暖かく無関心なホッとする人(ベタニアへようこそ)5614話

1/14(火)15:38 D君(最近、魚の鮭の事ばかり考えているが、あの魚はまるで自分の
意思を持っているかのように、川の流れに逆らい、川上の生まれ故郷へ向かって、途中
困難なこと(ダムがあってもそれを飛んで乗り越える。 )があっても諦めないでゴールに向かって泳ぎ続ける。 魚ながら大したものだと思う。 対して他のほとんどの魚は潮の流れ、に乗って泳いでいる。 その方が体力を使わないから、省エネになる。 だから太平洋・日本海のような広い海域に大量生息できるんだろうか? 、、、、話は違うけど、焼き鮭が好きでよく食べるけど、鮭を食べると何か難題があっても、乗り越えて最後までやってやる

という反骨心のようなものが、どこからか湧いてくる。 鮭の栄養成分には何かあるんだろうか? 多分そうだろう。 でないと鮭のようにはなれないんじゃないかな?

それと今の日本という国は、何か穏やかに流れていく川のようで、その川を泳ぐ魚のようだと思う。 穏やかというのは、島国だからか、戦争に巻き込まれ難く、今のところ平和が保たれている。 だが、もうじき再びアメリカではトランプ政権が始まる。 聞くところによると、トランプは「日本は日本で自国を守れ。 これからはアメリカを頼るな。」という、

メッセージをしているらしい。 なのでこれからの日本は軍事費に多額の予算を割くだろう

。 なにか世界中で戦争が起こっている。 これはマタイによる福音書24章で預言されている

とおりになってきた。 、、、、話を戻すと、その日本という穏やかに流れる川だけど、それに甘えて、自分がその流れに流されて、自分では何も考えない人が多いと思う。 少し考えれば、オカシイことだらけだと思う。 それはキリスト教社会、つまり教会の内部。 (にまで入り込んできた。 例えば、イエス様は弟子たちに「あなたがたは先生と呼ばれてはならない。」と言ったにもかかわらず、そんな簡単なことすら守らなくてもいい風潮がはびこっている。 これは信徒側の責任だ。 なぜなら信徒が「先生」という言葉を発するから、

その牧師は「先生」と呼ばれてしまうわけだ。 だから、これからはOO先生とは言わなで 、、、、、、、O O牧師、と言えばいい。 それじゃあ先生を尊敬していないじゃないか?

という意見が聞こえてきそうですが、果たしてそうでしょうか? ちゃんと牧師といって師

をつけているじゃないですか? それでも、物足りないとするなら、ハッキリ言わせてもらいますが、それは牧師の高慢です。 、、、、、、、、私は所属する教会で他の信徒がみな

、、、、「OO先生」と呼んでしますが、私だけは「OO牧師」と呼んでいます。 私は鮭のように反骨心がある存在でありたいです。

                             (113)   つづく

暖かく無関心なホッとする人(ベタニアへようこそ)5613話

15:31 D君(今日は先週の土曜日の続き、ぺテロ第一の手紙3章1節から書きます。)
1-3-1~同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。御言葉に従わない夫であっても
、妻の無言の振舞いによって、神の者とされるようになるためです。それは、あなたがたの、神を恐れかしこむ清い生き方を彼らが見るからです。あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りを付けたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人柄を飾りにしなさい。これこそ、神の
御前に価値あるものです。むかし神に望みを置いた敬虔な婦人たちも、このように自分を飾って、夫に従ったのです。例えばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。同じように、夫
たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻と共に生活し、
いのちの恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、哀れみ深く、謙虚でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず
、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。


                                    つづく

暖かく無関心なホッとする人(ベタニアへようこそ)5612話

14:28 D君(先ほどの鮭の話の続きを考えていた。、、、、人間は誰かの役にたっている時だけ、自分の存在意義を感じ、生きていなければと思い、また精神的に満足するのではないかと思う。、、、、それはそうなんだけど、それにはまず、自分が確立され、どんなにダメな自分でも生きていていいんだ。という自己肯定感が養われていないと、いつも自分と他者を比較する癖がついてしまう。他者は助ける存在ではなく、他者は蹴落とし、自分が優位に
立っていなければいけない。という癖がついている人が多い。なぜなら今の日本は競争社会
だから仕方ないかもしれない。中、高、大学、就職と受験で合格して上のステージに上れた
人だけが成功するシステムになっている。だから他人のことを考えてばかりいるお人よしは
、この世界では、のけ者にされやすい。
 今は、お金がすべての世の中だけど、パワーカップルで湾岸エリアの億もするマンションをローンで買う人が超勝ち組で、それを夢見る人が多いけど、彼らは勘違いしていると思う
。今は新NISAの株で大儲けして、資産を増やそうとしている人が多いと思うけど、お金の
ことばかり考えている人が本当に幸せなのだろうか?彼らはパソコン・スマホばかり見ているが、身近にいる困っている人を助けようとは思わないのだろうか?彼らはFIREなどを目指し、節約に節約で、他人のことなんて絶対考えない。今日食べるものもないひもじい人に
パンの一つも分けてあげない。、、、、実はそうするときだけ、本当の幸せがあることを彼らは知らない。彼らはただ貯金通帳の残高が増える時だけ、幸せがあると思っている。
 では、その価値が永遠に残るかというとそうではない。しかし、人を哀れんだことは永遠
に神の御前に価値として残る。
                                    つづく