監視スタディーズ 「見ること」「見られること」の社会理論
『監視スタディーズ 「見ること」「見られること」の社会理論』
監視カメラに、ある人々はオーウェルの「ビッグ・ブラザー(小説『1984年』)」の亡霊を見、またある人々は、同じ装置にフーコーが示す規律の破滅的な力が宿っていると恐れる。
ほとんどの場合、ほとんどの文脈で、人々は監視に従う。システムが合法的で必要性があるとして受容されてしまえば、誰かがこれに疑問を持つ状況は生まれにくくなる。
大勢が数人を見るというテレビの「シノプティコン」が、数人が大勢を見る「パノプティコン」と並行して存在し、前者が後者を再生産しているのだ。
規律社会において、監視は個人を表示する「署名」と、群れの中で個人の位置を表示する「数」という両極の間に存在する。しかし管理社会では、パスワードとしての「暗号(コード)」が両者を包括する。
いかなる意味でも、サイバースペースが「規制のない空間」だと考えることは、大きな間違いである。
監視機器の審美的なデザインに焦点が置かれるようになり、監視の強制性は協調的な外観に埋め込まれ、意識されにくくなった。これがまさに、柔らかい監視である。
D・ライアン『監視スタディーズ--「見ること」「見られること」の社会理論』岩波書店、読了。発達する監視・管理システムは、自由や平等をどのように侵食しているか。一方的な眼差しはすでに過去のもの。現代は、双方向から主体的「参加」へという流れ。本書の報告と分析に戦慄する。
— 氏家法雄 (@ujikenorio) 2012, 6月 18
デイヴィッド・ライアン『監視スタディーズ』を読んでいるのだが、いま、日本の視覚文化研究系の方々で、監視問題に精通している人って、どれくらいいるんだろ。天ぷらスワンとかインコミでよく書いてた頃は、監視問題について結構書たんだけど、私は錆び付いちゃったな。
— 土屋誠一 (@seiichitsuchiya) 2013, 5月 23
『監視スタディーズ 「見ること」「見られること」の社会理論』
デイヴィッド・ライアン
岩波書店
『ミニ特集:社会学で語られる本 海外』
『ミニ特集:社会を調べる本』
『ミニ特集:ものごとの調べ方、取材の本』