2/21(金)16:33 D君(今日は昨日の続き、ヤコブの手紙4章10節から書きます。)
4-10~ 「主の御前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の
兄弟を裁く者は、律法の悪口を言い、律法を裁いているのです。あなたが、もし律法を裁くなら、律法を守る者ではなくて、裁く者です。律法を定め、裁きを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人を裁くあなたは、いったい何者ですか。聞きなさい。「今日か、明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、
儲けよう。」と言う人たち。あなたがたには、明日のことはわからないのです。あなたがたの命は、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから
消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主の御心なら、
私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」ところがこのとおり、
あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。こういうわけで、なすべき正しいことを知っていながら行わないなら、それはその人の罪です。
(30) つづく
16:04 D君(今日は昨日の続き、ヤコブの手紙4章1節から書きます。)
4-1~何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょうか。あなたがたのからだ
の中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、欲しがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。羨んでも手に入れることが出来ないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても
受け入れられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。
世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。それとも、「神は
、私たちのうちに住まわせた御霊を、妬むほどに慕っておられる。」という聖書の言葉が、
無意味だと思うのですか。しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えて下さいます。ですから
、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さいます
。罪ある人たち。手を洗い清めなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。あなたがたは
苦しみなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに
変えなさい。 つづく
2/20(木)8:26 D君(この御言葉は、現代のクリスチャン社会にはそぐわないから、そんなに気にしなくてもいい。、、、、はたしてそんなことがあっていいんだろうか?御言葉に
重要と、そんなに重要でない言葉の差があるのだろうか?私にはそういう人は、御言葉を
語られらた神様の上に、立っているように思えてならない。恐ろしいことだ。へブル13-8
には、こう書いたある。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。
」、、、、つまり、イエス様が語られた御言葉は、今から約2000年前であろうが、現在も
、これからも、永遠に通用する御言葉であって、その言葉に従わない人は最後の裁きで容赦
なく裁かれる。恐ろしいことだ。マタイ23-8「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはなりません。あなたがたの教師はただ一人しかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。」
ここにハッキリ書いてあります。指導者(牧師)の皆さん、まさかこの箇所を読んだことが
ないんでしょうか?もし、そうなら、ぜひ読んでください。信徒の方々も。
この御言葉は現代のクリスチャン社会にも通用します。通用するどころか、これに応じて
最後の裁きでイエス様に言い開きしなければいけない時が必ずきます。どうするんですか?
(27) つづく