~麗しき昭和の頃 20~
訪問ありがとうございます!
想い出せばキリの無い「麗しき昭和の頃シリーズ」です。今回で20回目に成ります。
別サイトブログ内含め温かいコメントなど、ありがとうございます。それぞれ、ご同輩皆さまの脳裏に浮かぶ昭和のシーンや体験・当時の感覚は「昭和の戦士」として「同じ目線・同じ匂い」の中で過ごされて来たのだと思われ大変嬉しく感じたと共に、あの夢の様な「雑だけど温かい時間」は、紛れもなく流れていたんだと、あらためて実感する次第です。
今回は現代とは少々異なっていた「昭和のクリスマス」に触れてみたいと思います。
少年少女時代に戻り「あの頃のクリスマス」を一緒に想い出して頂ければ幸いです^^
【クリスマスツリー】
クリスマスと言えば「クリスマスツリー」ですよね。冬休みもまじかな時期になると町はクリスマス装飾一色。そのワクワクムードに合わせて各家庭でもクリスマスツリーを飾ります。これは今も変わりません。しかし昭和のクリスマスツリーはよくよく思い出すと少々異なるアイテムが集結しています。まず雪の役割は昔よく家庭の救急箱に常備されていた所謂「綿」でした。自分たちで手で千切っては思い思いのムードが出る場所に大小に分けてツリーの枝に「綿」を置きました。そして電飾はLEDではなく赤・青・白・緑を基本とした「豆電球」でした。花を模った中に米粒型の豆電球が仕込まれたモノ。今にして思うと、あの緩く点滅する豆電球こそが子供心をくすぐったのでしょう^^時折、ツリーの下の方で切れた電飾数個を見ると何やら淋しい気持ちになったものです(笑)そして名前は知りませんが最終的なフィニッシュワークとして「金色のレイ?」の様なものを全体に巻いて煌びやかさを出していましたよね。あのクリスマスツリーが部屋にあると何とも言えない充実感と共に冬休み突入と言った心躍る気持ちになりました。まぁ、今もクリスマスツリーに大きな変化は無いと思いますがよくよく深堀するとやはり「昭和のクリスマス」だったのでしょう。
【クリスマスケーキ】
今も昔も家庭でのクリスマス会は多く行われます。お菓子やジュースなどを用意して家族そろって夕食時か夕食後に会は行われる訳です^^その主役はやはり「クリスマスケーキ」昨今のクリスマスケーキは生クリームでフワフワの食感。あまり甘くもなくサッパリとしたモノが多く甘いモノが苦手な人も「美味しい!」と感じるものが主ですね^^しかし昭和のクリスマスケーキは言うまでも無く「バタークリーム」そして「ピンクのバラに仁丹」などが散りばめられナイフを入れるとスポンジ生地の間になんと!イチゴジャムなどが挟んでありました。今にして思うと、そんなに美味しいものではなかったのかもしれませんが、そこは普段、駄菓子屋の「紐のついた三角飴」しか食べてない昭和の子供らは飛び上がる程、喜んで食べた「贅沢品」でした。そしてお決まりの砂糖菓子で作られた「サンタクロース」ウエハスで作られた「砂糖雪の積もった家」を兄弟で奪い合うシーンがよく見られました(笑) そして最先端を感じさせた「アイスデコレーションケーキ」たるモノも出現しテレビCMにかぶり付いていました。これは金持ちの家でしかオーダーしないイメージがありましたね。付け加えるならば脇役で忘れてならないのが「瓶ジュース」瓶の表面がライン上に凸凹したファンタや薄緑瓶のコーラ・三ツ矢サイダーなど普段飲めないモノがテーブルに並び、幼心を擽りました。部屋を暗くして、ロウソクを立て心躍らせたものでしたよね^^
【クリスマスプレゼント】
子供たちにとってクリスマスに欠かせないのが「クリスマスプレゼント」です。24日のクリスマスイブに「玄関で何か音がしたよ」とか「ベランダで何か動いたよ」など大人たちに言われ、見に行くと子供らの目を盗み、そっと大人たちがセットしてあった艶やかなクリスマス用の包装紙に包まれた「クリスマスプレゼント」がある訳です。又は24日に子供らが寝静まった後に、これまた大人たちが「そっと」枕元に置き、翌25日の朝目を覚ますと枕元にある場合もあります。「あぁやっぱりサンタクロースは要るんだ…」などと回想する子供心です。これは全世界での共通イベントかもしれません。思い起こせばクリスマスプレゼント「包装紙で包まれた」と言う所が嬉しさを増していた様にも記憶します。何とも言えない包装紙の香りが子供心に「あ~プレゼントだ」という高揚感が増したのでしょう^^少年は「ウルトラマシーン」「光線銃SP」「野球盤」などなど…女子は「リカちゃんハウス」「ママレンジ」「ぬいぐるみ」…などなどでした。しかし、この様な「ゴッコ」も10歳前後まででしょうね^^10歳を過ぎ小学校高学年になれば友人から流れて来る情報で「サンタは親(大人)なのだ」と言う事を知る訳です。以降は「クリスマスプレゼントは何が良いの?週末買いに行くから自分で選びなさい」などハッキリ言われる世代が訪れるわけですね^^ややもすれば「成績さがってたらプレゼント無しね!!」などの現実的言葉を掛けられる事も珍しくないでしょうね(笑) しかしながらこの日ばかりは無宗教の面々もキリスト教となり盛上るいイベントな訳ですね^^アーメン^^
【鶏モモ・ローストチキン】
家庭のクリスマスを彩るのに欠かせないのが「鶏のモモ・ローストチキン」これは今でも健在ですね。しかし昭和の頃は途轍もないご馳走でした。如何にも美味しそうな焦げた色艶に甘いダレが乗り少年少女の心は踊りました。そしてクリスマスらしさを彩る「アルミホイル」に骨元は括られ赤いリボンまで付いています。皿自体はいつもの自宅で見る焼き魚でも乗せるのであろう品素なモノでしたがこの「鳥のモモ 様」が乗ると如何にも豪華に見えた事を記憶します。そして一口食べると、まずは「皮」の部分がブヨブヨしているが「タレ」の甘みと柔らかな食感で「滅多にイタだけないシロモノだ」と子供ながらに感じていました。挙句「骨の髄まで」食べてしまい、皿の上に残るのは悲惨な程の骨の残骸。その骨までも昭和の子供らはしゃぶり付き原始人の如く?食べていた感覚が残っています。コンビニに行けば何でもそろっていて食べたり飲んだりできる昨今、もしかしたら現代の子供たちはその様な感動や驚きは無いかもしれない。「鳥モモ・ローストチキン」などは、戦後から高度成長期、朧気ながらアメリカの影を残しつつ摺り込まれてきた習慣の一つなのだろう。振返るとしばらく食べていない鶏モモローストチキン、昔の感覚に戻りじっくりと味わいたくなりました^^
【お菓子の詰合せブーツ】
現在でもクリスマスシーズンになればスーパーなどで山積になっているのが、お菓子の「クリスマスブーツ」だ。昨今はアニメのキャラクターやらプラスチックで出来た「玩具的」なモノも売られている。しかし私たち昭和の少年少女の頃は「厚紙で構成され主に全体を銀色の紙の様なもの」で被い正面には可愛くないサンタクロースの顔が入り赤いリボンなどで雰囲気を出す程度のモノ。同型で金色のブーツもあったが銀色がポピュラーだった記憶がある。ブーツの中には適当な安いお菓子が入っていて当時で言えば500円程度?しかし当時で500円と言えばいい金額だ。今にして思えば「どう見ても500円もしないだろう!」という内容は「駄菓子」だった。「ライスチョコ・グッピーラムネ・チェルシー…」しかし当時は欲しくて欲しくて買って貰えると有頂天になる程嬉しかった。その目的は一つは「履いてみたい」であった(笑) お菓子を全部出して早々に片足を突っ込んでみると足の甲の部分が別物で仕切りがあり結果、履けないモノなのだと分かりガッカリした思い出もある(笑)しかし中にはプラスチックの赤、緑のブーツもあった。(写真的)これはつま先がキツイが履けた記憶がある^^そして、あんなに欲しかったお菓子ブーツだが25日が過ぎてクリスマスシーズンが終わると部屋のどこかに消えてしまい結果、ゴミ箱へ…といった所謂「シーズンアイテム」なのだろう。全ての商品がどうかは分からないが時は変われど「クリスマスのお菓子ブーツ」は履けるものだと思い込んでいる子供も少なくない筈だ(笑)
如何でしたでしょうか?
今も昔もクリスマスは大人も子供もウキウキする時期・イベントですよね^^世の中的にも冬休み・正月休みと重なりボーナスなども出てワクワク感が溢れ出る時期なのでしょうね^^そして子供たちにとっては「プレゼント」が何よりも楽しみで「欲しいオモチャが手に入る!」という夢の日でもあるのかもしれませんね^^
本日も最後までお付き合いありがとうございました!
「今年の思い出に全て君がいる」素敵なワードですね
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