強制連行、徴用問題の歴史認識
最近、インターネットニュースを覗くたび、韓国がもちだす慰安婦問題や、中国で強制連行、さらに運搬船の差し押さえ問題が良く取り上げられている。最初は、相手国をバッシングすることで、外交的に有利な立場をとるための、単なる外交的な問題だとおもっていたが、様々な国の利害が絡み、いまや複雑な様相を呈してきている。
そもそも戦争中に人権という考えは、あったのだろうか。歴史を学ぶたびに、目をつむりたくなるような残虐な事実に遭遇することがよくある。たとえば、モンゴル帝国は、ロシアに侵攻し、村や町を攻撃するたびに、技術を持っている男は奴隷として生かし、それ以外の男はすべて殺した。女はすべて奪い、犯し、村は破壊しつくされたと言われる。
私は、妻の実家に行くと、ときどき義父と酒を酌み交わす。話している最中にロシアのことにはなしが及ぶと、義父は怒りに駆られたように、「ロスケはひどい奴らだ」と叫ぶ。それが、本当に怒るようなことでもない、ほんの些細な事件でも、「ロスケは許せん」と叫ぶ。義父は、満州吉林省からの引揚者であった。ハルビンのような中国北部からの引揚者に較べると、吉林省からの引揚げは、被害が少なかったとは聞いている。それでも、ある部落では、周辺住民からの襲撃を受けて、数千人が自決している。戦後の引揚に話がおよぶと、逃避行の際、母親が、赤ん坊が泣かないように口を押さえ、我が子を殺さなければならなかったと言う。義父の姉は、「留用」され、本土へ引き揚げることはできず、それ以来、生死の噂も聞かなかったという。慰安婦になった可能性が高いと口重く言った。そういった戦争の記憶は、酒を飲んだおりに、断片的に話すが、いまでも戦争の話になると口を開くことが少ない。ロシア兵による蛮行は、義父の同じ引揚者からの聞きかじりなのか、実際に子供の頃に目撃したことなのかは、いまだにわからないが、義父のロシアに対する怒りは、戦後の記憶と結びつくのだろう。それは、あたかも、モンゴルに脅かされたロシアの村に残る歴史的な記憶と同質なものなのかもしれない。
それは、韓国の旅客船セウォル号のことに話が及んだときもそうだった。乗客の避難誘導や救命措置を迅速に取らずに、船長や航海士が救出されたことに関して、すぐさま関東軍とまったく同じだという言葉がでてきた。確かに引揚者の本を読むと、ロシアが侵攻してきたとき、まっさきに逃げ出していたのは、関東軍とその指導者の家族であったと言われる。ロシアの軍隊は、まず日本人達がすむ村の通信設備を破壊し、村を孤立させ、お互いに情報がとれない状態にして、囲いに取りこんだ羊を、狼が一頭一頭殺していくように、掠奪、惨殺、拉致、強姦のかぎりをつくしていった。戦争中ならまだしも、戦後にこういった残虐、非道が行われたことに怒りを感ずる。現在では、敗戦後にアメリカが占領政策を主導したため、ロシアや中国がその分け前にあずかれないことに、腹を立てた指導者が、そういった非道やシベリア抑留と命令したと言われる。
戦争に勝った国民に人権があるなら、敗戦国にも人権はあるべきだった。しかし、敗戦国に、人権はなかったと言ってよい。日本が戦争で負けてからというもの、満州からの引揚者たちは、中国人たちから掠奪、惨殺、拉致、強姦にあい、さらにロシア兵からは、徹底的な掠奪、惨殺、拉致、強姦にあっている。あろうことか、日本人のなかには、自分の命を守るために、引揚者の女性を奴隷のように売って逃げた人もいたと聞く。ロシア兵によって、抵抗する引揚者や、女性はその場で殺された。女性たちは髪をきり、顔に煤をぬっても胸をまさぐられ、拉致され連れて行かれたという。女性の中には、汚物を体に塗り付けて、あまりの臭さに、ロシア兵が近寄れず、やっと助かった人も多かったと聞く。港までたどりつき、引揚船に乗ろうとすると、持っていた貴重品はすべて中国に取り上げられている。
さらに、ロシアに連行された開拓団や兵士は、収容所に監禁され鉄道建設に強制的に従事させられた。韓国慰安婦が性奴隷と呼ばれているなら、シベリア抑留者は、女性は性奴隷であり、男性は労働奴隷であった。それは、戦後の暗部とも言えることで、戦後を学ぶものとしては、資料を読んでいて、あまり楽しい作業ではない。シベリア抑留の中では、食物や生活必需品は、ほとんどが中間で搾取され、少ない食料品と寒さで、枕木一本に対して日本人一人が死んだと言われるほど、多くの抑留者が亡くなった。五十万人もの抑留者に対して、お金が一銭でも払われたという話は聞かない。
中国でも、戦後、研究者や技術者、看護婦などは、引揚が許されず、「留用」と呼ばれ、引揚船に乗ることができずに働かされ続けた。持っていた知識や技能が中国側に伝わり、用がなくなるまで、中国に留め置かれた人も多い。アメリカの日本での占領政策が進み、アメリカだけが甘い汁を吸うなら、ロシアや中国が、日本から奪えるものは、なんでも奪ってしまおうという決断ではなかっただろうか。
そういった事実に対して、様々な証言集や資料が存在する。こういった行為は、国際法に違反した行為だった。しかし、いまだに英文に翻訳されて積極的に世界に発信したという話は聞かない。何故だろう。本当は、戦後に起こった事実や蛮行を、世界に訴えるべきではなかったろうか。引揚者の話は、映像化され、映画やテレビドラマを通じて、世界に発信してきた。しかし、そういったメディアは、相手国に配慮して、暗部の一部しか伝えていないし、引揚者が味わった苦しみの数千分の一も表現していないことがわかる。
「はだしのゲン」という漫画に過激な描写があって、学校や図書館から撤去すべきだという要請があるという。まるで、戦後の事実を隠ぺいし、記憶の彼方に押し去りたいという意思を感じさせる。もし、満州からの引揚者の体験が、漫画になったら、あまりにもリアルすぎて、間違いなく撤去すべきだという要請がでるだろう。
これは、日本人の悪い癖かもしれない。真実はいつか明らかになるとか、いつか本当の事を、わかってもらえるだろうという考えが、根底にあるような気がする。事実、日本は、こういった戦後に起こった悲劇を外交カードとしては、あえて使ってこなかった。世界に訴えることもしてこなかった。いったい、中国人やロシア人の何人が、こういった戦後の蛮行を知っているのだろうか。戦争中の残虐性は誰もが声をあげたが、戦後に起こった蛮行には、日本人も含めて、ひたすら目をつむってきたのが現実ではなかろうか。韓国の旅客船沈没で、船長たちがいち早く避難命令を出していれば、数多くの乗客の命が助かったはずだった。同じように情報を早く入手した関東軍が、住民に避難命令を早く出していたら、数多くの命が助かっただろう。大本営や逃げ出した関東軍、さらに戦争を煽動したメディアこそ責任をとるべきだったのに、いつのまにか国民総懺悔に変わり、何も知らずに満州に渡った一般庶民が、逃げる際に、その最後のツケを払わなければならなかったは、なんともやりきれない思いだ。
韓国や中国が、戦争中の個人賠償に声をあげるなら、日本も戦後の引揚者に対して行われた非道に対して個人賠償に声をあげるべきではなかろうか。それで、やっと同じ国際社会で同じプラットホームに立てることになるのかもしれない。沈黙は金という言葉があるが、国際社会では、沈黙は金とはならない。反論しないのは、やましいことがあるからだということになりかねない。実は、こういった問題に一刀両断の解決法はないだろう。なぜなら、戦争のことを話しだすと、お互いに過去の歴史の悲惨な出来事を述べあう、水かけ論になってしまうし、思い出したくない記憶を呼び起こし、さらに被害者を苦しめかねないことになるからだ。
それでも、私には、満蒙開拓団の資料を読むたびに、彼らの無念さが伝わってくる。国の移住計画のもと、理想郷だと教えられ、異国の地で生計を立てていた人たちが、満州に着いてみると、土地はもともと中国人所有していたのを買い叩いたものだった。約束が違うと帰国したい思いを押しつぶし、やっと開墾に成功すると、土地を奪われた人たちが、ゲリラとなって襲ってきた。それをやっと防いだと思ったら、男は、軍隊へ召集される。終戦となり戦争が終わったと思ったら、残った婦女は、終戦で中国と、ソ連兵の汚辱と掠奪にあう。守ってくれるはずの関東軍は、一足早く逃げ去ったあとだった。彼らは、何度も国に裏切られてきたことになる。
引揚者は、戦争は終結したにもかかわらず、人権はまったくなかったといってよい。彼らこそ、ロシア、中国、日本政府の謝罪が、本当に必要だった人達ではなかったのではなかろうか。
日本の歴史授業は、近代史がすっぽり抜け落ちていることが多い。それは、教える先生方にも、歴史が身近すぎて、荷が重く感じたからだろう。せめて、外交にたずさわる人達だけは、こういった戦後の歴史を知っといてほしいものだ。確かに、日本軍による南京虐殺や731部隊のような非道は許してはならないものだった。しかし、戦後の引揚げで日本の兵士や、一般庶民がロシア兵や中国民によって犠牲となったことは、同じように、決して許してはならないものだったし、明らかに国際法に違反するものだった。
戦勝国の人だけが人権があり、敗戦国だから、人権はまったくないという考え方には、決して同意できない。戦後の補償を、取り上げるなら、苦難の道を歩んできた引揚者に対する相手国による賠償も考慮に入れた、対等の外交政策を行ってほしいことを切に願う。(2014年4月)
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コメント
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全くラクーン様の仰る通りだと思います。
私は、吉林省・通化の師範大学の日本語教師として2年間赴任し、1月に帰国したばかりです。以前より、通化事件、満州事変、日中関係、中国社会等について関心を持ち調べてまいりました。
沢山の思いが山積しております。まだまだ研究不足ですが、更に学んで行きたい思いでいっぱいです。
投稿: 宮地榮子 | 2015年3月13日 (金) 13時44分
全くラクーン様の仰る通りだと思います。
私は、吉林省・通化の師範大学の日本語教師として2年間赴任し、1月に帰国したばかりです。以前より、通化事件、満州事変、日中関係、中国社会等について関心を持ち調べてまいりました。
沢山の思いが山積しております。まだまだ研究不足ですが、更に学んで行きたい思いでいっぱいです。
投稿: 宮地榮子 | 2015年3月13日 (金) 13時53分