1/8(水)12:03 D君(「人生はパズルのようなものだと思う。」どういう意味かと言うと
、最近になって、やっと過去の出来事が今になって、「なるほど、こういうことが起きるから、神様は前もって僕に予習させ、つらい所を通らせたんだと。」自分の10代後半を振り返ってみると、なんでこんな目にばかり遭わないといけないんだ。というハズレクジばかりの
青春だった。そんな暗いトンネルのような所を通って、この先もこんな退屈な日々は嫌だと
思っていた。、、、、そして20代に突入した。これからは退屈な日々を卒業して、何でも
新しい体験をして、人間としての幅を広げようとした。そのせいで悪い詐欺にもあった。
なぜなら疑うということをしなかったから。詐欺に遭うのは当たり前だ。良いものはほんの
一握りしかない。しかもそれは隠されている。考えてみてほしい。よく、この個人事業を
すれば必ず儲かります。なんていう儲け話がありますが、だったら「あなたがとその商売を
すればいいじゃないですか?」と言っても自分ではやろうとしない。その本心は教材を売りつけて、それで儲けようとする。詐欺を見破る方法は、逆質問すること。振り込め詐欺を
見破るには、例えば息子を装い交通事故などを起こしてしまったから、多額のお金が必要だ
。と親に泣きついてきたとしたら、どうする?、、、、その場合は相手を質問攻めにする。
それも一つや二つじゃなく、なん十個も用意する。パスワードのことを思い出してほしい。
簡単なパスワードは危険。できるだけ長く難解なパスワードは安全。、、、、相手を何十もの質問で相手が本当の息子かどうか?テストする。、、、、そうすればそのうち、答えられなり電話を切る。、、、、それをしないで2つや3つのテストで相手が本当の息子かどうか
調べるなんて危険すぎる。だいたい詐欺師もそのくらいの個人情報は予習している。でも、さすがに20も30もの個人情報は予習してないだろう。これは情報戦だ。
話がそれた。20代に入ってから今考えれば、「地獄の20代だった。でも体力と時間が
あったから、何とか乗り切れたんだと思う。振り返りたくない、よくあんなひどい目から
脱出できたと思う。あの時わかったことは、逃げる時は誰にも話さないで、いきなり姿を消して、人が何と思おうが、自分の命だけ大切にする。、、、、そうすれば逃げられる。よく
過労自殺する人のニュースがあるが、彼らはこの原則を守らなかったから、逃げられなかった。自分で自分の首を絞めるバカだ。、、、、この原則を守るにはローンをしないこと。
自分も20代のとき欲しい車があったが、2度とも現金一括で買った。またアパートを何回も引っ越した。家をローンで買ってみると、もうそこから逃げられなくなってしまう。どうしてある人はローンで家を買ってしまうのだろうか?自分が死んだら必要ないと思うんだが?
そんなこんなで地獄の20代を生き延びた。まさに生き延びるとはこういうことだろう。
でも今になって思えばそれは簡単には手に入らない、パズルのパーツのようなもの。
そのときには「なんて自分は貧乏くじを引いてしまったんだろうと、悲観していたかもしれないが、30代に入ってから事態は大返還する、というのは、困った事態になっても、「ああ
、あのとき自分はこういう目あったけど、それがかえって良かった。」と納得して、過ちを
犯さないですむ。、、、、これは過去の負の出来事がパズルのパーツとなって、困っている部分にピッタリと当てはまるようなもの。
(29) つづく
16:48 D君(最近なぜかハッキリした答えがよくわからないで悩んでいた。それは聖書には
、そう書いてあるのに、現代の教会では「それはそうだけど、今は違う、今はそうでなくても構わない。」と言う人もいるが、何とも消化不良のように、胃がむかむかしていたが、
今日、学んだペテロ第一の手紙1-25を読んだ、「しかし、主の言葉は、とこしえに変わる
ことがない。」(ペテロ1-1-25)は今の自分が求めていた御言葉だった。こんなにしっくり
する御言葉はない。自分が聖書にはそう書いてあるのに?と悩んでいるのは、マタイによる
福音書23-8の「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人しかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。」という御言葉です。しつこいようですが、この御言葉が前から気になってしかたありませんでした。が、ペテロの手紙の御言葉で、「その御言葉は聖書の時代も今も変わらなく、通用している。」と神様に言われているような気がします。正解というものは一つしかないと思います。変な話、ノンクリスチャン
の方がこのことに関しては、正解を言っていると思います。と言うのは、ノンクリスチャン
が、ある牧師と対面したとき、「こんにちはOO教会の牧師さん、~。」と言うと思います
。それに対して、クリスチャンは「こんにちはOO先生、~。」ですが、どうしてそう言うのでしょうか?、、、、それは無言のプレッシャーが牧師から発しているからだと思います
。しかし、そのことがどんなにイエス様を悲しまさせているか牧師さん考えたことがありますか?、、、、「しかし、あなたがたは~。」ですよ。その前にパリサイ人や律法学者を
散々非難していたイエス様が「しかし、あなたがたは彼らのように先生と呼ばれてはならない、~」と注意しています。しかもそう言ったのは、主が十字架に付けられる数時間前だったんですよ。そんな死の直前に言った、遺言のような言葉を軽く見てはいけないと思います
。これにはなにか嫌な力が働いているような気がします。
つづく
。
1/7(火)16:19 D君(今日は昨日の続き、ペテロ第一の手紙1章22節から書きます。)
1-1-22~あなたがたは、真理に従うことによって、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。あなたがたが新しく生まれたのは
、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神の言葉によるのです。「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草は
しおれ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに変わることがない。」とあるからです
。あなたがたに延べ伝えられた福音の言葉がこれです。
(17) つづく