江戸時代は、いろいろな意味で、私たちの知る「日本が」始まった時代といっていい。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
「日本文化」と呼ばれるものの多くが、この時代に誕生、あるいは洗練されたことはいうまでもない。
江戸時代に生きた人々のロハスな生活には、学ぶべきところが多いようである。
2009-01-27
武士にも「受験勉強」があった?
江戸時代の徳川幕藩体制のなかで、将軍家に直接仕えている旗本や御家人の武士は「直参」と呼ばれ、名門とされた。しかし、だからといって安穏とはしていられなかった。名門だけに家督を継承するには資格が必要とされたからだ。その目安となったのが、「素読吟味(そどくぎんみ)」と呼ばれた試験である。
この試験は、毎年10月と11月に行われていた。11人もいる試験官を前に「四書五経(四書は大学・中庸・論語・孟子。五経は易経・書経・詩経・礼記・春秋)」の書物のなかのどれかを、いわれるままのページを開いて声に出して読むというのが試験内容だ。なんだ読むだけか、といっても、書物に書かれているのは漢文だからほとんど丸暗記でもしていなければ、正しく読み下すことはできない。町人の子が、ただ寺子屋で文字の読み書きを習うのとはちがう勉強が、直参の子どもたちには求められていたのである。
そんな彼らの受験勉強は、5歳の手習いからはじめられ、7歳になると素読(文章の意味は考えず、文字だけを声に出して読むこと)の練習をはじめる。テレビの時代劇で武士の子が、書物を開いて「し、のたまわく~」などと声に出しているのが、その勉強なのである。最初は父兄が基礎を教え、さらに、8歳くらいから師匠のところへ通いはじめる。それを数年続けて、だいたい13歳くらいになると受験の願書を出す。受験資格は17歳からと定められていたが、そんな年になるまで勉強しなければならないようでは、合格はおぼつかない。学問所もその事情は承知しており、実年齢が何歳であろうと願書に17歳と記入してあれば受け付けたという。
ただし、いくら年齢が若くても3回不合格になったら受験資格を失った。こうなると、たとえ長男であっても、家督相続資格を失い、どこかに養子の口でもない限り、一生を「部屋住み」と称する実家の居候生活ですごすことになった。
この試験は、毎年10月と11月に行われていた。11人もいる試験官を前に「四書五経(四書は大学・中庸・論語・孟子。五経は易経・書経・詩経・礼記・春秋)」の書物のなかのどれかを、いわれるままのページを開いて声に出して読むというのが試験内容だ。なんだ読むだけか、といっても、書物に書かれているのは漢文だからほとんど丸暗記でもしていなければ、正しく読み下すことはできない。町人の子が、ただ寺子屋で文字の読み書きを習うのとはちがう勉強が、直参の子どもたちには求められていたのである。
そんな彼らの受験勉強は、5歳の手習いからはじめられ、7歳になると素読(文章の意味は考えず、文字だけを声に出して読むこと)の練習をはじめる。テレビの時代劇で武士の子が、書物を開いて「し、のたまわく~」などと声に出しているのが、その勉強なのである。最初は父兄が基礎を教え、さらに、8歳くらいから師匠のところへ通いはじめる。それを数年続けて、だいたい13歳くらいになると受験の願書を出す。受験資格は17歳からと定められていたが、そんな年になるまで勉強しなければならないようでは、合格はおぼつかない。学問所もその事情は承知しており、実年齢が何歳であろうと願書に17歳と記入してあれば受け付けたという。
ただし、いくら年齢が若くても3回不合格になったら受験資格を失った。こうなると、たとえ長男であっても、家督相続資格を失い、どこかに養子の口でもない限り、一生を「部屋住み」と称する実家の居候生活ですごすことになった。
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