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野宿者・失業者・持たざる者のメーデー
5月2日「宮下公園ナイキ化反対!排除を撃ち、公共を問う野宿者・失業者・持たざる者のメーデー」が行われ、約170人が参加した。主催は実行委員会。今まで新宿で行われていた野宿者メーデーだが今年は恵比寿公園で行われた。
共同炊事でおなかを満たした後、一時から始まった集会ではまずメーデー宣言が読み上げられた。宣言ではこの間多くの人々が野宿に追い込まれ、各地の炊き出しの食数も増え続けている中で、宮下公園や、隅田川など行政による排除が激しさを増していることを糾弾し、宮下公園のナイキ化に見られるように街全体が市場原理の下に再構成されようとしており、三月に可決された東京都のネットカフェ規制条例は身分を確認しなければネットカフェを利用できなくするもので、「公が貧者の生存を危機にさらしているのです。」そして「このような状況の中、反排除の運動は、野宿者運動という枠を越え、公共圏の創出という性格をはらむようになってきています。」として宮下公園の闘いに見られるような「抵抗の基盤としての新たな公共圏の創出」を提起し、さらにすべての人々の生存を保証するための就労保証の要求をしていこう と訴えた。
続いて各地から集まった仲間たちの発言。まずは三多摩から。三多摩野宿者支援ネットワークの仲間は路上へと追い込まれる人が増えている中で、居宅での生活保護を求める闘いを昨年の春より開始していることを報告。
夜回り三鷹の中間は三鷹では野宿の仲間に使い捨てカメラを渡して写真を撮ってもらい、その写真を展示する写真展をやっていることを報告。
続いて西部圏の仲間を渋谷のじれんの仲間が紹介宮下公園の仲間は3月16日に予定されていた着工を阻止し続けていることを力強く報告した。
新宿の仲間は雨の日に限っては都庁第二庁舎の地下広場が解放され、寝れるようになっているが、カラーコーンが置かれるなどスペースが狭められていた、都議の福士敬子さんを通して申し入れを行ったことを報告。 続いて東武圏からは山谷の仲間が、隅田川では新東京タワーの建設が進行するとともに行政による排除が激しさを増していること、しかし、野宿の仲間たちによる、そのような追い出しとの闘いがねばり強く続いていることが報告された。
江東区の竪川河川敷公園の仲間は「生活保護だってみんなで行けば門前払いできない、みんなで団結してがんばろう。」と訴えた。
続いて連帯アピールに移る。
府中緊急派遣村の仲間はこの一年で約七〇人の居宅での生活保護を勝ち取ったことを報告した。
住まいと貧困ネットワークの仲間は保証人会社が、実体として大家の代わりに家賃の払えなくなった人からの取り立てをここなったり、それだけではなく滞納金と称して多額の金額を取ったりしと貧困ビジネス化していることなどを報告した。
ネットカフェ規制に反対する共同声明の仲間は、ネットカフェ規制条例が共産党、生活者ネット、自治市民93(福祉さんの会派)の三会派以外は反対せず、ろくに審議もされずに三月に成立した。身分証がないとネットカフェを利用できなくなった。路上に放り出される直前で、ネットカフェでなんとかしのぐといったことは出来なくなる可能性がある。
反対運動の中で身分証の範囲がかなり広がった、学生証や保険証、戸籍謄本の写しでもよくなった。しかし、身分証がなければ利用できない、そのコピーが警察に提出されるかもしれないなど問題の本質は変わっていない。
施行されるのは七月から、寒い冬を迎えていきなり路上に放り出される可能性が強まることは明白。反対運動を広げていきたいのでよろしくお願いします。と発言。
次に争議団連絡会議の仲間が、不当解雇には四〇年以上にわたって争議を続けていることなどを報告。
続いて渋谷までのデモに出発した。巨大なパペット「宮下さん」を先頭に渋谷を一周して宮下公園までにぎやかにデモを行った。
▲巨大パペット「みやしたさん」登場
宮下公園では工事を阻止して「アーチスト・イン・レジデンス」を行っている原宿側で集会を行った。
三鷹自由労組の仲間は今こそ「失対事業」を要求しようと訴え、自由と生存のメーデー実行委のフリーター労組の仲間は三日のデモでは全都実の新宿での共同炊事にみんなで参加してからメーデーのデモを行うことを報告。参加を呼びかけた。
みんなの宮下公園を守る会の仲間は、秋には工事が完成して宮下ナイキパークなっているという予定だったが、デモにも、監視行動にも多くの仲間が参加してくれて、工事のコの字も始まっていない。今日で工事を阻止して32日、明らかにナイキジャパンは動揺している。ナイキがあきらめるまでがんばりましょうと訴えた。
アーチスト・イン・レジデンスを行っている仲間はアーチストが作品を作ったり、パフォーマンスをしたり、ワークショップをしたりしながら、公園のあり方といったことを考える取り組みを行っていることを報告。巨大パペット「宮下さん」がみんなにナイキ化反対を呼びかけるというパフォーマンスを行って喝采を浴びた。
聖公会野宿者支援・渋谷(キリスト者)の仲間は渋谷区役所の地下での区による野宿者排除、炊き出しつぶしとそれとの闘いを報告した。渋谷区地下駐車場では毎日夕方設置したシャッターを閉めさせない闘いが続いている。
全体で団結がんばろう!を行ってこの日の行動を終えた。
(板)
4月25日に行われた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外へ移設を求める県民大会」に参加するために仲間とともに沖縄を訪れ、現地の仲間・友人と合流して会場の読谷村運動広場に向かう。
嘉手納基地が見渡せる「嘉手納道の駅」で昼食をとると、そこには県民大会の「統一カラー」である黄色の鉢巻をした親子三代の家族連れが食事をしている。なぜ黄色かと言うと、「鳩山にイエローカード」ということであり、琉球時代からの伝統的な神聖な色でもあるということだ。
13時からの沖縄の若手アーティスト八組のプレイベントに間に合うように行こうと思っていたのだが、「道の駅」を出てすぐ渋滞で動かない。 まさか全部が県民大会に行く車だとは思わず、この時期沖縄で行われる清明(シーミー)祭(沖縄の墓参)の影響かと思っていたら、全部の車両が読谷の県民大会に行く車だった。県民大会に参加した沖縄人から聞いたところ、「墓参りは"オジー、オバー、今日だけはゴメン"と謝って大会に参加している人が多いでしょう。ご先祖様もいいよ、いいよ、と言っていることでしょうよ」ということだった。
会場に近づくにつれ、多くの車に黄色いリボンが括りつけられていて、沿道の歩行者たちのほとんどが黄色いTシャツやなんらかの黄色い布を身に着けていた。まさに「黄色い奔流」となって、人々が大会へ、大会へ、とむかっていくようだ。
会場の駐車場は返還された旧読谷飛行場の滑走路跡で、すでに滑走路の端から端まで車で埋まっていて、駐車場内も動かない。また、やっと車を停めてからも滑走路の端から端まで歩いて万単位の人混みを掻き分けて会場に辿り着いたので、15時の大会開始直前になんとか間に合ったのだった。もし、大会開始時刻の15時到着をめざしていたら、とてもじゃないが間に合わなかっただろう。
なぜ普天間基地のある宜野湾の海浜公園あたりで大会をやらないで読谷になったのか不思議だったのだが、昨年11月に起きた米兵によるひき逃げ殺人の現場が近いということとともに、駐車場として使われている滑走路も会場となった運動広場も、そして隣接する村役場も長い闘争の末に米軍からの返還を勝ち取った場所であるから、ということでもあるらしい。この「勝利の記憶」を呼び起こそうという主催者の意図に、今回の大会にかける意気込みをかんじせさせる。