
JAL123便 日航機墜落事故の真相
最近、特に興味深く勉強してきたことがある。
それはJAL123便 日航機墜落事故の真相についてである。
ちょうどに事故が起きたのは、私がまだ10代のころで、
もちろんその頃は、「凄い事故が起きたな~」程度で、
その後こういったブログを始めた当初も、
この事故の、真相究明記事の存在は知っていたが、ちょっと飛躍しすぎではないかと
思う記事が多く、スルーしてきた。
しかし今、普天間基地問題がマスコミをにぎわせている中
偶然様々なサイトやPDFファイルを見つけたこともあり、
少し勉強してみたのでまとめてみたいと思う。
もちろんおことわりをしておきたいのは、
まだまだ、私自身、このテーマに関しての勉強も足りないが
ただ、この真相と思われる今回勉強したことは、
あまりにショックで、力が抜けてしまうほどであった。
基地移設問題一つとっても、日本がアメリカの属国なのは
今更ながらだが、日本の政治の中枢がここまで売国奴たちに
牛耳られ、国民の命を何とも思っていないとは、、、、。
しかし、今までこのような表に出るはずが無いことが
出るようになってきたのは、確実によい変化だと思う。
未来は明るいと信じたい。
・日航機墜落事故の真実を求めて
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/
・(新)日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi
・日航機墜落事故の真相
http://www.fims.co.jp/fumitaka/osutaka.pdf
1995年に当時のアメリカ軍の横田基地にいた
アントヌッチ中尉が、米軍コミュニティ紙に証言し、
一面に掲載された「アントヌッチ証言」。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/acea0c09dd04784b61172500fc4edc23
この事故の情報を簡単にまとめてみる。
1985年8月12日午後6時12分に羽田を離陸した日航機123便は、
その後、相模湾上空に差し掛かったところで、
海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、
垂直尾翼が破損してしまう。
(プラザ合意のための脅迫撃墜説もある。)
そのため、横田基地への緊急着陸を当初は米軍も誘導したが、
東京の市街地に墜落して大惨事になることを恐れ、
さらには、墜落事故が起きたことだけでも、
日米同盟に、世論が猛反発することを恐れた中曽根政権は、
自衛隊機を飛ばし、群馬県に123便を誘導、
御巣鷹山に午後6時56分に墜落。
(自衛隊機撃墜説もある。)
アントヌッチ証言にもあるとおり、当初からアメリカ軍は、
その墜落場所を正確に把握していて、日本側に救援も申し出た。
また、日本側も、かなり早い段階から、墜落場所を特定していた。
加藤紘一防衛長官自身、その日、上空から墜落場所を視察している。
しかし、米軍の誤射が日航機の墜落につながった、
ということを恐れた中曽根政権は、時間稼ぎのために、
当日の捜索を行わなかった。
(捜索待機命令を無視して人命救助しようとした自衛隊員を射殺した説もある。)
墜落当日は、生存者の落合由美さんの証言にもあるとおり、
多くの人の命がまだ助かっていた。
「どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのが
はっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」
といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。」
-- 中略 --
「 突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、
男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、
それははっきり聞こえました。
しかし、さっき「おかあさーん」と言った
男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。」
翌朝、地元の消防団が救出に向かった時には、
すでにそこに自衛隊員がおり、
人命救助ではなく、なにやら物体を吊るし上げていたとの証言。
重傷者4名のみが救出される。520名の生命が犠牲に -
ということである。
この日航墜落事故に関しては、他にも、
アメリカ軍のミサイルが中性子爆弾で、その機密を守るために、日航機は撃墜された。
事故発生から救出までの16時間の間に、口封じのために、自衛隊員がアーミーナイフで
生存者を40-50名殺害した。
http://www.asyura.com/09/lunchbreak27/msg/669.html
など、さまざまな驚愕の情報が山ほどある。
実は、NHKが20;00に速報で流している。
「20:00上野村三岐待機自衛隊一群到着。
待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」(NHK)
その後、放送で、
NHKアナ
「ただいま長野県警から入った情報です。
現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。
続報が入り次第お伝えします」
その後
NHKアナ
「先ほど自衛隊員が何者かに
襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、
誤報だった模様です。」
かなりの圧力がかかったとはいえ、情けない。
参考記事
「JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり- 」
http://youwonderful.at.webry.info/200712/article_5.html
500名以上の亡くなった乗客や、義憤に駆られて救助に向かった自衛官の尊い命は、もう帰らない。
そして、今も遺族の悲しみは続いている。
追記
未だ敗戦国の日本は、いよいよこれから非常に厳しい局面に立たされるかもしれません。
非暴力主義のガンジーではありませんが、
いったん『全てを手放すこと』で輝かしい未来が手に入るように思います。
それはJAL123便 日航機墜落事故の真相についてである。
ちょうどに事故が起きたのは、私がまだ10代のころで、
もちろんその頃は、「凄い事故が起きたな~」程度で、
その後こういったブログを始めた当初も、
この事故の、真相究明記事の存在は知っていたが、ちょっと飛躍しすぎではないかと
思う記事が多く、スルーしてきた。
しかし今、普天間基地問題がマスコミをにぎわせている中
偶然様々なサイトやPDFファイルを見つけたこともあり、
少し勉強してみたのでまとめてみたいと思う。
もちろんおことわりをしておきたいのは、
まだまだ、私自身、このテーマに関しての勉強も足りないが
ただ、この真相と思われる今回勉強したことは、
あまりにショックで、力が抜けてしまうほどであった。
基地移設問題一つとっても、日本がアメリカの属国なのは
今更ながらだが、日本の政治の中枢がここまで売国奴たちに
牛耳られ、国民の命を何とも思っていないとは、、、、。
しかし、今までこのような表に出るはずが無いことが
出るようになってきたのは、確実によい変化だと思う。
未来は明るいと信じたい。
・日航機墜落事故の真実を求めて
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/
・(新)日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi
・日航機墜落事故の真相
http://www.fims.co.jp/fumitaka/osutaka.pdf
1995年に当時のアメリカ軍の横田基地にいた
アントヌッチ中尉が、米軍コミュニティ紙に証言し、
一面に掲載された「アントヌッチ証言」。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/acea0c09dd04784b61172500fc4edc23
この事故の情報を簡単にまとめてみる。
1985年8月12日午後6時12分に羽田を離陸した日航機123便は、
その後、相模湾上空に差し掛かったところで、
海上で演習をしていた米軍の追撃ミサイルに誤射され、
垂直尾翼が破損してしまう。
(プラザ合意のための脅迫撃墜説もある。)
そのため、横田基地への緊急着陸を当初は米軍も誘導したが、
東京の市街地に墜落して大惨事になることを恐れ、
さらには、墜落事故が起きたことだけでも、
日米同盟に、世論が猛反発することを恐れた中曽根政権は、
自衛隊機を飛ばし、群馬県に123便を誘導、
御巣鷹山に午後6時56分に墜落。
(自衛隊機撃墜説もある。)
アントヌッチ証言にもあるとおり、当初からアメリカ軍は、
その墜落場所を正確に把握していて、日本側に救援も申し出た。
また、日本側も、かなり早い段階から、墜落場所を特定していた。
加藤紘一防衛長官自身、その日、上空から墜落場所を視察している。
しかし、米軍の誤射が日航機の墜落につながった、
ということを恐れた中曽根政権は、時間稼ぎのために、
当日の捜索を行わなかった。
(捜索待機命令を無視して人命救助しようとした自衛隊員を射殺した説もある。)
墜落当日は、生存者の落合由美さんの証言にもあるとおり、
多くの人の命がまだ助かっていた。
「どこからか、若い女の人の声で、「早くきて」と言っているのが
はっきり聞こえました。あたりには荒い息遣いで「はあはあ」
といっているのがわかりました。まだ何人もの息遣いです。」
-- 中略 --
「 突然、男の子の声がしました。「ようし、ぼくはがんばるぞ」と、
男の子は言いました。学校へあがったかどうかの男の子の声で、
それははっきり聞こえました。
しかし、さっき「おかあさーん」と言った
男の子と同じ少年なのかどうか、判断はつきません。」
翌朝、地元の消防団が救出に向かった時には、
すでにそこに自衛隊員がおり、
人命救助ではなく、なにやら物体を吊るし上げていたとの証言。
重傷者4名のみが救出される。520名の生命が犠牲に -
ということである。
この日航墜落事故に関しては、他にも、
アメリカ軍のミサイルが中性子爆弾で、その機密を守るために、日航機は撃墜された。
事故発生から救出までの16時間の間に、口封じのために、自衛隊員がアーミーナイフで
生存者を40-50名殺害した。
http://www.asyura.com/09/lunchbreak27/msg/669.html
など、さまざまな驚愕の情報が山ほどある。
実は、NHKが20;00に速報で流している。
「20:00上野村三岐待機自衛隊一群到着。
待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」(NHK)
その後、放送で、
NHKアナ
「ただいま長野県警から入った情報です。
現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、
何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様です。
続報が入り次第お伝えします」
その後
NHKアナ
「先ほど自衛隊員が何者かに
襲撃され死者が数名出たとお伝えしましたが、
誤報だった模様です。」
かなりの圧力がかかったとはいえ、情けない。
参考記事
「JAL123軍事破壊・軍事焼却の背景は中曽根康弘軍事指揮にあり- 」
http://youwonderful.at.webry.info/200712/article_5.html
500名以上の亡くなった乗客や、義憤に駆られて救助に向かった自衛官の尊い命は、もう帰らない。
そして、今も遺族の悲しみは続いている。
追記
未だ敗戦国の日本は、いよいよこれから非常に厳しい局面に立たされるかもしれません。
非暴力主義のガンジーではありませんが、
いったん『全てを手放すこと』で輝かしい未来が手に入るように思います。