「日本人と親しくなるのってどうしてこんなに大変なんだ?」 [海外掲示板]
redditから
earnjapanese101
日本に来て数ヶ月が経ったが、俺はここで出会う多くの日本人と交わす「嘘」のコミュニケーションに頭が真っ白になってる。今までアメリカ、タイ、韓国、南アメリカと住んで来たが、こんなのは経験した試しがない。
俺の目の前で起こっていることを語っていこう。まず、俺はバー、レストラン、ショップやらでその人々に出会う。そしてそこで世間話になるわけだ(俺が話しかけることもあれば、向こうから話しかけてくることもある)。時々、この中で俺は彼らと連絡先を交換する機会を得る。そして次回に飲みに行こう・食べに行こう、と俺から提案したり、彼らが誘ってくれたりするわけだが、最後に俺が結局それがいつ頃になるのか(数日後なのか数週間後なのか)についてメッセージを送っても、彼らは一向に返信してくれない。最も奇妙な点は、多くの人が俺のフェイスブックにフレンド申請をしてくれたりするにも関わらず、メッセージを送ろうが返答がない。返信をくれたとしても、これで終わりにしましょう、みたいなそっけないものだ。
女の子が偽のメールアドレスを渡してきたこともあったな。マジでくそったれだ。そんなことされたら、まるで俺が殺人鬼か強姦魔に見えていて、それから逃げるために彼女が取り繕ったように感じる。数週間も経つと、俺は彼らに連絡先を聞こうだなんて一切考えなくなった。ただ彼らが聞いてくるのを待つだけだ。もちろん、今もそんな状態が続いてる。俺からメッセージを送るときも、「この間はどうも、また今度飲みに行きましょう」みたいに短くてお決まりの文章を使うようになってしまったよ。
俺は二十年代半ばの男だ。だけど、ここまで人と接するのに苦痛を感じたことはない。俺は何か間違ったことをしでかしてしまってるんだ。そうなんだよな?
MarcusMinuciusFelix
日本はHigh contextな文化を持っている。これが意味するのは、彼らの会話中の発言が、その言葉通りの意味を持つことが少ないということだ。このことは、日本人が名誉と恥を重んじるという事実にも繋がるだろう。
仮に、今私がノブという人物と出会ったとする。彼は率直に言ってしまえば、他の大多数の日本人と同様に、会話中に彼自身の本心を表には出さない人物だ。しかしながら、彼の視点に立ってこの会話を注視すれば、次第にこの会話の意味を理解できる。
ノブは、ジョンという西欧人に始めて出会った。彼はとても忙しい日々を過ごしており、しかし自身の英語能力には多少自信があった。ジョンはノブに、多くの単純な会話がそうであるように彼の趣味や好きな音楽について尋ねるだろう。ジョンはそこで突然、一緒にコンサートを見に行かないかと誘う。ノブはジョンがとてもストレートな男だと驚くだろう。しかし実際の所、そのコンサートがまさに彼の趣味に合致していたとしても、ノブはジョンとの交友にこれ以上興味があるわけではない。とはいえ、一方でジョンの面目を保ちたいとも考えている。……ノブはぎこちなく笑い、コンサートに行くと伝えた。しかし、その場に居合わせた他の日本人たちは、それが彼の本心でないことに気づいている。ノブが、ジョンのメンツを気にしたことを知っている。人前で、君とはコンサートに行けない、と言うのは彼に恥をかかすことになるだろうとノブは考えたんだ。
ついにそのコンサートの日が来たが、既にノブの方はコンサートのこともジョンのことについても忘れ、彼の本当の趣味であるハイキングと、蝶の採集に忙しくしていた。ノブがコンサートにこなかったという事実は、ジョンの誘いに対する、彼の本当の返答だった。
まとめると、“いくつかの国の文化では、「はい」は「いいえ」を意味する。実際、日本では「いいえ」という解答の代わりにこれを用いることは礼儀だと考えられている”
女性が偽の電話番号や偽のアドレスを持っていたというのも、これに準ずるんじゃないかな。
PriestmanX
このノブとジョンの話はあまりに奇妙に思える……。
MarcusMinuciusFelix
これは創作だけど、実際の出来事をモデルにもしてるよ。東大に通う生徒と、一時間ほど彼の趣味である蝶々集めについて会話したことがあるんだ。人生で、もっとも気まずい時間だったね(彼は蝶々集めにあまりに熱中している様子で、どこか狂気じみてもいた。会話中、私は始終「こんな男がいるはずがない!」と自分に言い聞かせていたよ。多分、彼に騙されたんじゃないかと思ってる)。彼と蝶々の収集に行く機会を逸してからは、一度も彼とは会ってないな。
earnjapanese101
Troll level: Nobu
Pathological_RJ
この手のコミュニケーションの相違は、アメリカの北部と南部の間にも少なからず残ってる。最近僕はバージニアからニューヨークに越したけど、少しショックを受けたからね。南部の人々は常に失礼になりすぎないように気を使って、何かしらの招待を直接的に断ったりすることはあまりない。南部の人たちも来るとだけ言って、実際には現れないわけだ。バージニアで北東部の人(ニューヨークやニュージャー出身など)と出会った時は、彼らはこんな礼儀は不快に感じたみたいだ。特に興味がなければ、「消えろ!」みたいなきつい言い方であしらってた。北部(北東部)の会話は、直接的だと思う。
では、アメリカ南部と日本との違いを考えると、それは多分他人の名誉を気にするかどうかだと思うな。南部の人間は別に他人の面目を気にしているわけじゃなく、自身が無礼に見えないように気を使っている、って感じだ。
marktully
これはまさに、アメリカ南部で見られる超叙想法的表現のそれだな。
「ようノブ! コンサートに来ないか?」
「うーん、多分行けると思うよ……」
こうしてヤンキーたちは俺たちが文明人でないと決め付けていく。
CmndrSalamander
それより、どうやって彼らにちゃんと「はい」と言わせるかを教えてくれよ。
MarcusMinuciusFelix
自分のコメントにもう少し付け加えておく。日本における親密な交友関係っていうのは、彼らが所属するグループにおいて形成されやすい。
日本は、独特な集産主義とも言える文化を持っている。彼ら個人であるよりも、グループの中の一人として身を置きがちだ。時には個人のアイデンティティさえ、グループの意思として捧げられる。
彼らは、家族・隣人・クラスメート・同僚、あるいは趣味や興味を共有できる者たちと共にその絆を強固にしていくという傾向がある。日本の若者にとって、クラブ活動というのが重要なものだというのもこれから来るものだと思う。彼らが生涯を通して語る交友というものは、そうやって活動の中で共に過ごして来たという時間と、互いに分かち合った経験がからくるものになるだろう。
Geert Hofstedeは、5つの観点からその国の文化について調査したIBMのデータを元に、分析を行なっている。「個人主義度」(集産主義とは対照的なものとして)としたスコアでは、アメリカが91ポイントである一方で日本は46ポイントとなっている。(What about Japan?)
(注:引用先では、日本ではグループの強調性が個人の感情より優先されやすいことや、恥や礼を失することに強く感情を抱きやすいことがスコアの低さに関係していると考察されている)
単純にアドバイスするなら、君がもし日本人との交友を深めたいというなら、趣味を覚えろ。町内会に参加しろ。料理教室に入れ。とにかく、何かしらのグループに参加するんだ。
9kinds
>彼らは、家族・隣人・クラスメート・同僚、あるいは趣味や興味を共有できる者たちと共にその絆を強固にしていくという傾向がある。
西欧人は逆に、見知らぬ人としかもなんの関心も共有できないような奴らとでも交友を深めていけるっていうのか?
MarcusMinuciusFelix
いい指摘だ。けれど、文化というものについて語るときの一つの問題は、(物ごと・考え方についての)一般化を進めてしまうという点だ。不幸なことに、文化について学ぶとこの問題はついてまわる。だから僕の上のコメントと共に、今一度考えてみて欲しい。今僕が話しているのは、その文化の傾向についてだ。もちろんどんな文化環境においても、個人一人ひとりを見れば、その傾向に背く者たちもいるだろう。傾向の強弱が個人によって異なるなんていうのは世界共通だしね。
日本人については、これらの場所・活動によって最も強固な交友が得られ“やすい傾向にある”と言っているだけで、西欧人がそうでないと断言しているわけではない。アメリカのように全く見知らぬ人と交友を築けるような機会が、日本では生まれにくいということなんだ。
ukatama
“一夜限りの交友現象”に出会ってしまったようだな。例えばバーに行き、酒を飲み、酔っ払う。そうなると、全く見知らぬ相手にだって話し掛けてしまいそうな大胆な気分になるだろ? 酔っ払っていると気分がよくなって笑い合うようになる。
そして家に帰ってからしらふになり、気づく。自分が全く知らない人物(向こうだって君が誰かなんて知らない)とコンタクトを取ったことをね。彼らがメールを送って来ると、君は「クソ! 一体俺は何について話してたんだ? 全くこの男のことなんて知らないじゃないか」という気分になる。結局君はこのメールについて無視を決め込んだ。
日本の人々は、互いによく知っている関係であるということに非常に安心感を持つ。だからこんな出来事に君が出くわしたとしても、彼らに悪気があったわけじゃない。もちろんこれは全ての個人について言っているわけではないし、この法則から外れる者もいるだろう。ただ、頭には留めておいてほしい。
そしてフェイスブックの件。まあ、人によっては「交友」をコレクションしたがる者もいるんだ。あまり深く考えるな。
learnjapanese101
少し前に、焼き鳥屋に行ったんだよ。そこは俺と同じ位の年の日本人で溢れかえっていた。……結局、俺は4時間ほどもその店にいた。彼らと話し、そして酷く酔っ払った。彼らは俺に酒や食べ物をおごってくれて、ここでの経験は日本生活で最高のものとなった。叶うのなら、あの週末の日に戻りたいとさえ感じる。もしもの話なんだけど、俺がまたあの店に行き、彼らとまた出会う。そしたら、彼らはまた俺によくしてやろうと何かしらのプレッシャーを感じてしまうのかな? あの場所で、常連のようになっていこうと考えるのは、奇妙に思われるだろうか?
ああ、信じられない。俺は今ちょっとした店に入るのでさえ神経質になってる。笑えるよな……。
ukatama
大丈夫だ。もしもう一度その焼き鳥屋に行けば、彼らに対して「あの時の外国人だ」と認識を持ってくれるだろう。プレッシャーからではなく、快く君のために居場所を作ってくれるはずだ。きっと歓迎してくれる。
learnjapanese101
それを聞けて良かった。
learnjapanese101
付け加えておきたいんだけど、最初に俺が述べたような人とは違う日本人も当然いる。野球観戦や夕食、ビリヤードなんかに誘ってくれたりさ……。俺は、まだ日本を訪れたことのない人々に、全ての日本人が俺の書いたような人物だとは思って欲しくないんだ。ただ、最初にこれをポストした時は、とりわけこの現象について苛立ってたんだよ。
TheRealSamBell
魅力的な日本人女性から、偽のアドレスを受け取ったらそんな気分にもなるさ。俺ができるアドバイスは、何が起ころうと彼らに腹を立ててはいけないってことだな。ただ耐えて、そしていつかは必ずちゃんとした友人を君が得られると信じてるよ。そしてそうなれば、君はもうこのことについて悩んだりしないはずだ。挑戦と失敗だよ。
俺も、最初ここに来たときは同じような気持ちだったしな。
久しぶり、なんて話じゃないほど久しぶりの投稿。
更新速度が飛躍的に増すことはありませんが、気になった話題があればこれからも取り上げていこうかと思います。
ちょくちょくコメントやメールをくれた方、本当にありがとうございました。ごめんなさい。
さて記事についてですが、同じような経験をしたという方が結構いましたね。
その中トップコメントはMarcusMinuciusFelix さん。スレ主の疑問について様々な観点から見解を述べていました。しかしながら個人的になるほど、と思ったのは飲み屋での“一夜限りの交友現象”。確かに飲み屋は誰とでも話すきっかけが得られやすいですが、そこから交友に繋がることは少なく感じます。あくまで自分の経験からですが。
earnjapanese101
日本に来て数ヶ月が経ったが、俺はここで出会う多くの日本人と交わす「嘘」のコミュニケーションに頭が真っ白になってる。今までアメリカ、タイ、韓国、南アメリカと住んで来たが、こんなのは経験した試しがない。
俺の目の前で起こっていることを語っていこう。まず、俺はバー、レストラン、ショップやらでその人々に出会う。そしてそこで世間話になるわけだ(俺が話しかけることもあれば、向こうから話しかけてくることもある)。時々、この中で俺は彼らと連絡先を交換する機会を得る。そして次回に飲みに行こう・食べに行こう、と俺から提案したり、彼らが誘ってくれたりするわけだが、最後に俺が結局それがいつ頃になるのか(数日後なのか数週間後なのか)についてメッセージを送っても、彼らは一向に返信してくれない。最も奇妙な点は、多くの人が俺のフェイスブックにフレンド申請をしてくれたりするにも関わらず、メッセージを送ろうが返答がない。返信をくれたとしても、これで終わりにしましょう、みたいなそっけないものだ。
女の子が偽のメールアドレスを渡してきたこともあったな。マジでくそったれだ。そんなことされたら、まるで俺が殺人鬼か強姦魔に見えていて、それから逃げるために彼女が取り繕ったように感じる。数週間も経つと、俺は彼らに連絡先を聞こうだなんて一切考えなくなった。ただ彼らが聞いてくるのを待つだけだ。もちろん、今もそんな状態が続いてる。俺からメッセージを送るときも、「この間はどうも、また今度飲みに行きましょう」みたいに短くてお決まりの文章を使うようになってしまったよ。
俺は二十年代半ばの男だ。だけど、ここまで人と接するのに苦痛を感じたことはない。俺は何か間違ったことをしでかしてしまってるんだ。そうなんだよな?
MarcusMinuciusFelix
日本はHigh contextな文化を持っている。これが意味するのは、彼らの会話中の発言が、その言葉通りの意味を持つことが少ないということだ。このことは、日本人が名誉と恥を重んじるという事実にも繋がるだろう。
仮に、今私がノブという人物と出会ったとする。彼は率直に言ってしまえば、他の大多数の日本人と同様に、会話中に彼自身の本心を表には出さない人物だ。しかしながら、彼の視点に立ってこの会話を注視すれば、次第にこの会話の意味を理解できる。
ノブは、ジョンという西欧人に始めて出会った。彼はとても忙しい日々を過ごしており、しかし自身の英語能力には多少自信があった。ジョンはノブに、多くの単純な会話がそうであるように彼の趣味や好きな音楽について尋ねるだろう。ジョンはそこで突然、一緒にコンサートを見に行かないかと誘う。ノブはジョンがとてもストレートな男だと驚くだろう。しかし実際の所、そのコンサートがまさに彼の趣味に合致していたとしても、ノブはジョンとの交友にこれ以上興味があるわけではない。とはいえ、一方でジョンの面目を保ちたいとも考えている。……ノブはぎこちなく笑い、コンサートに行くと伝えた。しかし、その場に居合わせた他の日本人たちは、それが彼の本心でないことに気づいている。ノブが、ジョンのメンツを気にしたことを知っている。人前で、君とはコンサートに行けない、と言うのは彼に恥をかかすことになるだろうとノブは考えたんだ。
ついにそのコンサートの日が来たが、既にノブの方はコンサートのこともジョンのことについても忘れ、彼の本当の趣味であるハイキングと、蝶の採集に忙しくしていた。ノブがコンサートにこなかったという事実は、ジョンの誘いに対する、彼の本当の返答だった。
まとめると、“いくつかの国の文化では、「はい」は「いいえ」を意味する。実際、日本では「いいえ」という解答の代わりにこれを用いることは礼儀だと考えられている”
女性が偽の電話番号や偽のアドレスを持っていたというのも、これに準ずるんじゃないかな。
PriestmanX
このノブとジョンの話はあまりに奇妙に思える……。
MarcusMinuciusFelix
これは創作だけど、実際の出来事をモデルにもしてるよ。東大に通う生徒と、一時間ほど彼の趣味である蝶々集めについて会話したことがあるんだ。人生で、もっとも気まずい時間だったね(彼は蝶々集めにあまりに熱中している様子で、どこか狂気じみてもいた。会話中、私は始終「こんな男がいるはずがない!」と自分に言い聞かせていたよ。多分、彼に騙されたんじゃないかと思ってる)。彼と蝶々の収集に行く機会を逸してからは、一度も彼とは会ってないな。
earnjapanese101
Troll level: Nobu
Pathological_RJ
この手のコミュニケーションの相違は、アメリカの北部と南部の間にも少なからず残ってる。最近僕はバージニアからニューヨークに越したけど、少しショックを受けたからね。南部の人々は常に失礼になりすぎないように気を使って、何かしらの招待を直接的に断ったりすることはあまりない。南部の人たちも来るとだけ言って、実際には現れないわけだ。バージニアで北東部の人(ニューヨークやニュージャー出身など)と出会った時は、彼らはこんな礼儀は不快に感じたみたいだ。特に興味がなければ、「消えろ!」みたいなきつい言い方であしらってた。北部(北東部)の会話は、直接的だと思う。
では、アメリカ南部と日本との違いを考えると、それは多分他人の名誉を気にするかどうかだと思うな。南部の人間は別に他人の面目を気にしているわけじゃなく、自身が無礼に見えないように気を使っている、って感じだ。
marktully
これはまさに、アメリカ南部で見られる超叙想法的表現のそれだな。
「ようノブ! コンサートに来ないか?」
「うーん、多分行けると思うよ……」
こうしてヤンキーたちは俺たちが文明人でないと決め付けていく。
CmndrSalamander
それより、どうやって彼らにちゃんと「はい」と言わせるかを教えてくれよ。
MarcusMinuciusFelix
自分のコメントにもう少し付け加えておく。日本における親密な交友関係っていうのは、彼らが所属するグループにおいて形成されやすい。
日本は、独特な集産主義とも言える文化を持っている。彼ら個人であるよりも、グループの中の一人として身を置きがちだ。時には個人のアイデンティティさえ、グループの意思として捧げられる。
彼らは、家族・隣人・クラスメート・同僚、あるいは趣味や興味を共有できる者たちと共にその絆を強固にしていくという傾向がある。日本の若者にとって、クラブ活動というのが重要なものだというのもこれから来るものだと思う。彼らが生涯を通して語る交友というものは、そうやって活動の中で共に過ごして来たという時間と、互いに分かち合った経験がからくるものになるだろう。
Geert Hofstedeは、5つの観点からその国の文化について調査したIBMのデータを元に、分析を行なっている。「個人主義度」(集産主義とは対照的なものとして)としたスコアでは、アメリカが91ポイントである一方で日本は46ポイントとなっている。(What about Japan?)
(注:引用先では、日本ではグループの強調性が個人の感情より優先されやすいことや、恥や礼を失することに強く感情を抱きやすいことがスコアの低さに関係していると考察されている)
単純にアドバイスするなら、君がもし日本人との交友を深めたいというなら、趣味を覚えろ。町内会に参加しろ。料理教室に入れ。とにかく、何かしらのグループに参加するんだ。
9kinds
>彼らは、家族・隣人・クラスメート・同僚、あるいは趣味や興味を共有できる者たちと共にその絆を強固にしていくという傾向がある。
西欧人は逆に、見知らぬ人としかもなんの関心も共有できないような奴らとでも交友を深めていけるっていうのか?
MarcusMinuciusFelix
いい指摘だ。けれど、文化というものについて語るときの一つの問題は、(物ごと・考え方についての)一般化を進めてしまうという点だ。不幸なことに、文化について学ぶとこの問題はついてまわる。だから僕の上のコメントと共に、今一度考えてみて欲しい。今僕が話しているのは、その文化の傾向についてだ。もちろんどんな文化環境においても、個人一人ひとりを見れば、その傾向に背く者たちもいるだろう。傾向の強弱が個人によって異なるなんていうのは世界共通だしね。
日本人については、これらの場所・活動によって最も強固な交友が得られ“やすい傾向にある”と言っているだけで、西欧人がそうでないと断言しているわけではない。アメリカのように全く見知らぬ人と交友を築けるような機会が、日本では生まれにくいということなんだ。
ukatama
“一夜限りの交友現象”に出会ってしまったようだな。例えばバーに行き、酒を飲み、酔っ払う。そうなると、全く見知らぬ相手にだって話し掛けてしまいそうな大胆な気分になるだろ? 酔っ払っていると気分がよくなって笑い合うようになる。
そして家に帰ってからしらふになり、気づく。自分が全く知らない人物(向こうだって君が誰かなんて知らない)とコンタクトを取ったことをね。彼らがメールを送って来ると、君は「クソ! 一体俺は何について話してたんだ? 全くこの男のことなんて知らないじゃないか」という気分になる。結局君はこのメールについて無視を決め込んだ。
日本の人々は、互いによく知っている関係であるということに非常に安心感を持つ。だからこんな出来事に君が出くわしたとしても、彼らに悪気があったわけじゃない。もちろんこれは全ての個人について言っているわけではないし、この法則から外れる者もいるだろう。ただ、頭には留めておいてほしい。
そしてフェイスブックの件。まあ、人によっては「交友」をコレクションしたがる者もいるんだ。あまり深く考えるな。
learnjapanese101
少し前に、焼き鳥屋に行ったんだよ。そこは俺と同じ位の年の日本人で溢れかえっていた。……結局、俺は4時間ほどもその店にいた。彼らと話し、そして酷く酔っ払った。彼らは俺に酒や食べ物をおごってくれて、ここでの経験は日本生活で最高のものとなった。叶うのなら、あの週末の日に戻りたいとさえ感じる。もしもの話なんだけど、俺がまたあの店に行き、彼らとまた出会う。そしたら、彼らはまた俺によくしてやろうと何かしらのプレッシャーを感じてしまうのかな? あの場所で、常連のようになっていこうと考えるのは、奇妙に思われるだろうか?
ああ、信じられない。俺は今ちょっとした店に入るのでさえ神経質になってる。笑えるよな……。
ukatama
大丈夫だ。もしもう一度その焼き鳥屋に行けば、彼らに対して「あの時の外国人だ」と認識を持ってくれるだろう。プレッシャーからではなく、快く君のために居場所を作ってくれるはずだ。きっと歓迎してくれる。
learnjapanese101
それを聞けて良かった。
learnjapanese101
付け加えておきたいんだけど、最初に俺が述べたような人とは違う日本人も当然いる。野球観戦や夕食、ビリヤードなんかに誘ってくれたりさ……。俺は、まだ日本を訪れたことのない人々に、全ての日本人が俺の書いたような人物だとは思って欲しくないんだ。ただ、最初にこれをポストした時は、とりわけこの現象について苛立ってたんだよ。
TheRealSamBell
魅力的な日本人女性から、偽のアドレスを受け取ったらそんな気分にもなるさ。俺ができるアドバイスは、何が起ころうと彼らに腹を立ててはいけないってことだな。ただ耐えて、そしていつかは必ずちゃんとした友人を君が得られると信じてるよ。そしてそうなれば、君はもうこのことについて悩んだりしないはずだ。挑戦と失敗だよ。
俺も、最初ここに来たときは同じような気持ちだったしな。
久しぶり、なんて話じゃないほど久しぶりの投稿。
更新速度が飛躍的に増すことはありませんが、気になった話題があればこれからも取り上げていこうかと思います。
ちょくちょくコメントやメールをくれた方、本当にありがとうございました。ごめんなさい。
さて記事についてですが、同じような経験をしたという方が結構いましたね。
その中トップコメントはMarcusMinuciusFelix さん。スレ主の疑問について様々な観点から見解を述べていました。しかしながら個人的になるほど、と思ったのは飲み屋での“一夜限りの交友現象”。確かに飲み屋は誰とでも話すきっかけが得られやすいですが、そこから交友に繋がることは少なく感じます。あくまで自分の経験からですが。
- 関連記事
-
- 日本はどのようにカメラ産業を築いたのか? [海外掲示板]
- 「あの頃、サイバーパンクと聞くと日本を想像したよな」 [海外掲示板]
- 「日本人と親しくなるのってどうしてこんなに大変なんだ?」 [海外掲示板]
- 日本でやってはいけないことや、行くべきでない場所は? [海外掲示板]
- 「外国人の君たちも、サービス残業を行っているのか?」 [海外掲示板]
- 「俺は日本語を話せるって人、どれ位いる?」 [海外掲示板]
- 「日本人の礼儀正しさについて話してみたい」 [海外掲示板]
- 「なぜ君たちは日本で暮らし続ける?」 [海外掲示板]
- 「恐怖の忘年会シーズンが始まるな……」 [海外掲示板]
- 「今まで出会った中で最も印象に残っている先生は?」 [海外掲示板]
- 上空から東京を撮った写真 [外国人が見る東京]
