あなたにはお父さんとお母さんの血が一滴も流れていませんーー。46歳での突然の宣告。この日を境に、自分の存在が揺らぎ始めた。それから約20年、自身のルーツを探し求めているが、行政の不作為に阻まれ続けている。
「氷山の一角だと思っています」。出産時に別の赤ちゃんと取り違えられた男性は、表面化していない当事者が他にもいるのではないかとの疑念を強めている。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●誕生日は1958年4月10日“前後”
「本当の親が誰なのか、人として知りたいと思うのは当たり前だと思います。それを加害者側である東京都が何もしないのは違うのではないでしょうか」
そう疑問を投げかけるのは、東京都足立区に住む江蔵智(えぐら・さとし)さん(66)。
1958(昭和33)年4月10日に東京都墨田区の都立墨田産院で生まれたとされている。「されている」と表現するのは、本当の誕生日が今もわからないからだ。
江蔵さんは両親と3歳下の弟の4人家族で育った。小学生の時、親戚が集まる場で「父と母のどちらにも顔が似ていない」と言われたことがあったが、まさか生みの親が別にいるなどとは考えもしなかった。
母と写真に収まる幼少期の江蔵さん(江蔵さん提供)
●両親の血液型と違い、“遺伝子変化”と思い込む
社会人として独り立ちし、39歳となっていた1997年10月ごろ、体を崩して入院した母親が初めて血液検査をすることになった。
江蔵さんはA型、父はO型だったため、ずっと母はA型だと思っていた。だが、検査の結果はB型。「これはどうしたもんか」。江蔵さんは不思議に思った。
そして、考えられる可能性として確認しておかずにはいられなかった「親の浮気」について尋ねると、母は「そんなことあるはずない」と悔し涙を流したという。
江蔵さんは、当時の新聞記事で「遺伝子の変化で親とは違う血液型の子どもが生まれることがある」という内容の記事を読んだことから、「きっと自分も遺伝子変化というものに当てはまったのだろう」と思い込んだ。
「本当の親が誰なのか、人として知りたいと思うのは当たり前だと思います」と話す江蔵さん
●DNA鑑定で判明「頭を殴られた気分」
それからさらに7年が経った2004年5月のことだった。体調不良で病院にかかったことをきっかけに、当時住んでいた福岡にある九州大学の法医学の先生と知り合った。
両親との血液型の違いを知ったその先生から「調べさせてほしい」と言われ、家族みんなのDNAを鑑定してもらうことに。
結果は2週間後に出た。「電話で話すことではありません」と伝えられ、大学の研究室に向かった。
そして告げられたのが、冒頭にも書いた「あなたにはお父さんとお母さんの血は一滴も流れていません」という思わぬ言葉だった。
「頭を殴られたような気分で真っ白になりました」
父と写真に収まる幼少期の江蔵さん(江蔵さん提供)
●「人の手による取り違えなら許されない」
江蔵さんはすぐに上京し、結果を両親に伝えた。すると母は、出産直後に病院のスタッフが赤ちゃんを雑に抱えているのを注意して、その時に病院側と少しトラブルになったことがあったという話を思い出して語った。
そして、「その後、おっぱいのあげ方やおしめの替え方などをスタッフから教えてもらえなくなった」と振り返った。
「故意に人の手による赤ちゃんの取り違えだったとしたら許されない」。江蔵さんの中で真相を知りたい気持ちが強まった。
「頭を殴られたような気分で真っ白になりました」。両親と血がつながっていないことを知らされた時のことをそう振り返る江蔵さん
●取り違えに気づかない当事者もいる可能性
そもそも江蔵さんのケースが明らかになったのは偶然が影響している。両親と本人の3人がともに血液型が違っていたからこそ、出自に疑問を持つことができ、それが結果的に赤ちゃんの取り違えを認定されることにつながった。
逆にもし母親がA型やAB型だった場合、江蔵さんは今も、何も知らないまま生活している可能性が高いのだ。
厚生労働省の統計によると、江蔵さんが生まれたとされる1958年の出生数は約165万人。令和となった今のほぼ2倍の数の子どもが生まれていた。
江蔵さんが母親から聞いた話によると、生まれた1958年当時、産院の中は赤ちゃんでごった返していたという。
江蔵さんが自身のルーツを調べる中で出会ったある女性は、1961年に女の子を出産した時、子どもに沐浴をしてくれた産院のスタッフが男の子を連れ戻してきたため、「私が産んだのは女の子です」と伝え、我が子が帰ってきたことを話してくれたという。
こうした当時の社会的な状況を踏まえて、江蔵さんは「私のような人間は氷山の一角だと思っています」と話す。
それはつまり、生みの親と育ての親が違うことを知らないまま生きている人が他にもいる可能性を示している。
子どもの時の自身の写真について説明する江蔵さん
●東京都は調査せず「賠償金を払う以外にできることない」
取り違えが発覚したのが都立の産院だったため、江蔵さんは最初、東京都に問い合わせたが、「作り話ではないか」と一蹴された。戸籍を扱う役所の担当者に尋ねても相手にしてもらえなかったという。
そこで2004年10月、自身が生まれた際に別の親の元に生まれた赤ちゃんと取り違えられたことについて東京都に損害賠償を求めて提訴。東京地裁、東京高裁ともに取り違えがあった事実が認定された。
これでやっと本当の親を探してもらえる。そう思ったのもつかの間だった。当時の石原慎太郎・東京都知事は「賠償金を支払う以外にできることはない」と述べ、行政として調査することを放棄した。
「当初は石原知事が協力すると言っていたのを信じていましたが、手のひらを返されてしまった。東京都は法律がないのでやれることがないと言いますが、私が望んでいるのは、区に保管されている戸籍受付帳を都が入手して私の誕生日とされている4月10日の前後の方を調べてもらうことです。加害者側である東京都が被害者救済として取り組むのは当たり前だと思います」
江蔵さんは、生まれてすぐに別の子どもと取り違えられるケースは他にもあるのではないかと考えているという
●「自分が何者かを知るのは最も基本的な権利」
江蔵さんは墨田区に情報公開請求をするなど独自に調査もしてきたが、開示された資料のほとんどは黒塗り。東京都に粘り強く要望しても「もう片方の家族のプライバシーの問題もある」と取り付く島もなかった。
そこで2021年11月、次なる突破口として、東京都に調査する義務があることを確認する訴訟を起こした。
現在、東京地裁で審理が続いており、江蔵さんは次のような意見を陳述した。
「自分という存在が、一体どのようなご先祖様の歴史を経て生まれてきたのか、父親や母親にはどのような想いで生んでいただいたのか、自分の本当の名前は何なのか、何一つわかりません」
「現状は、真実の両親と私、育ての母親と取り違えられたもう片方の子、それぞれの家族が引き裂かれている状態です。真実の家族が一つとなることができるよう救済してください」
「自分が一体何者なのかを知る権利は、人間であれば誰にとっても、最も基本的な権利だと私は思います」
江蔵さんと代理人弁護士は、社会問題の解決を目指す公共訴訟の支援に特化した「CALL4」で裁判への支援を呼びかけている
●92歳になった母親、残された時間に限り
「私が生んだ子どもの顔だけでもみたい」と話していたという江蔵さんの母は92歳になった。認知症の症状が進んで、歩行することが難しくなっており、「とにかく残された時間は限られています」(江蔵さん)。
「これまでの人生を取り戻そうと思っても取り戻せないのが非常に悔しい。昭和33年4月10日前後に墨田産院で生まれた人で、血液型が0型かB型の人がいれば、どうか情報をください」
江蔵さんの次の裁判期日は2025年1月20日午後1時から東京地裁724号法廷であり、本人や専門家への尋問が実施される予定という。
情報提供は、江蔵さんの代理人を務める海渡雄一弁護士と小川隆太郎弁護士の以下の事務所へ。
・「東京共同法律事務所」(東京都新宿区新宿1−15−9さわだビル5階) ・電 話:03−3341−3133 ・ファックス:03−3355−0445