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2019年 05月 10日
前回記事で2005・6年頃にリベラル・左派の変動・再編が生じていると書いたが、これには証言がある。以下は、高橋源一郎・小熊英二対談「1968から2010へ」(『文学界』2010年5月号)からの抜粋である。対談の末尾に「3月15日収録」とある(漢数字は英数字に改めた)。 高橋 最初に本が想定した世界についての見通しと、書きながら2005、6年以降に起こった変化についても考えなきゃいけなくなったわけですね。 小熊 そこで「70年パラダイム」の話をせねばならなくなりました。書いている途中で違う時代に突入したなという印象を持っていたので、そこについてはまだ対応ができてないままですね。「70年パラダイム」という言い方自体が、最初の構想にはなかったことで、この本を書いている途中で思いついて言ったことなので、それで新たに対応を図った部分ではあるんです。私の見ている限りでは、やっぱり2006年が大きな区切りだったように思いますね。(中略) 高橋 「70年パラダイム」というのは、簡単には説明できないのですが、「近代化し管理社会化した経済大国日本と、そこで豊かな経済的果実を享受する『日本人』(マジョリティ)が、貧しいアジアとマイノリティを差別し搾取し、管理社会からはみだした人びと(不登校児や障害者など)を抑圧している」といったものだった、と小熊さんは書かれています。常に加害者としての日本人、少数派への抑圧者としての日本人という立場に立てという視点を、「70年パラダイム」への転換と呼ぶと理解してよろしいんでしょうか。 小熊 ええ。(中略) 小熊 要するに豊かなマジョリティが貧しいマイノリティを搾取しているというか、それはマイノリティの部分を女性と入れ換えても、在日と入れ換えてもある程度通用する形で作用してきたわけですが、そのパラダイムが2006年ぐらいから通用しなくなったということはかなり大きいと思います。おっしゃる通り、豊かな経済大国日本が貧しい従軍慰安婦を搾取しているという言い方に対して、それよりも俺たちプレカリアートのほうが恵まれてない、という言い方が出てきちゃったということに対しては、やっぱりマジョリティは恵まれているから問題ないんだという形で処置してきた問題というのが、ここに来て噴き出してきてしまったというときに、今現在どういう語り方をするかというのは、非常に難しい問題になってますね。「70年パラダイム」は、経済の高度成長と安定した雇用を前提として成り立っていたわけですから、92年にその経済成長が止まり、94年に脱工業社会化したことで、その前提を失ってしまった。(中略) 小熊 新しいパラダイムが必要だというのは、次の時代に突入して、一旦パラダイムが終わらないと気づかないことかもしれませんね。「70年パラダイム」が終わったから、次のを出せという形のことは、あれが2005年、06年で終わったから言えたのであって。> いろいろ突っ込みどころがある文章ではあるが(とりあえず小熊と高橋が「70年パラダイム」なるものを終わらせたいということはわかる)、小熊と高橋が、2005、6年に何らかの「変化」が起こり、「新しいステージに突入」したと認識している点が重要である。前回記事で書いたように、2005、6年にリベラル・左派の変容・再編が生じたと私は見ており、その変容に対する評価は私と小熊・高橋とでは正反対だが(事実上、小熊・高橋は肯定的)、大きな変化が生じているという認識では一致しているのである。 小熊と高橋はシールズ界隈と関係が深いが、上の引用に示されている認識・評価の延長上に、シールズその他の動きもあるのであろう。
by kollwitz2000
| 2019-05-10 00:00
| 日本社会
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