嫌韓バカのネタ元・崔基鎬

嫌韓バカがよく引用する資料として、崔基鎬の本があります。
はっきり言って、参考文献もろくに示していない駄本なのですが、嫌韓バカは聖書の如くあがめ引用しまくります。


では、崔基鎬とはどんな人なのか?

以下のサイトに略歴がありました。

崔基鎬(チェ・ケイホ)氏 1923年生まれ。
明知大学助教授、中央大学、東国大学経営大学院教授を経て、現在、加耶大学客員教授

http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm

まあ、この程度の略歴なら、本に載っている略歴と変わりません。
これ以上の経歴は日本語のネット上では見つけられませんでした。生年から戦争末期には徴兵対象になっていてもよさそうなものですが、日本軍に徴兵されたのか?そうじゃないのか。戦後にしても、朝鮮戦争のときはどうしていたのか?(後述のサイトで、戦前は東京に住んでおり、年に1回はソウルに帰って映画館などにいける身分だったようです。)
この辺がさっぱりです。

別に隠していると言うわけでもないのでしょうけど・・・。

で、「加耶大学客員教授」ということですが、これは歴史の本の作者紹介として適切でしょうか?
実は加耶大学に、史学に該当する学科はありません。

http://www.kaya.ac.kr/japan/
金海キャンパス
警察行政学科
都市開発学科
社会福祉学科(昼/夜)
港湾物流学科
ホテル調理学科
コンピューター情報学科
言語治療聴覚学科
看護学科
眼鏡光学学科
放射線学科
作業治療学科
幼児教育学科
初等特殊教育学科

高霊キャンパス
社会福祉学科
社会福祉学科

崔基鎬がどの学科に所属するのかはわかりませんが、歴史を語る上で「加耶大学客員教授」という肩書きは大して意味がないように思えますね。
ちなみに加耶大学は1995年に校名変更するまでは「加耶窯業大学」で、さらに1993年以前は「大邱学園」という名前でした。



崔基鎬が日本で出した本はJUNK堂で検索した限り、4冊(他2冊あるが、前4冊中2冊を文庫本化したもの)で以下の通り。

書名 発行年
これでは韓国は潰れる 1999年10月
韓国堕落の2000年史 2001年10月
日韓併合の真実 2003年08月
日韓併合 2004年09月

何れ劣らぬ駄本なのですが、今回その指摘は置いておきましょう*1。

興味深いのは、最も早い「これでは韓国は潰れる」でも1999年出版であって、崔基鎬76歳ころの作という点です。
人それぞれではありますが、76歳に至ってからわざわざ日本で韓国誹謗の本を出版した動機が気になります。韓国が成立した1948年(崔基鎬25歳)、朝鮮戦争が事実上終結した1953年(崔基鎬30歳)、日韓国交成立した1965年(崔基鎬42歳)、韓国が民主化した1987年(崔基鎬64歳)、色々きっかけになる時期はあったと思いますが、なぜか1999年に崔基鎬は本を書いたわけです。なぜでしょうか?

人の心は想像することしか出来ませんが、それなりに説を組み立てる事はできます。

http://www2.odn.ne.jp/~aab28300/backnumber/04_12/tokusyu.htm
これを読むと、崔基鎬の北朝鮮嫌いがよくわかります。
そして、崔基鎬の本はいずれも、李氏朝鮮≒北朝鮮とみなして*2、それを叩き、さらに韓国を叩くことを目的としています。

李氏朝鮮への非難が、北朝鮮だけでなく、韓国にまで適用されるのはなぜか?

それは出版年前後の朝鮮情勢を考慮すれば見えてきます。


1997年、韓国史上初の選挙による与野党政権交代が生じ、それまでの与党・民主自由党(現・ハンナラ党)が野党に転落、金大中率いる新政治国民会議が与党となり、1998年2月金大中政権が誕生します。
金大中政権は、南北統一に向け太陽政策を推し進め、2000年には南北首脳会談が実現しています。

太陽政策については、離散家族の再開事業などの評価から若い世代に支持されましたが、一方で朝鮮戦争従軍者など長年の反共政策の中で育った高齢者層からは批判されています。

崔基鎬はまさにこの反共世代であり*3、その発言からも熱烈な反共主義者であることがわかります。
崔基鎬が太陽政策について苦々しく思っていた事は容易に想像できますが、韓国内において太陽政策批判を堂々と行うという選択はとらず、日本で嫌韓ロビー活動することを選んでいます。それが1999年の「これでは韓国は潰れる」の出版となります。

「これでは韓国は潰れる」1999年

「先進国の建設現場には技術があるが、韓国の建設現場には賄賂がある」 李朝時代の悪習と迷信が社会を蝕み、政治も司法も不正が横行する腐敗共和国を憂える韓国知識人の叫びを収録。
1章 1997年12月の「国恥」―指導者がでたらめだと、国民はどれだけ悲惨か
2章 「韓国 腐敗共和国」という汚名―韓国社会は「賄賂」がないと動かない
3章 「両班階級」復活の衝撃―韓国社会の悲劇は「利己主義」と「責任感」の欠如だ
4章 「韓国」社会風土の問題点―「韓国病」治療の処方箋とは、何か
5章 日韓関係の課題―金大中大統領が積極的な「韓日自由貿易構想」とは何か

[要旨]
IMF衝撃波から一年余、金大中大統領は、「財閥グループ」の解体、「腐敗防止法」や「人権法」の制定、庶民中心の社会をめざし、改革を推進している。しかし、韓国社会の病根は深い。賄賂で兵役を逃れ、政治も司法も不正が横行する。李朝時代の悪習と迷信が社会を蝕む。このままでは韓国は潰れてしまう―韓国知識人による衝撃のレポート。

いきなり第1章が「1997年12月の「国恥」」ですから、どんだけ金大中嫌いなんだよって感じです*4。
しかしまあ、「韓国の建設現場には賄賂がある」って、日本で言ってもねえ。談合や手抜き工事なんてのはバブル期日本では普通の話でしたし、箱物公共事業なんかはバブル崩壊後も続いて談合体質を温存しつつ財政を悪化させていたわけですから。

いずれにせよ、崔基鎬の執筆動機は反金大中ロビー活動と考えてよいでしょう。この日本語版出版を支援した勢力の意図も何となくわかりますね*5。



次に出されたのが、2001年10月の「韓国堕落の2000年史」であって、李氏朝鮮時代をこき下ろし、現代の北朝鮮は李氏朝鮮と同じだと決め付け、北朝鮮と協調外交路線をとる韓国金大中政権を誹謗する、という三段論法になってます。これが崔基鎬の基本姿勢になってます。
嫌韓バカは、この中の李氏朝鮮時代に対する崔基鎬の罵詈雑言を検証もせず鵜呑みにして、差別に用いるわけですが、正直言って参考文献の記載すらろくにない出もとの怪しい記述を鵜呑みに出来る神経は信じがたいものがあります。普段、韓国人は嘘つきだとか決め付けている嫌韓バカが、都合のいい記述であればそのまま信じ込んでいるわけですからね。
特筆すべきは、閔妃の浪費についてですが、”祈祷に国家予算の6倍使った”とか嫌韓バカがよく使うデマの大本がこの本です。ちなみに、浪費額についての根拠は全く不明です。おそらくは噂レベルの話を崔基鎬が継ぎ合わせた結果(多分、山の峰にいくら捧げた、という話と山にはこれだけの峰がある、という話をつなぎ合わせたんじゃないかなあ・・・)だとは思いますが・・・。
閔妃が祈祷で浪費していた話そのものは有名で、角田房子の「閔妃暗殺」にだってそのような記述はあります。なので、閔妃の浪費を揶揄したいのなら「閔妃暗殺」から引用した方がよほど説得力があるのですが、嫌韓バカは「閔妃暗殺」をフィクションだと主張し*6、崔基鎬も「閔妃暗殺」を「日本のおろかな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いた」と己の礼儀と人間性に問題あることを如実に示す自爆コメントをしてます。

崔基鎬も嫌韓バカも人間性に障害を抱えているという点で一致しているようですね。崔基鎬の場合は特に70年も齢を重ねながらその程度の人間性にしか到達しなかったというのは、ある意味で悲哀を感じさせます。日暮れて道遠しというか、それ以前に道を間違っているような気もしますが。


2003年と2004年は、既に金大中政権から盧武鉉政権に移ってますが、金大中と同じく民主党だからか、崔基鎬の反韓国政府感情は変わらず、「日韓併合の真実」「日韓併合」と立て続けに真実とは程遠い嫌韓ロビー本を出しています。
内容については余裕があればそのうち突っ込んでみます。

簡単に言うと、韓国併合によって利益を得た韓国人もいるにはいました。土地調査事業などで土地を手に入れた不在地主や日本軍関連の仕事をした人たちで、旧両班系の人たちです。”李氏朝鮮時代は両班による過酷な支配があった”、”日本が身分差別をなくした”とか嫌韓バカは主張していますが、皮肉なことにその両班が日本の後ろ盾を得て特権階級として継続したわけです*7。
日本支配下でソウルだけは発展しますが、その利益を享受できたのはソウル近郊の市民、とりわけ官僚などの職についた両班たちです。そういう人たちは、日本人との関わりも深いため日本語もよく出来ます。
日本よりはるかに少ない数ながら植民地朝鮮にも映画館がありました。利用したのは、在朝鮮日本人や一部の裕福な朝鮮人でした。崔基鎬はその一部の裕福な朝鮮人の家庭に生まれています。

戦前から東京にいた私は、年に1〜2回はソウルとか当時の平壌に行きました。その当時の韓国人は日本人以上の日本人です。劇場に行くと映画の前にニュースがありましたが、例えばニューギニアで日本が戦闘で勝利をおさめたという映像が流れると、拍手とか万歳が一斉に出ます。
  私は劇場が好きで、日本でも浅草などに行って見ていましたが、韓国で見るような姿はごくわずかです。韓国ではほとんど全員が気違いのように喜びます。それは当時としてごく普通の姿ですから、特別に親日ということではありません。だから基本的に親日派という言葉はないのです。それを無理やり「親日派」という言葉のレッテルを貼って糾弾する。それが今の韓国で、政治的にやられていることです。

戦後日本で一部の金持ちがアメリカかぶれになっていたように、崔基鎬も日本かぶれの朝鮮人だったわけです。彼の目には朝鮮の民衆の姿は映っていないし、おそらく日本の民衆の姿も映っていないでしょう。
だからこそ、金大中政権を嫌ったのはないでしょうか。


あと、調査不足かも知れませんが、2008年に李明博政権が誕生してからは新規の執筆などはないようです・・・。まあ、年のせいかもしれませんけどね。


結論。
崔基鎬の本を引用している時点で、その主張の信頼性が著しく低下する。

*1:参考文献など記述の根拠となる資料がほぼ全く明記していない時点で資料的価値は皆無に近い。せいぜい2000年ごろに根拠もなく韓国を非難し日本を擁護する韓国人がいたことを示す程度。

*2:合理的な理由や論証はない。

*3:とは言え、この世代全てが反共というわけではないでしょうが・・・

*4:金大中はどちらかと言えば労働者側の政治家ですが、政権についてからは距離を置くようになってます。現実的な政治感覚とも日和ったとも言えます。

*5:日本にとっては旧軍事政権系(特に鶏林会系)の政府の方が都合がいい、と考えているようだが・・・。

*6:ちなみに新潮社の分類はノンフィクションです

*7:もちろん全ての両班ではありません。在地両班などはこういう特権から外れています。