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東日本大震災から一年。

私は福島県ひらた中央病院の
WBC(ホールボディカウンター)測定室で
検査の順番を待っていた。

検査衣を来て、髪を覆うカバーをつけた我が子が、
「今何時?」と聞いてきた。
時計を見ると、14時40分を過ぎていた。
間もなく廊下から静かな声で「震災後一年の黙祷を行います」と
アナウンスが聞こえた。

静かに黙祷した。

「一年後のこの日に、ここで黙祷って、記念になるね」
というと、我が子は無言でうつむいたままだった。
そうだよね。
この一年。いろんなことがありすぎた。


2011.3.11,14:46分。
私は年度末の残務、会計簿の事務処理をしていた。
かたかた・・・
ん?地震?と思った瞬間、突然「がたがたがた。。。。」と
揺れ出した。
今までに経験したことのない揺れだった。
保健室の衝立が全部室内を車の様に動き出し、
棚の上の物が落ち始め、デスクの引き出しが開くどころか
職員机が動き出した。
「これは中にいたら危険」とっさにそう思い
ゆれでふらつきながら、やっとのことで中庭にでた。
一階は1年教室がある。誰も出てこない。
「きゃー」という悲鳴とも泣き声ともつかない声がかすかに聞こえる。
一階の人は外に出た方が安全なのに(もぐった机ごと揺れていた)・・・
と思い呼びに行こうとするが、もう立ち上がれない程の揺れ。

上を見ると、私が座った中庭の頭上には特に落下物はなさそうだ。
でも、電柱も電線も揺れている。
4階に取り付けられたスピーカーが揺れて落ちてこないかちょっと心配だった。
揺れは結構長かった。

少し揺れがおさまり、校庭への避難が始まった。
救急薬品を持ち、児童名簿を持ち校庭へ避難した。
ここまでは、避難訓練と同じ。

校庭では低学年の児童が大泣きしていた。
「大丈夫、大丈夫」と肩を抱き落ち着かせたが、大きな余震が何度も来て
泣き出す子どもたち・・・。
雪も降り始め、3月とはいえ福島市の校庭はとても寒い。
児童は、上着も着る暇無く避難して来た。
(その後毛布などをとりに何度も校舎を行き来した。)

全児童の傷病の確認をした。けが人や病人はいなくてほっとした。
人員確認もして出席者全員が無事だった。
職員の一人が「ものすごい津波らしい。」もう一人の職員が【原発大丈夫かな】とつぶやいた。
やめて~そんな話し聞きたくないと思った。
その時には、こんな過酷な状況に、この先なっていくなんて、考えもしなかった。

児童の引き渡しが終わった頃はあたりは暗くなっていた。
停電の為信号が消え、帰り道は渋滞だった。
そんな体験初めてだった。
夕食が無いので開いていたコンビニに入った。
私の番で、自家発電が消えレジが使えなくなった。
電気も消えて車のライトを店内に向けていた。
電卓で計算してもらいなんとかその日の食料が買えて家に着いた。

我が子は無事だった。停電なのに懐中電灯もなく義理父母に借りた。
お部屋は足の踏み場が無いほど
物が散乱して壊れていた。スリッパ無しでは歩けない。
ファンヒーターも勿論つかないので、懐中電灯の中コンビニで買った物を食べ
布団にくるまって寝た。

12日断水なので、水汲みと食料調達で夜になった
(この時もうベントしていたなんて全く知ることもない)
電気が夜ついて、19時のNHKニュースで福島第一原発のニュースを見た。
気が動転した。主人は単身人で地震時は無事だったがその後しばらく停電で安否確認さえ出来なかった。
原発事故からが、長い長い恐怖と哀しみの始まりだった。。。


東日本大震災はいろいろな事を私達に考えさせるものとなった。
危機管理意識・災害時の対応の仕方・災害時の備え。
なんとお粗末だったことか。

津波時は「なるだけ速く、なるだけ遠くに、なるだけ高台に」
原発は、最悪の事態を想定しての危機管理体制、対応。
各、関係機関の連携・専門家の選定・諸外国との連携。
その前に、原発その有無、使用の是非。
これを機にクリーンエネルギー使用がすすめばいい。

これから先、何十年にも及ぶ不安、やもう取り戻せないかもしれない生活。
失うものが大きすぎるこの事態。
  
犠牲になったものの上に成り立つこの事態。
この辛く哀しい現実が、これから先、生かされていく状況になれば、
少しは救われるというものだろう。


私達の次に待っていた、1年生位の女の子とその父母。
検査用キャップをかぶる娘さんを見て、父親が「給食のおばさんみたいだな」と言った。
女の子は「いやだ~」とぷんぷん怒っていたが、私は吹き出してしまった。
このお父さんみたいに、こんな状況でも笑いにかえていけるんだな~。
女の子はこの検査の意味はわからないのだろう。何年後かに気づくだろう。


我が子はある程度わかっているので、複雑な顔だったけれど。
「一年後の記念日になるね」なんて言われたって、いろいろ思うところがある様だけど。


でも、この女の子の父親位、余裕でなんでも笑顔にかえていけたらな・・・と
支援してくださる皆さんを思い出して思った。
辛いとき人との繋がり支援、絆ってなんてこころに響くのだろう。

前を向かなければ。

それでも生きて行くのだから。

生きて行く意味も深く考えさせられた一年そして、この日だった。
2012.03.11 / Top↑
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