとすごくつまらない気がします。
無理が続いても、戦略的人生でいいんじゃないでしょうか。それこそ死ぬ事はない気がします。自分の性格というものに対する人生の戦略があった方が、色々出来て楽しいかなっと思います。
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小1の娘達とNHK教育「風の少女エミリー」を観ているのですが,
番組終わりの曲「風のそらみみ」の一節がスキです。
「心で旅をしながら 思い描く未来が
白い紙の外に はみ出してる
それも私よ」
ヒトと違うものをいつも選ぶ=自由だけど規定外特有の生きにくさ
を生きてきた私は,この部分を聞くたびに泣けそうになります。
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おそらく、人と違うこと(常識にとらわれない選択)を選ぶ方が、
その時の自分にとって心地良いとか、後々ブレイクスルーになるとか、
そういった感覚なのではないでしょうか・・・!?
つい先日、課長からお前の考えは分からん、と言われたのですが、
「プロジェクトマネージャーは自分なのだし、
結果を出しているのだから放っておけよ」というのがこちらの本音だったのですが、
それは乱暴だと思い「思考している軸が違うのだと思います」と返しました。
が、それはそれで、反感を買ってしまったようで・・・。
いずれにしても、そもそも考え方が違うということを責められるいわれは全く無いはずなのですが・・・。
なんか昔の小学校の先生とかを思い出しました。
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世の中の人間を、
1、人と違うことをしたくないが、人と違うことをしてしまう。(生まれつきodd ballの天然系)
2、人と同じことをしたくて、人と同じことをしている
という2種類にわけようとしているので、なんだか切れ味が悪いのではないでしょうか。
3、人と違うことをしたくて、人と違うことをしている
4、人と同じことをしたくないが、人と同じことをしてしまう
3の中には、別に魂の衝動なんかじゃなくて、成功するためにarbitrageを意識的にやっている人もいるんだと思います。であれば、4なんだけれども方法論さえわかれば3に行ける人もいるのではないんでしょうかねえ。
ちなみに私は「人と違うか同じかはどうでもよくて、自分が楽しいことがしたい」というエゴイストですな。
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わたしは人と違うことをするタイプですが、ある時「人と違うことをする人」とは「違うことをする」と思い立ちまして、結果、人と同じことをする側になり、10年くらいたちました。
もちろん失うものもありますし、得るものもあり今そこそこ幸せではあるのですが、そろそろ自然に?人と違うことをしよう、というより好きなことをマイペースにはじめようかと思います。
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chikaさんこんにちは。
「人と違うことしても大丈夫。死んだりしない。安心して自分の好きな道を選んでください」
死なないのはわかっているし、捨てる神あれば拾う神ありなことも分かっているのですが、死ななければよい・誰かが拾ってくれればそれで満足というわけでもなく。
人と違う好きな道を好きなように選んだ上で、人からいじわるされたりせず、あまつさえ理解さえしてもらおうというというのは望みすぎ・欲張りなんでしょうか。
ということが解決できないので、私はやはり安心して、人と違ってもいい・自分の好きなことをやればいいんだと思い切ることはできません。
Chikaさんの著作も読みましたが、「大丈夫」というメッセージは受け取れなかったので、なにがどう、なぜ大丈夫なのか、簡単でいいのでChikaさんのお考えが知れれば嬉しいです。
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chikaです。
人から理解されなくても死んだりしない、大丈夫、っていうメッセージなんですけど・・・・(笑)いいじゃないですか、ほとんどの人に理解されなくても。
あとは、そうはいっても、自分が受け入れてもらいやすい場所=自分にあった場所、楽な場所、に自ら移っていくしかないんじゃないでしょうか?他人を変える事は出来ないので。
・・とはいいつつ、あの本に書いた以上のメッセージは私には出せないので、「私のメッセージが自分にむいていない」ということで諦めていただくしかないと思います。すみません。
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「人と違うことをする」で検索してやってきました。
自分と同じ考えをしている方がいて驚きました。
ただ、千賀さんにあって僕にないもの、それは、
情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ
そしてなによりも、速さが足りないと感じました。
結果、僕は近々ハローワークへ行くことになりそうです・・・。
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