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「真田丸」では、真田丸の戦いはどう描かれるだろう

2016-01-09_223235s.png 昨日予告した「歴史秘話ヒストリア~徹底解明! これが“真田丸”だ」について。

NHKは、このドラマを絶対に失敗させないという意気込みでだろう、さまざまなプロモーション(関連)番組を放送しているが、出色なのは、年明けに放送されたこの番組である。

昨年の調査で初めてわかった真田丸の位置(大阪市天王寺区餌差町周辺)、そしておそらくこうであったろうという真田丸の構造、徳川軍が大損害を受けた戦いの様子が、見事に説明されていた。

2016-01-09_223921s.png 真田丸の位置推定は、地下探査レーダーと、終戦直後の米軍の航空写真による立体視での地形確認。
さらに、それによって推定された場所の現在の街の様子から、真田丸の当時の状況―堀、天然地形、建造物(寺)が符合することから、まず位置は間違いないということである。

昨日見た民放の歴史番組でも、真田丸の位置はこの説がとられていた。


そして、この新しい知見により、真田丸の姿、真田丸での戦いの様子が、見事に解き明かされる。
2016-01-09_213307s.png ポイントは、
  • 真田丸の戦いは野原ではなく、町なかで行われたこと
  • 真田丸は既存の寺と天然の断崖を取り入れた構造であったこと
  • 真田側は長距離の鉄砲を保持していたこと
ということであった。


2016-01-09_213352s.png 番組中でも言われていたが、従来は真田丸の戦いのシーンは野原の先にあるむき出しの砦へ向けて、徳川の騎馬・歩兵が各方位から一斉に突撃するように描かれることが多かったが、この新しい説によると、町の建物の間の狭い通りをひしめきあって真田丸へ攻め寄せ、堀に落ち、行き止まり、狙い撃ちされるという戦い(というかなぶり殺し)になる。

そういう状況なのに突っ込んだ徳川軍の将は、あまりに凡愚と思うけれど。
もっとも、初日に1万を超える損害を出してからは、塹壕戦に移行したわけで、そうそう失敗を繰り返したわけではないようだが。


2016-01-09_213540s.png また、番組終盤では、夏の陣がとりあげられ、冬の陣では家康が本陣を置いた茶臼山が、今度は信繁の本陣として、しかも真田丸の再現を狙って整備されたという。冬の陣の真田丸のように、先鋒をはやらせ、手薄になった家康本陣を衝く作戦だったという。

見方の統制がとれない動きのために失敗したわけだが、もし成功していたら、失敗でも家康に肉迫したわけだから、ひょっとしたら家康の首をとったかもしれない。

さて、「真田丸」では、この戦いを野原での戦いとして描くのか、それとも新設に従って町なかの戦いとして描くのか。
その答えは年末のお楽しみだ。

最後に、この新事実は昨年の調査で明らかになったわけだが、この調査はたまたま昨年に行われたのだろうか、それとも「真田丸」が大河ドラマになったから行われたのだろうか。

番組では調査風景も収録されているから、NHKが企画、あるいは何らかの寄与をしたのだと思う。
これも大河ドラマの功である。


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新説・真田丸

珍も観ました。従来の説であった「真田丸は大坂城の弱点を補う防御陣地」ではなく、攻撃拠点であるという説はデータに基づいているだけに説得力ありますね。実際の位置がこれまでの通説より西にずれているわけですから、明星学園をぜひ掘り返してもらいたいですな。遺構が出てきたら確定できるのでは?

珍は昨年末から番組にも出ておられた千田嘉博氏の著書「真田丸の謎~戦国時代を「城」で読み解く」(NHK出版新書)を遅々と読んでおりまして、そこにはさらに、なぜ孤立無援の真田丸を造ったか(造らざるを得なかったか)などの背景も含め、今回の番組をより深める内容です。もし六二郎さまが未読で、ご興味おありなら来月某会にお持ちいたしましょうか?(さすがに読み終わってると思いますので)

それにしても番組後半で、夏の陣真田軍の茶臼山陣地を真田丸と見なすあたりは白眉でした。西軍の珍といたしましても涙もの。秀頼公もお喜びなのでは?(笑)それだけに返す返すも信繁の思惑通りに進んだ結果を見てみたかったです。

Re: 新説・真田丸

やはり見ておられましたか。
NHKに限らず、他局も便乗企画が多くて、これはこれで嬉しいですね。
千田嘉博氏の本は「信長の城」(岩波新書)を読みましたが、シャープかつ解りやすくて良かったですね。
「真田丸の謎~戦国時代を「城」で読み解く」も是非読みたいと思います。某会までに私が読んでいなければ、お借りしたいと思います。

> 明星学園をぜひ掘り返してもらいたいですな
憎くて憎くてたまらない徳川が徹底的に破壊したと思いますから、遺構が出ても遺物は何にも出そうにないですが。

信繁は、敗者の美学などではなく、大真面目に家康の首をとることを考えていたと思います。それさえできれば小が大を呑みこめると。
これは、当時の徳川支配の充実度(つまり諸侯の掌握度)はまだまだだという判断がなければ成り立ちません。三谷脚本が、敗者の美学路線でいくのか、計算づくの乾坤一擲の勝負路線でいくのか、これも興味がつきません。
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