amazarashi LIVE 360° 「虚無病」 @幕張メッセイベントホール 10/15
- 2016/10/16
- 22:27
「スターライト」で1人になっても生きていく希望を、前作「世界収束二一一六」ではその生きている世界を終わらせることをそれぞれ1枚のアルバムで描き切って見せた、amazarashi。
今週リリースの最新ミニアルバム「虚無病」を引っさげての幕張メッセイベントホールでのワンマンは初の360°ライブ。過去には3Dライブも行っているが、アルバムの内容とリンクする物語を果たしてどんな形で提示するのか。
本当にイベントホールの中央にステージが組まれ、ステージは四方を細かい格子状の枠で囲まれており、まるで鳥かごのよう。
中の様子ははっきりとはわからないが、この段階でこれまでのライブとはやはり全く違うということがわかる。
開演時間の17時を過ぎると場内が暗転し(映像を使うということもあって本当に真っ暗)、ステージを囲む枠に最初に映し出されたのは、今回の物語の鍵を握る存在である、新興宗教「涅槃原則」の代表キャラ「クニヨシ」。クニヨシが涅槃原則を信じよ、という演説を行うと、テレビの放送中止画面に切り替わり、映像が消えてステージには秋田ひろむ(ボーカル&ギター)の姿が。椅子に座って「虚無病」に付属の小説「涅槃原則」の序章とでも言うような虚無病についての報告を朗読し始める。すでに小説を読んでいるため、朗読の内容は小説と全く同じであるということがこの段階でわかり、これからの展開はある程度読める。
ちなみに今回のタイトルである「虚無病」とは、発症すると無気力、というかもはや会話も行動もすることができなくなってしまう、廃人化と言ってもいいような状態になってしまう病気であり、インターネットやテレビなどの言葉を媒介にして感染することが確認されているという設定。初めて感染が確認されたのは2016年10月15日、つまりこのライブが行われた日である。
すると曲の歌詞の映像が映し出されていく、今回のライブのタイトル曲である「虚無病」からライブはスタート。ステージの真ん中から出ている音は非常に大きく、秋田の声もしっかりとワンマン最大キャパの会場の端々にまで届くようによく出ている。ちなみにこの段階では秋田とバンドメンバーは南側(アリーナS席)を向いて演奏している。
「季節は次々死んでいく」では今まではMVなどの映像が流れる中で演奏されてきたが、この日は天井にレーザー光線で歌詞を映し出すというスタイルで披露された。このようにこの後もすべての曲でこれまでの映像とは全く違う演出がなされていて、何度もライブで聴いてきた曲も新鮮な気持ちで聴ける。
ごく初期の「光、再考」ではステージを真っ白な光が囲む。その光が鮮やかでとても美しい。
4曲終わったところで小説の朗読。主人公のナツキ、一緒に暮らす友人のヒカル、サラの3人が虚無病が蔓延する世界で食糧を獲得するのが困難になったことにより、違う街に行こうとすることに。しかしこの家には虚無病患者であるヒカルの父親がおり、彼らはヒカルの父親を土に埋める(それはナツキとサラの両親をそうしたのと同じように)という選択をし、街を出て行く。という朗読がキャラが動く映像とともに行われる。
その朗読が終わってから演奏されたのは「穴を掘っている」。過去作の曲であるが、朗読の内容がまさに穴を掘るというものであるため、この小説とこのライブのために作られた曲かのよう。しかし内容のシリアスさに比して、スコップを持って踊る3人の映像はどこかコミカルで笑えてしまう感じすらある。
そしてこの日は朗読が終わるとステージの向きが90°変わるというスタイルになっており、タームによって演奏する角度が全く違うという、すべての方向の人が正面からも真後ろからもライブが見れるということになる。
「生きる意味とはなんだ 寝起き一杯のコーヒーくらいのもんか
それとも酔いどれの千夜一夜 ていうか二日酔いでもう吐きそうだ」
というフレーズがサビの「吐きそうだ」は
「こんな世界、そもそも生きる理由なんてないのにね」
という、この物語の中で何度も登場するセリフへのアンサーのよう。
少年少女の曲である「ジュブナイル」は主人公たち3人のテーマソングのように響き、「ヨクト」のアッパーなサウンドが旅に出る3人の背中を押すかのように鳴らされる。
4曲終わったのでここで再び小説へ。3人が移動の途中に食糧を求めて野良犬のように忍び込んだ家に、男が帰ってくる。この男が虚無病患者を仏と崇める新興宗教団体・涅槃原則の構成員である「タダノリ」。サラが空腹に耐えられなくて…と説明するや否や、タダノリは持っていたバットでサラの頭を振り抜き、サラは死んでしまうというあまりに重い展開になったところで、ステージの向きが90°変わって演奏へ。
直後に久々に演奏された「アノミー」は
「人を殺してはいけません あなたが殺されないように」
というフレーズが、サラを殺したことによって最終的に主人公たちによって殺されることになるタダノリに向けられたかのようで、過去曲がここまで最新の物語とリンクしていると秋田のあまりの構成力に驚嘆せざるを得ない。
普段は聖母の像の映像とともに演奏される「性善説」はこの日は涅槃原則の教典という内容で歌詞が流される。確かに歌詞の内容は宗教の教典と言ってもいいようなものであるため、この形で披露されても全く違和感はない。
秋田の言葉数の多さが凄まじいスピードで迫ってくる「冷凍睡眠」は殺されたサラに対してなのか、それともそのサラが殺された姿を見て立ちすくむナツキとヒカルに対してなのか。
そして普段の「炎」を活かした演出とは違って「光」を活かした「カルマ」は、タダノリがサラを殺した後に発した、
「彼女は救われた。これ以上カルマを積む必要もない」
という一言を曲にしたかのようだ。
小説は涅槃原則が中心になっていく。ナツキと、サラが殺されたことで虚無病になってしまったヒカルは涅槃原則の本部に連れて行かれ、ヒカルは仏と崇められ、ナツキは仏になるために修行をさせられることになる。このパートで冒頭で演説を行った涅槃原則の代表・クニヨシも登場。そして夜にサラが死んでしまったことで泣き崩れて眠れないナツキを虚無病に罹ったフリをしていたヒカルが連れ出して2人は涅槃原則を脱走。2人が涅槃原則に追いかけられるところでステージが90°回転して曲へ。
その直後にナツキとヒカルが走って逃げる映像とともに演奏された「逃避行」はまさにこの状況のために作られた曲であるかのよう。
続く「多数決」では秋田と出羽良彰(ギター)のノイジーなギターサウンドとともに歌われる
「もういいよ いいよ この世界は壊れすぎた」
というフレーズが虚無病が蔓延している世界と今まさに絶望の淵にいる主人公たちの諦めではなく、抗う姿勢のように鳴り響く。「挙手を願う」のフレーズで挙手する観客がちらほらといたが、曲終わりで拍手が起こるくらいしか観客のアクションがないamazarashiのライブでこうした状況が見れるのは極めて貴重。
雨が降る夜の街の映像がまさに夜に脱走するナツキとヒカルのテーマソングのようであった「夜の歌」は「逃避行」と同じだが、久々にこうしてライブで聴くとやはり本当に良い曲だと改めてわかる。こうして最近はあまりライブでやっていなかった曲が聴けるというのも嬉しいところ。映像や物語の内容もあって聴こえ方はかつてとは全く違うが。
そしてこれまでのamazarashiのライブで常にクライマックスを担ってきた「つじつま合わせに生まれた僕等」がこの日、この物語の中でも美しい映像とともにクライマックスに演奏された。どれだけ内容が変わってもこの曲がこうして演奏されているのは、この曲のメッセージが常にamazarashiの音楽と思考の中心にあるからだろう。
そして物語はいよいよ最終章へ。脱走を試みるナツキとヒカルの前に立ちふさがる、バットを持った男・タダノリ。ヒカルがタダノリに体当たりし、ナツキはバットを取り上げて、タダノリがサラにそうしたように、タダノリの頭を振り抜く。涅槃原則の代表・クニヨシがタダノリの遺体に近づく中、2人はタダノリの車を奪って走り去っていく。まるで野良犬のようになった2人は、
「こんな世界、そもそも生きる理由なんてないのにな」
と、車を止めてサラのセリフを口にしながら雨が降る中で佇む。
そうして物語が締められた直後、ライブ冒頭と同じ向きにステージが戻って演奏されたのは、かつて中島美嘉へ提供し、「虚無病」にセルフカバーバージョンが収められた「僕が死のうと思ったのは」。タイトルと序盤の歌詞だけを聴くと絶望のどん底のような曲だが、
「僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ」
と後半では希望に転化される。この絶望の中から一筋の強い希望が見いだされるのがamazarashiの音楽。だからこそひたすらに暗いと思われがちなamazarashiの音楽をライブで聴くと、心には明日以降への活力のようなものが生まれてくる。
そしてこの曲もそうだったが、主にライブでイントロを担うのは豊川真奈美のピアノ。すべての歌詞と曲と物語を手掛ける秋田の存在がデカすぎるがゆえにソロプロジェクトのように見られがちだが、amazarashiが今に至るまで秋田と豊川の二人組という形態であり続けているのは、豊川の美しいピアノの旋律とコーラスがあってこそ。そこに至るまでの2人には「ジュブナイル」のMVのような物語があったのだろうか。
曲が終わると映像にはバンドメンバーをはじめとして、このライブを作ったスタッフのクレジットが流れ出す。よってこれで終わりか、と思いきや、スタッフロールの後に映し出された文字は
「僕らはここにいちゃダメだ」
という、かつて何度となくamazarashiのライブで聴いてきた言葉。すると
「ありがとうございました、最後の曲です」
と、小説の朗読以外で最初で最後に秋田が言葉を発して演奏された「スターライト」で最後に希望の光を映し出した。小説の内容がこれまでで随一の重い内容だっただけに、こうして希望を感じさせる終わり方だったのは、重い気分を引きずりながらよりも、スッキリとした気分で見れて良かった。
そのスッキリとした気分の中、誰もいなくなったステージにはおなじみのamazarashiのロゴが映し出され、終演SEとして「虚無病」収録の「メーデーメーデー」が流れた。ライブで聴けなかったのは残念だが、それはまた次回のライブでの楽しみにしておく。
途中でも触れた通り、過去の曲たちも朗読と新たな映像とともに演奏されることによって、まるで今日のために書かれたようになるのは本当にすごい。そうして紡がれた物語と曲によって、生きる意味のないこの世界で野良犬のような人間に生きる意味を与えてくれるのがamazarashiの音楽とライブだ。
360°である意味はそこまでは感じられなかったが、この形態でのライブを経験したことによって、これからさらに進化した技術を取り入れたライブをやって、我々を驚かせてくれそうな予感がしている。
1.虚無病
2.季節は次々死んでいく
3.タクシードライバー
4.光、再考
5.穴を掘っている
6.吐きそうだ
7.ジュブナイル
8.ヨクト
9.アノミー
10.性善説
11.冷凍睡眠
12.カルマ
13.逃避行
14.多数決
15.夜の歌
16.つじつま合わせに生まれた僕等
17.僕が死のうと思ったのは
18.スターライト
SE.メーデーメーデー
虚無病
https://youtu.be/qh8k1veqABs
Next→ 10/27 UNISON SQUARE GARDEN @Zepp Tokyo
今週リリースの最新ミニアルバム「虚無病」を引っさげての幕張メッセイベントホールでのワンマンは初の360°ライブ。過去には3Dライブも行っているが、アルバムの内容とリンクする物語を果たしてどんな形で提示するのか。
本当にイベントホールの中央にステージが組まれ、ステージは四方を細かい格子状の枠で囲まれており、まるで鳥かごのよう。
中の様子ははっきりとはわからないが、この段階でこれまでのライブとはやはり全く違うということがわかる。
開演時間の17時を過ぎると場内が暗転し(映像を使うということもあって本当に真っ暗)、ステージを囲む枠に最初に映し出されたのは、今回の物語の鍵を握る存在である、新興宗教「涅槃原則」の代表キャラ「クニヨシ」。クニヨシが涅槃原則を信じよ、という演説を行うと、テレビの放送中止画面に切り替わり、映像が消えてステージには秋田ひろむ(ボーカル&ギター)の姿が。椅子に座って「虚無病」に付属の小説「涅槃原則」の序章とでも言うような虚無病についての報告を朗読し始める。すでに小説を読んでいるため、朗読の内容は小説と全く同じであるということがこの段階でわかり、これからの展開はある程度読める。
ちなみに今回のタイトルである「虚無病」とは、発症すると無気力、というかもはや会話も行動もすることができなくなってしまう、廃人化と言ってもいいような状態になってしまう病気であり、インターネットやテレビなどの言葉を媒介にして感染することが確認されているという設定。初めて感染が確認されたのは2016年10月15日、つまりこのライブが行われた日である。
すると曲の歌詞の映像が映し出されていく、今回のライブのタイトル曲である「虚無病」からライブはスタート。ステージの真ん中から出ている音は非常に大きく、秋田の声もしっかりとワンマン最大キャパの会場の端々にまで届くようによく出ている。ちなみにこの段階では秋田とバンドメンバーは南側(アリーナS席)を向いて演奏している。
「季節は次々死んでいく」では今まではMVなどの映像が流れる中で演奏されてきたが、この日は天井にレーザー光線で歌詞を映し出すというスタイルで披露された。このようにこの後もすべての曲でこれまでの映像とは全く違う演出がなされていて、何度もライブで聴いてきた曲も新鮮な気持ちで聴ける。
ごく初期の「光、再考」ではステージを真っ白な光が囲む。その光が鮮やかでとても美しい。
4曲終わったところで小説の朗読。主人公のナツキ、一緒に暮らす友人のヒカル、サラの3人が虚無病が蔓延する世界で食糧を獲得するのが困難になったことにより、違う街に行こうとすることに。しかしこの家には虚無病患者であるヒカルの父親がおり、彼らはヒカルの父親を土に埋める(それはナツキとサラの両親をそうしたのと同じように)という選択をし、街を出て行く。という朗読がキャラが動く映像とともに行われる。
その朗読が終わってから演奏されたのは「穴を掘っている」。過去作の曲であるが、朗読の内容がまさに穴を掘るというものであるため、この小説とこのライブのために作られた曲かのよう。しかし内容のシリアスさに比して、スコップを持って踊る3人の映像はどこかコミカルで笑えてしまう感じすらある。
そしてこの日は朗読が終わるとステージの向きが90°変わるというスタイルになっており、タームによって演奏する角度が全く違うという、すべての方向の人が正面からも真後ろからもライブが見れるということになる。
「生きる意味とはなんだ 寝起き一杯のコーヒーくらいのもんか
それとも酔いどれの千夜一夜 ていうか二日酔いでもう吐きそうだ」
というフレーズがサビの「吐きそうだ」は
「こんな世界、そもそも生きる理由なんてないのにね」
という、この物語の中で何度も登場するセリフへのアンサーのよう。
少年少女の曲である「ジュブナイル」は主人公たち3人のテーマソングのように響き、「ヨクト」のアッパーなサウンドが旅に出る3人の背中を押すかのように鳴らされる。
4曲終わったのでここで再び小説へ。3人が移動の途中に食糧を求めて野良犬のように忍び込んだ家に、男が帰ってくる。この男が虚無病患者を仏と崇める新興宗教団体・涅槃原則の構成員である「タダノリ」。サラが空腹に耐えられなくて…と説明するや否や、タダノリは持っていたバットでサラの頭を振り抜き、サラは死んでしまうというあまりに重い展開になったところで、ステージの向きが90°変わって演奏へ。
直後に久々に演奏された「アノミー」は
「人を殺してはいけません あなたが殺されないように」
というフレーズが、サラを殺したことによって最終的に主人公たちによって殺されることになるタダノリに向けられたかのようで、過去曲がここまで最新の物語とリンクしていると秋田のあまりの構成力に驚嘆せざるを得ない。
普段は聖母の像の映像とともに演奏される「性善説」はこの日は涅槃原則の教典という内容で歌詞が流される。確かに歌詞の内容は宗教の教典と言ってもいいようなものであるため、この形で披露されても全く違和感はない。
秋田の言葉数の多さが凄まじいスピードで迫ってくる「冷凍睡眠」は殺されたサラに対してなのか、それともそのサラが殺された姿を見て立ちすくむナツキとヒカルに対してなのか。
そして普段の「炎」を活かした演出とは違って「光」を活かした「カルマ」は、タダノリがサラを殺した後に発した、
「彼女は救われた。これ以上カルマを積む必要もない」
という一言を曲にしたかのようだ。
小説は涅槃原則が中心になっていく。ナツキと、サラが殺されたことで虚無病になってしまったヒカルは涅槃原則の本部に連れて行かれ、ヒカルは仏と崇められ、ナツキは仏になるために修行をさせられることになる。このパートで冒頭で演説を行った涅槃原則の代表・クニヨシも登場。そして夜にサラが死んでしまったことで泣き崩れて眠れないナツキを虚無病に罹ったフリをしていたヒカルが連れ出して2人は涅槃原則を脱走。2人が涅槃原則に追いかけられるところでステージが90°回転して曲へ。
その直後にナツキとヒカルが走って逃げる映像とともに演奏された「逃避行」はまさにこの状況のために作られた曲であるかのよう。
続く「多数決」では秋田と出羽良彰(ギター)のノイジーなギターサウンドとともに歌われる
「もういいよ いいよ この世界は壊れすぎた」
というフレーズが虚無病が蔓延している世界と今まさに絶望の淵にいる主人公たちの諦めではなく、抗う姿勢のように鳴り響く。「挙手を願う」のフレーズで挙手する観客がちらほらといたが、曲終わりで拍手が起こるくらいしか観客のアクションがないamazarashiのライブでこうした状況が見れるのは極めて貴重。
雨が降る夜の街の映像がまさに夜に脱走するナツキとヒカルのテーマソングのようであった「夜の歌」は「逃避行」と同じだが、久々にこうしてライブで聴くとやはり本当に良い曲だと改めてわかる。こうして最近はあまりライブでやっていなかった曲が聴けるというのも嬉しいところ。映像や物語の内容もあって聴こえ方はかつてとは全く違うが。
そしてこれまでのamazarashiのライブで常にクライマックスを担ってきた「つじつま合わせに生まれた僕等」がこの日、この物語の中でも美しい映像とともにクライマックスに演奏された。どれだけ内容が変わってもこの曲がこうして演奏されているのは、この曲のメッセージが常にamazarashiの音楽と思考の中心にあるからだろう。
そして物語はいよいよ最終章へ。脱走を試みるナツキとヒカルの前に立ちふさがる、バットを持った男・タダノリ。ヒカルがタダノリに体当たりし、ナツキはバットを取り上げて、タダノリがサラにそうしたように、タダノリの頭を振り抜く。涅槃原則の代表・クニヨシがタダノリの遺体に近づく中、2人はタダノリの車を奪って走り去っていく。まるで野良犬のようになった2人は、
「こんな世界、そもそも生きる理由なんてないのにな」
と、車を止めてサラのセリフを口にしながら雨が降る中で佇む。
そうして物語が締められた直後、ライブ冒頭と同じ向きにステージが戻って演奏されたのは、かつて中島美嘉へ提供し、「虚無病」にセルフカバーバージョンが収められた「僕が死のうと思ったのは」。タイトルと序盤の歌詞だけを聴くと絶望のどん底のような曲だが、
「僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ」
と後半では希望に転化される。この絶望の中から一筋の強い希望が見いだされるのがamazarashiの音楽。だからこそひたすらに暗いと思われがちなamazarashiの音楽をライブで聴くと、心には明日以降への活力のようなものが生まれてくる。
そしてこの曲もそうだったが、主にライブでイントロを担うのは豊川真奈美のピアノ。すべての歌詞と曲と物語を手掛ける秋田の存在がデカすぎるがゆえにソロプロジェクトのように見られがちだが、amazarashiが今に至るまで秋田と豊川の二人組という形態であり続けているのは、豊川の美しいピアノの旋律とコーラスがあってこそ。そこに至るまでの2人には「ジュブナイル」のMVのような物語があったのだろうか。
曲が終わると映像にはバンドメンバーをはじめとして、このライブを作ったスタッフのクレジットが流れ出す。よってこれで終わりか、と思いきや、スタッフロールの後に映し出された文字は
「僕らはここにいちゃダメだ」
という、かつて何度となくamazarashiのライブで聴いてきた言葉。すると
「ありがとうございました、最後の曲です」
と、小説の朗読以外で最初で最後に秋田が言葉を発して演奏された「スターライト」で最後に希望の光を映し出した。小説の内容がこれまでで随一の重い内容だっただけに、こうして希望を感じさせる終わり方だったのは、重い気分を引きずりながらよりも、スッキリとした気分で見れて良かった。
そのスッキリとした気分の中、誰もいなくなったステージにはおなじみのamazarashiのロゴが映し出され、終演SEとして「虚無病」収録の「メーデーメーデー」が流れた。ライブで聴けなかったのは残念だが、それはまた次回のライブでの楽しみにしておく。
途中でも触れた通り、過去の曲たちも朗読と新たな映像とともに演奏されることによって、まるで今日のために書かれたようになるのは本当にすごい。そうして紡がれた物語と曲によって、生きる意味のないこの世界で野良犬のような人間に生きる意味を与えてくれるのがamazarashiの音楽とライブだ。
360°である意味はそこまでは感じられなかったが、この形態でのライブを経験したことによって、これからさらに進化した技術を取り入れたライブをやって、我々を驚かせてくれそうな予感がしている。
1.虚無病
2.季節は次々死んでいく
3.タクシードライバー
4.光、再考
5.穴を掘っている
6.吐きそうだ
7.ジュブナイル
8.ヨクト
9.アノミー
10.性善説
11.冷凍睡眠
12.カルマ
13.逃避行
14.多数決
15.夜の歌
16.つじつま合わせに生まれた僕等
17.僕が死のうと思ったのは
18.スターライト
SE.メーデーメーデー
虚無病
https://youtu.be/qh8k1veqABs
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