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2019年 03月 22日
以下は大宅壮一「日本人民共和国の可能性」(『大宅壮一の本8』サンケイ新聞出版局、1967年)からの抜粋である。文章の末尾に「二十五年十一月」とあるので、1950年11月に書かれたもののようである。「草の根の強固な天皇制イデオロギー」などといった主張よりも説得力のある、興味深い指摘だと思うが、大宅が指摘している特徴は、管見の範囲では在日朝鮮人にも当てはまる(ただし本国の韓国の人間には当てはまるとは言えない)ので、「日本民族の性格的な特異性」というよりも日本文化の特徴と読み替えた方が良いであろう。 これを別の言葉でいえば、日本人は革命を遂行するのに、錦の御旗を必要とする国民にはちがいないが、それは必ずしも天皇制であることを必要としない。 日本が国家らしい国家になったのは、徳川の封建制度が確立してから後のことであるが、これには別に錦の御旗はなかった。家康の老獪な政治力と武力によって、かれの旧同僚たちも改めてその配下に組織され、元の主筋に当る豊臣家が打倒されて、国家的統一が完成したのである。そのこと自体は、別に珍しくはないが、秀吉が死んで家康にヘゲモニーが移ったと見てとると、多年秀吉の恩顧をうけた武将までが、「風を望んで」これになびき、一切の権力が徳川家に移ってからは、数多い諸侯の中で、これに組織的、計画的叛逆を企てるものが、三百年間にわたり、ほとんど一人も出なかったなどという例は、これまた世界史上にも珍しいことである。 この「風を望んで」行動することは、日本人に限ったことではないが、それは特に日本人のもっとも得意とするところである。「風を望む」というのは、大勢のおもむくところを見究めることであり、ひとたびその見究めがつくと、本来の立場も、これまでの行きがかりもすてて、無条件に、争って、これに賛同することである。いいかえれば、機会主義であり、事大主義であり、便乗主義である。 これが各時代、各層を通じての日本人の基本的な性格であり、特に革命のような非常時においてもっともよく発揮されるのである。前に私が、日本の革命には錦の御旗を必要とするといったのは誤りで、実はこの機会主義、事大主義、便乗主義こそが、錦の御旗なのである。(中略) 日本国民は、天皇の詔勅によって、ピタリと戦争をやめたのだが、もしこの詔勅が出なかったら、いや、こういう場合に詔勅を出して国民の動向を指定する天皇というものが存在しなかったら、日本はどんな混乱状態に陥ったかもしれないといわれている。確かにそうにちがいない。私もそれは否定はしない。しかしそのすぐ後で、天皇を完全に無力にし、ロボット化した日本憲法が制定されても、国民の間に、強力な反対の意志表示をしたものも出なかったし、もちろんこれに反対する運動が頭をもたげるような気配すら見られなかった。 戦時中、何百万という日本人が、天皇の名において死んで行った。だが、それから二、三年後に天皇が、哀れな無力な存在になっても、国民は平然としているのだ。(中略) だから、天皇以上に強力なものが出現すれば、それだけで権力のうけわたしは、つまり革命は、きわめて平穏に、無造作に、するすると行われる公算が大である。それはマッカーサー元帥であってもいいし、スターリン元帥であってもいい。徳田球一でも野坂参三でもいい。或は国連であってもよろしい。要は何人も抗しがたいほどに強力であればよろしいのである。いや、事実それほど強力でなくても、強力だという印象を人々に与え、そういう「大勢」をつくりあげてしまえばいい。そうすれば、国民の大部分、いや、ほとんどすべては、「風を望んで」われもわれもとこれは参加してくるにちがいないと考えられないこともない。(中略) 「貧すれば鈍する」という諺があるが、日本人は「貧すれば争う」国民である。職場においても、勝っているときは大いに協力するが、旗色が悪くなってくると、四分五裂してしまうのが常である。順調に行くと手がつけられないほど強いが、難局に処すると非常に脆い国民である。>
by kollwitz2000
| 2019-03-22 00:00
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