あいをかたるのならそのすべてはこのうただ
- 2019/04/09
- 00:55
有名なボカロPがバンドを組んでデビューするらしい。そんな話を聴いた時はすでにハチは米津玄師になり、石風呂はコンテンポラリーな生活になっていた。しかしながらボカロというものを全く聴いていなかった自分は、現実逃避Pという名前を聴いて「なんじゃそら」としか思っていなかったし、「歌えない人だからボカロで音楽作ってるのかな」という偏見にまみれた目でwowakaという名前の男を見ていた。
しかしwowakaという男の組んだヒトリエというバンドはすぐにロック系の雑誌やスペシャなどのメディアで紹介されたことで、デビューと同時にその音楽に触れることができたのだが、第一印象は
「いかにもボカロの音楽をバンドでやっている、という感じだな」
というあまり良くないものであった。これを人力で出来るのはすごいな、という演奏技術の高さこそすぐにわかったけれども。
デビューしてもすぐにライブをしなかった米津玄師と違い、ヒトリエはすぐに小さいライブハウスでライブをするようになっていた。ボカロP云々ではなく、一つのロックバンドとして。階段を飛ばさずに他のバンド同様に地道に実力をつけて、徐々に会場を大きくしていく。それが1番バンドとして強くなる方法であるということをきっとwowakaもシノダもイガラシもゆーまおもわかっていたのだろうし、そうしてライブハウスで生きることを選んだのがヒトリエが様々なバンドと今でも対バンしまくっているという交友関係の意外なほどの広さにもつながっている。一見全然タイプが違う、a flood of circleやビレッジマンズストアというロックンロールバンドたちからもヒトリエは信頼されていたし、イガラシが忘れらんねえよでベースを弾くようになったのもまた然り。
そんなヒトリエはすぐにフェスからも声がかかるようになる。しかし最初に出演したCOUNTDOWN JAPAN 13/14のASTRO ARENAでは観客が全く集まらないという苦渋を舐めることになる。実際、多分数えようとすれば数えられるであろうくらいに人は少なかった。まだロックファンに存在が浸透しているとは言えなかったし、何よりも「ボカロPがやってるバンド」という色眼鏡で見られているように感じていた。
それでも夏のROCK IN JAPANなどにも精力的に出演し、翌年のCOUNTDOWN JAPANでは
シノダ「去年の50倍くらいは人が来ている」
wowaka「いや、100倍はいるよ」
と確かな手ごたえを感じていたようで、凄く嬉しそうにしていた。
とはいえ、まだこの時期までは「ひたすら速くてひたすら上手い」というくらいの、まだボカロ音楽の延長線上のライブをしていたような感じだった。だから自分は「知らない人が見たら全曲同じように感じてしまうかもしれない」と当時のレポにも書いていた。
しかしそれは徐々に変わっていく。年数を経て、数えきれないくらいのライブを重ねたことで、ヒトリエは「元ボカロPのwowakaのバンド」から「wowakaとシノダとイガラシとゆーまおのバンド」にしっかりと変化・進化を果たしていた。
それがもっとも顕著に感じられたのは、COUNTDOWN JAPAN 17/18。初出演時に全く埋まらなかったASTRO ARENAがスタンド席まで埋め尽くされた景色を見てwowakaは
「最初にこのフェスのこのステージに出た時、全然人がいなかった。でも今はこんなにたくさんの人が見に来てくれて…。我ながらよくやってきたな、って」
と感慨深そうに口にしていたし、何よりもそのライブからはそれまでとは比べ物にならないくらいの人間らしさがあふれ出ていた。ステージを縦横無尽に駆け回るシノダ、ステージに後ろから倒れこみながらなおもベースを弾くイガラシ、クールなイメージを塗り替えるくらいに汗を飛び散らせてドラムを叩くゆーまお。そして
「初めて、愛を歌おうと思った」
と言って「アンノウン・マザーグース」を歌ったwowaka。
実際に初期の少女性の強いフィクション的な歌詞から、人間そのものを歌うような歌詞にヒトリエの曲は変わってきていた。人間そのものということはそれはwowakaのことであり、シノダのことでもイガラシのことでもゆーまおのことでもある。そしてこうして音楽を聞いたりライブを見たりしている我々のことでもある。その音楽を誰に向けて作っているのかという視点の変化は間違いなく目の前に自分たちの存在や音楽を求めてくれる人たちがいるからこそのものだし、それがヒトリエというバンド自体の構造も変えた。ただ上手いだけじゃない、その音や姿から演奏している人がどういう人間なのか、音楽で何を伝えたいのか、ということを届けられるバンドになっていた。
そしてその変化は昨年末のCOUNTDOWN JAPANでさらに極まっていた。年越し寸前のMOON STAGE。かつてガラガラだったのが嘘のように踊りまくる超満員の観客。
でもその状況に至るまでにはやっぱりボカロP時代からwowakaの音楽を聴いていた人がいて、そういう人たちが
「ヒトリエが出るから初めてフェスに行ってみる」
と言って観客がいなかった時代からこのバンドを支えていたからだ。実際に自分も米津玄師を介して知り合ったヒトリエのファンの方からヒトリエがどんなバンドで、どんなメンバーたちなのかというのを教えてもらったこともある。
そんな中でwowakaはMCで、
「俺はまだ人間を諦めたくない」
と口にしていた。機械が歌う音楽を作っていた男が口にした言葉だからこそ、今でもその言葉を口にした時のwowakaの表情は本当によく覚えている。その後にバンドの演奏の熱さに我慢できずに禁止されているダイブをした観客の姿も。
4月8日。2日前からツアーを中止していたヒトリエが、wowakaが亡くなったことを発表した。正直、「メンバーの都合により」という中止発表時点で嫌な予感はしていた。これまでにも何度もそういうことを経験してきたから。当たらなければいいと思っていたし、そんなことを予想するのは不謹慎だと思っていたから、そんな話をすることもしなかった。
突然の終わり。「人間を諦めたくない」と言っていた、諦めなかった先に何が見えていたのか、我々はもう知るよしもなくなってしまった。残るのは寂しさや悲しさばかり。でもそういう時にバンドの音楽を聴くと、後ろ向きになっていられないと思う。音楽は人を生かすためのものだから。フジファブリックやDragon Ashなど、悲しい別れを経験したバンドたちから何度も生きていくことの素晴らしさや美しさを見せてもらった。残された方は生きるしかない。だからこれからシノダとイガラシとゆーまおがどう生きていくのか。それを見守り続けなくてはいけない。どんな形であれ、彼らが音楽を続けることがヒトリエというバンドの音楽を繋いでいく。そしてwowakaの作った音楽に影響を受けた人が自分の音楽の中にwowakaの遺伝子を受け継いでいく。もうwowakaが作る新しい曲を聴くことはできないけれど、そうやってwowakaという音楽家はたくさんの人の中で生き続けていく。
「今、初めて言います。2月にアルバムが出ます。凄くいいものができたんで、楽しみにしていてください。こうしてライブを見にきてくれるみんなに、最初に言いたかった」
とCOUNTDOWN JAPANのステージから去る時にwowakaは口にした。それは画面の向こうの顔が見えない存在ではない、目の前で音を鳴らし、目の前で歌うバンドマンの姿そのものだった。
亡くなったニュースが出た後に、自分が普段からライブを見に行っているバンドマンたちが数えきれないくらいにwowakaについて口にしていた。リツイートではボカロPやネットで音楽を作る人たちのコメントが流れてきた。ああ、ボカロとかバンドとか、そうした不必要な枠組みを壊したのはwowakaでありヒトリエだったんだ。それはバンドという生き方を選んだからこそ、成し遂げることができたことだ。
「音楽が好きなんだよなぁ」
「世界が苦手だけど人間が好きなんだ」
wowakaがツイートしていたこの言葉たちは、ヒトリエというバンドがステージから放っていたメッセージそのものだった。出会うことができて、幸せだったよ。
しかしwowakaという男の組んだヒトリエというバンドはすぐにロック系の雑誌やスペシャなどのメディアで紹介されたことで、デビューと同時にその音楽に触れることができたのだが、第一印象は
「いかにもボカロの音楽をバンドでやっている、という感じだな」
というあまり良くないものであった。これを人力で出来るのはすごいな、という演奏技術の高さこそすぐにわかったけれども。
デビューしてもすぐにライブをしなかった米津玄師と違い、ヒトリエはすぐに小さいライブハウスでライブをするようになっていた。ボカロP云々ではなく、一つのロックバンドとして。階段を飛ばさずに他のバンド同様に地道に実力をつけて、徐々に会場を大きくしていく。それが1番バンドとして強くなる方法であるということをきっとwowakaもシノダもイガラシもゆーまおもわかっていたのだろうし、そうしてライブハウスで生きることを選んだのがヒトリエが様々なバンドと今でも対バンしまくっているという交友関係の意外なほどの広さにもつながっている。一見全然タイプが違う、a flood of circleやビレッジマンズストアというロックンロールバンドたちからもヒトリエは信頼されていたし、イガラシが忘れらんねえよでベースを弾くようになったのもまた然り。
そんなヒトリエはすぐにフェスからも声がかかるようになる。しかし最初に出演したCOUNTDOWN JAPAN 13/14のASTRO ARENAでは観客が全く集まらないという苦渋を舐めることになる。実際、多分数えようとすれば数えられるであろうくらいに人は少なかった。まだロックファンに存在が浸透しているとは言えなかったし、何よりも「ボカロPがやってるバンド」という色眼鏡で見られているように感じていた。
それでも夏のROCK IN JAPANなどにも精力的に出演し、翌年のCOUNTDOWN JAPANでは
シノダ「去年の50倍くらいは人が来ている」
wowaka「いや、100倍はいるよ」
と確かな手ごたえを感じていたようで、凄く嬉しそうにしていた。
とはいえ、まだこの時期までは「ひたすら速くてひたすら上手い」というくらいの、まだボカロ音楽の延長線上のライブをしていたような感じだった。だから自分は「知らない人が見たら全曲同じように感じてしまうかもしれない」と当時のレポにも書いていた。
しかしそれは徐々に変わっていく。年数を経て、数えきれないくらいのライブを重ねたことで、ヒトリエは「元ボカロPのwowakaのバンド」から「wowakaとシノダとイガラシとゆーまおのバンド」にしっかりと変化・進化を果たしていた。
それがもっとも顕著に感じられたのは、COUNTDOWN JAPAN 17/18。初出演時に全く埋まらなかったASTRO ARENAがスタンド席まで埋め尽くされた景色を見てwowakaは
「最初にこのフェスのこのステージに出た時、全然人がいなかった。でも今はこんなにたくさんの人が見に来てくれて…。我ながらよくやってきたな、って」
と感慨深そうに口にしていたし、何よりもそのライブからはそれまでとは比べ物にならないくらいの人間らしさがあふれ出ていた。ステージを縦横無尽に駆け回るシノダ、ステージに後ろから倒れこみながらなおもベースを弾くイガラシ、クールなイメージを塗り替えるくらいに汗を飛び散らせてドラムを叩くゆーまお。そして
「初めて、愛を歌おうと思った」
と言って「アンノウン・マザーグース」を歌ったwowaka。
実際に初期の少女性の強いフィクション的な歌詞から、人間そのものを歌うような歌詞にヒトリエの曲は変わってきていた。人間そのものということはそれはwowakaのことであり、シノダのことでもイガラシのことでもゆーまおのことでもある。そしてこうして音楽を聞いたりライブを見たりしている我々のことでもある。その音楽を誰に向けて作っているのかという視点の変化は間違いなく目の前に自分たちの存在や音楽を求めてくれる人たちがいるからこそのものだし、それがヒトリエというバンド自体の構造も変えた。ただ上手いだけじゃない、その音や姿から演奏している人がどういう人間なのか、音楽で何を伝えたいのか、ということを届けられるバンドになっていた。
そしてその変化は昨年末のCOUNTDOWN JAPANでさらに極まっていた。年越し寸前のMOON STAGE。かつてガラガラだったのが嘘のように踊りまくる超満員の観客。
でもその状況に至るまでにはやっぱりボカロP時代からwowakaの音楽を聴いていた人がいて、そういう人たちが
「ヒトリエが出るから初めてフェスに行ってみる」
と言って観客がいなかった時代からこのバンドを支えていたからだ。実際に自分も米津玄師を介して知り合ったヒトリエのファンの方からヒトリエがどんなバンドで、どんなメンバーたちなのかというのを教えてもらったこともある。
そんな中でwowakaはMCで、
「俺はまだ人間を諦めたくない」
と口にしていた。機械が歌う音楽を作っていた男が口にした言葉だからこそ、今でもその言葉を口にした時のwowakaの表情は本当によく覚えている。その後にバンドの演奏の熱さに我慢できずに禁止されているダイブをした観客の姿も。
4月8日。2日前からツアーを中止していたヒトリエが、wowakaが亡くなったことを発表した。正直、「メンバーの都合により」という中止発表時点で嫌な予感はしていた。これまでにも何度もそういうことを経験してきたから。当たらなければいいと思っていたし、そんなことを予想するのは不謹慎だと思っていたから、そんな話をすることもしなかった。
突然の終わり。「人間を諦めたくない」と言っていた、諦めなかった先に何が見えていたのか、我々はもう知るよしもなくなってしまった。残るのは寂しさや悲しさばかり。でもそういう時にバンドの音楽を聴くと、後ろ向きになっていられないと思う。音楽は人を生かすためのものだから。フジファブリックやDragon Ashなど、悲しい別れを経験したバンドたちから何度も生きていくことの素晴らしさや美しさを見せてもらった。残された方は生きるしかない。だからこれからシノダとイガラシとゆーまおがどう生きていくのか。それを見守り続けなくてはいけない。どんな形であれ、彼らが音楽を続けることがヒトリエというバンドの音楽を繋いでいく。そしてwowakaの作った音楽に影響を受けた人が自分の音楽の中にwowakaの遺伝子を受け継いでいく。もうwowakaが作る新しい曲を聴くことはできないけれど、そうやってwowakaという音楽家はたくさんの人の中で生き続けていく。
「今、初めて言います。2月にアルバムが出ます。凄くいいものができたんで、楽しみにしていてください。こうしてライブを見にきてくれるみんなに、最初に言いたかった」
とCOUNTDOWN JAPANのステージから去る時にwowakaは口にした。それは画面の向こうの顔が見えない存在ではない、目の前で音を鳴らし、目の前で歌うバンドマンの姿そのものだった。
亡くなったニュースが出た後に、自分が普段からライブを見に行っているバンドマンたちが数えきれないくらいにwowakaについて口にしていた。リツイートではボカロPやネットで音楽を作る人たちのコメントが流れてきた。ああ、ボカロとかバンドとか、そうした不必要な枠組みを壊したのはwowakaでありヒトリエだったんだ。それはバンドという生き方を選んだからこそ、成し遂げることができたことだ。
「音楽が好きなんだよなぁ」
「世界が苦手だけど人間が好きなんだ」
wowakaがツイートしていたこの言葉たちは、ヒトリエというバンドがステージから放っていたメッセージそのものだった。出会うことができて、幸せだったよ。