第1回公認心理師試験終了
2018.12.16.Sun.23:28
だいぶ久しぶりの投稿になってしまいました。
管理者はおかげさまで公認心理師試験に合格することができました。
皆さんはいかがでしたでしょうか?
こちらで過去問題と試験結果を見ることができます。
http://shinri-kenshu.jp/topics/20181127_830.html
合格率が約8割とかなり高い結果でした。
1回目に受験できたのは幸運だったかなと思います。
また今度試験勉強について書いていきたいと思います。
管理者はおかげさまで公認心理師試験に合格することができました。
皆さんはいかがでしたでしょうか?
こちらで過去問題と試験結果を見ることができます。
http://shinri-kenshu.jp/topics/20181127_830.html
合格率が約8割とかなり高い結果でした。
1回目に受験できたのは幸運だったかなと思います。
また今度試験勉強について書いていきたいと思います。
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ロールシャッハテストの解釈方法を5分でざっくり解説:無料サイトの診断結果に信憑性はほぼない
2017.03.14.Tue.18:01
最近ではgoogleがトップページで特集したり、無料でそれっぽい結果がわかるサイトがあるなど話題のロールシャッハテスト。
実際に受けたことがあるという方もおられるのではないでしょうか。
この記事は「ロールシャッハテストを受けた人や興味を持った人が、なるべく誤解なく、性格傾向をどのように推測されているかを知るため」に書きました。
なので基本的に概要です。
詳細な勉強のためにとか、実際の解釈の参考にするといった目的には沿えません。あらかじめご了承ください。
まず最初に、いくつかロールシャッハテスト風のもの扱ったサイトを紹介します。
・あなたはどう見える?不思議な心理検査「ロールシャッハテスト」とは?
・ロールシャッハ・テスト - what-character-are-you.com
・【ロールシャッハ式】 あなたの不安をチェック!
断っておきたいのですが、上記のサイトに出ている図版はほぼ全てロールシャッハテストの原版とは異なるインクブロットです。つまり、架空の図版です。
また、選択式で回答していますが、これも元のロールシャッハテストとは異なります。
Web上で実施してもらう都合上、選択式にするしかなかったのでしょうが、自由な反応が売りの投影法の意味がなくなっちゃいます。
そのため、これらのサイトのロールシャッハテストはロールシャッハテスト風の別物なのです。信憑性はほぼないと思います。
■インクのしみを見て何がわかるのか
解釈の仕方に行く前にちょっと余談ですが、「絵を見て何に見えるか」で何がわかるんだ!と思われる方も多いでしょう。
ごもっともだと思います。なので、納得できない方は、「インクのしみ」を「現実のある場面」と置き換えてもう一度考えてみてはいかがでしょうか。
「現実のある場面をどう見るのか」、図版に対する反応は現実場面におけるその人の反応様式を再現するようなところがあります。
例えば、細部に着目するのかそれとも全体を見て判断するのか、他の多くの人が答えることと同じようなことを言うのかそれともユニークなものを見つけるのか、そういったことが図版に対する反応からわかります。
それは現実における振る舞いや考え方、感じ方の傾向と似てくるので、そこから性格傾向を推測するのがロールシャッハテストと言ってもいいかもしれません。
■ロールシャッハテストとは
今更ですが、ロールシャッハテストは投影法の性格検査の1つです。左右対称のインクの染みが何に見えるかを答えてもらうものになります。図版は全部で10枚あり、白黒のものもあれば色がついているものもあります。
詳しくはWikipediaなどをご参照ください。
・ロールシャッハテスト(wikipedia)
・テストのプロセス
①自由反応段階
図版が何に見えるのか自由に答えてもらう段階。
②質問段階
各図版で見えたものが、どのような所からそう見えたのか質問して明らかにする段階。
このような2段構えで行います。そのため、反応数にもよるのですが結構時間がかかります。1時間で終わる人も中にはいるかもしれませんが、2時間以上かかる人もいます。
なぜこのようなことをするかと言うと、どのように解釈していくかにかかわってくるからです。それを以下に書いていきます。
■解釈の前に反応を記号化(コード化)する
まず初めに、解釈にはいくつか種類があります。有名なのが「包括システム(エクスナー法)」と「片口法」です。ここに書いてある内容はすべて包括システムによる解釈手順です。
・コーディング
心理士さんたちはどうやって被験者の性格傾向を導くかと言うと、まず被験者の反応を1つずつを1つの記号に置き換えます。これを「コーディング」と言います。
例えば、本当に例えばですが、
Ⅰ,1, Do4, Mao, H, GHR
みたいな感じになります(あくまで例です)。
10枚の図版で被験者が合計25個の反応をした場合、25行のコードができます。
答えた方がどんなにへんちくりんなことを言っても、ありきたりなことを言っても、最終的にはこのような記号になっていきます。がっかりさせてしまったでしょうか。
コーディングにはルールがあるので、基本的には誰がやっても同じ反応からは同じコードができるはずなのですが、人がやるものなのでそうもいかないこともよくあります。
もちろん、全てを記号から判断するわけではなく、反応までの時間や、反応の個別的な解釈もしますが、包括システム(エクスナー法)ではコードを基にした統計的な解釈がメインです。
■コーディングの内容
ここでは他のサイトであまり書かれていない所、テスター(テストした人・解釈する人)は被験者の反応のどのような所に着目しているのか、という事を書いていきます。
様々な指標がありここでは全てを書いてはいません。
代表的な所は書いています。※包括システムの解釈方法に則った指標を記載します。
・反応領域
「○○が見えます」と答えた時に、それが図版のどの部分に見えたか、それが反応領域です。
例えば、全体を見て「仮面」と答えるのと、どこか隅っこの一部を「とげ」と言うのでは反応領域が変わります。
・発達水準
これは簡単に言うと、図版の中に見たものに形態があるか、及び見たものが1つか2つ以上が関連したものかという事です。
例えば「人が掃除機をかけている」と答えた人がいたとしましょう。仮にですよ。
ここには「人」と「掃除機」という形ある2つの別のものが関連づけられています。
一方、例えば「これは雲です」と答えた人がいたとしましょう。これは1つのもので、形態がないですね。
こんな感じで各反応の発達水準を決めていきます。
・組織化活動
組織化活動は、要素と要素を組み合わせて1つのものを作ることを意味していると考えるといいかと思います。
発達水準と似ている所がありますが、組織化活動はもう少し細かく、2つの関連するものが近接しているかもしくは離れているか、空白部分を含むかなどを考慮して決めます。
・決定因
これはロールシャッハテストの花形ともいわれるところで、何をもってそう見えたかを示す指標です。
形態(かたち)、運動(動き)、色彩(カラー)、無彩色(白黒)、濃淡(濃い薄いや材質)、形態立体、反射などに分けられ、それぞれに記号があります。
例えば、「これは花です」と答えた人がいたとして、どのような所からそう見えたかを聞いた時に、「形が花だからです」と言ったら形態で、色がオレンジだからですと答えたら色彩が決定因となります。もちろん、複数の場合もあります。
・形態水準
反応がどれだけ現実的かという指標です。包括システムではこれまでの研究から、各図版ごとによく出る反応とそうでない反応を調べてあるので、本を見てそれと照らし合わせるだけです。
例えば、ある図版で「コウモリ」は普通かもしれませんが、「宇宙人」はユニークかもしれません。
・反応内容
何と答えたかです。「人」や「人の一部」、「自然」など様々なカテゴリに分類されます。
恐らく被験者の方はこれが最も重要だと思われるかと思いますが、実は数ある指標の1つにすぎません。
そのため、例えばとても奇妙な反応(「地獄」とか)が1つや2つあったとしても全体に大きな影響があるかと言われたらほぼないです。
もちろん、カテゴリによっては1つその反応があっただけで解釈に影響するものもありますが、多くはないです。
ある図版でほとんどの人が答えるものは「平凡反応」という位置づけになり、その個数も解釈の指標の一つになります。
・特殊スコア
これは被験者の独特、あるいは奇異な言い回しなどにつけられる特殊な記号です。
例えば、「テレビから足が生えています」と答えた人がいた場合、一つの対象にあり得ない特徴が付与された反応、という特殊なスコアがつきます。
特殊スコアも種類がたくさんあり、これも個数によって解釈に影響します。
・まとめ
以上のように、様々な指標(反応領域、発達水準、組織化活動、決定因、形態水準、反応内容、特殊スコアなど)からコードを作成し、解釈に用います。
■解釈の仕方
ここからは実際の解釈の仕方なのですが、これもなかなか複雑なので、概要だけ書いていきます。
・構造一覧表というものを作る。
コード化した反応を基に、特定のコードの個数を合計したり、計算したりして色々な指標を算出します。
ロールシャッハテスト(包括システム)は実はびっくりするくらい指標が多いです。
とても漠然とした書き方になってしまったのですが、さらっと流していただけると幸いです。
・構造一覧表を基に、クラスターごとに傾向を解釈する
これを知っておくとどんなことを見られているかわかるかもしれません。
ここでいう「クラスター」とは、「パーソナリティの1つの側面」と理解すると良いかと思います。
先に種類を書いてみます。これで全てです。
・感情
・統制力とストレス耐性
・認知的媒介
・思考
・情報処理過程
・対人知覚
・自己知覚
・状況関連ストレス
例えば対人知覚は他者をどのように見ているかと言うクラスターで、否定的に見ているとか肯定的に見ているとか、そういうことなどが含まれます。
テスターはこれらをそれぞれ解釈し、最終的にまとめ、それを被験者にフィードバックするような形になります。
テスターさんたちはこのような視点から、性格を推測しているわけです。
・臨床的に意味のある6つの指標
以下の6つの指標は臨床上非常に重要で、クラスターの解釈にも影響します。
①Suicide Constellation(Sコン:自殺の可能性)
特定のいくつかの指標の中から8個以上当てはまる時にチェックされる。自殺の可能性が高いことを意味する。
②PTI(知覚と思考)
特定のいくつかの指標の中から4以上でチェックされる。知覚と思考の歪みが疑われる。
③Depression Index(DEPI:抑うつ指標)
特定のいくつかの指標の中から6以上でチェックされる。うつ病の疑いあり。
④CDI(対処力不全指標)
特定のいくつかの指標の中から4以上でチェックされる。対処力が不全であることを意味する。
⑤HVI(警戒心過剰指標)
特定のいくつかの指標の中から第1項目に該当し、他の4つ以上に当てはまる場合にチェック。
⑥OBS(強迫的スタイル指標)
複数の条件によって判定される。
--------------------------------
以上が解釈の概要です。
以下はロールシャッハテストに関する補足になります。
■やばいテストではない
ロールシャッハテストは性格検査なので、これをやってくれとお医者さんに言われたからと言って、深刻な病気というわけではありません。
治療を行う上での方向性や、気を付けるべき点などをあらかじめ知っておきたいから実施するという感じです。
■信頼性が低いとの噂があるが
これに関しては様々な議論があるので詳しくは書籍などをご参照ください。
ただし、学んだ身として主観的な感想を言うと、包括システム(エクスナー法)による解釈は過去の大量のサンプルを分析した結果に基づいており、解釈に主観が入る要素はとても少ない気がします。一方でコーディングが難しいのは確かで、熟練の方がやるのと初学者がやるのではコーディングの結果は別物になる可能性は高いと思います。
■どこで受けられるのか
こちらの記事が参考になります。この記事は企業が書いているものなので、個人の方が書いているものより信頼性が高いと思われます。
・ロールシャッハ・テストとは?目的と診断手順、受検方法は?結果の信頼性は?気になる疑問をまとめました
こんなところになります。
知ったからといってどうという事はないのですが、テストを受けたことや、自分のした反応や結果にあまり悩まないでいただきたい、ということを言いたかったのです。
読んでいただきありがとうございました!
実際に受けたことがあるという方もおられるのではないでしょうか。
この記事は「ロールシャッハテストを受けた人や興味を持った人が、なるべく誤解なく、性格傾向をどのように推測されているかを知るため」に書きました。
なので基本的に概要です。
詳細な勉強のためにとか、実際の解釈の参考にするといった目的には沿えません。あらかじめご了承ください。
まず最初に、いくつかロールシャッハテスト風のもの扱ったサイトを紹介します。
・あなたはどう見える?不思議な心理検査「ロールシャッハテスト」とは?
・ロールシャッハ・テスト - what-character-are-you.com
・【ロールシャッハ式】 あなたの不安をチェック!
断っておきたいのですが、上記のサイトに出ている図版はほぼ全てロールシャッハテストの原版とは異なるインクブロットです。つまり、架空の図版です。
また、選択式で回答していますが、これも元のロールシャッハテストとは異なります。
Web上で実施してもらう都合上、選択式にするしかなかったのでしょうが、自由な反応が売りの投影法の意味がなくなっちゃいます。
そのため、これらのサイトのロールシャッハテストはロールシャッハテスト風の別物なのです。信憑性はほぼないと思います。
■インクのしみを見て何がわかるのか
解釈の仕方に行く前にちょっと余談ですが、「絵を見て何に見えるか」で何がわかるんだ!と思われる方も多いでしょう。
ごもっともだと思います。なので、納得できない方は、「インクのしみ」を「現実のある場面」と置き換えてもう一度考えてみてはいかがでしょうか。
「現実のある場面をどう見るのか」、図版に対する反応は現実場面におけるその人の反応様式を再現するようなところがあります。
例えば、細部に着目するのかそれとも全体を見て判断するのか、他の多くの人が答えることと同じようなことを言うのかそれともユニークなものを見つけるのか、そういったことが図版に対する反応からわかります。
それは現実における振る舞いや考え方、感じ方の傾向と似てくるので、そこから性格傾向を推測するのがロールシャッハテストと言ってもいいかもしれません。
■ロールシャッハテストとは
今更ですが、ロールシャッハテストは投影法の性格検査の1つです。左右対称のインクの染みが何に見えるかを答えてもらうものになります。図版は全部で10枚あり、白黒のものもあれば色がついているものもあります。
詳しくはWikipediaなどをご参照ください。
・ロールシャッハテスト(wikipedia)
・テストのプロセス
①自由反応段階
図版が何に見えるのか自由に答えてもらう段階。
②質問段階
各図版で見えたものが、どのような所からそう見えたのか質問して明らかにする段階。
このような2段構えで行います。そのため、反応数にもよるのですが結構時間がかかります。1時間で終わる人も中にはいるかもしれませんが、2時間以上かかる人もいます。
なぜこのようなことをするかと言うと、どのように解釈していくかにかかわってくるからです。それを以下に書いていきます。
■解釈の前に反応を記号化(コード化)する
まず初めに、解釈にはいくつか種類があります。有名なのが「包括システム(エクスナー法)」と「片口法」です。ここに書いてある内容はすべて包括システムによる解釈手順です。
・コーディング
心理士さんたちはどうやって被験者の性格傾向を導くかと言うと、まず被験者の反応を1つずつを1つの記号に置き換えます。これを「コーディング」と言います。
例えば、本当に例えばですが、
Ⅰ,1, Do4, Mao, H, GHR
みたいな感じになります(あくまで例です)。
10枚の図版で被験者が合計25個の反応をした場合、25行のコードができます。
答えた方がどんなにへんちくりんなことを言っても、ありきたりなことを言っても、最終的にはこのような記号になっていきます。がっかりさせてしまったでしょうか。
コーディングにはルールがあるので、基本的には誰がやっても同じ反応からは同じコードができるはずなのですが、人がやるものなのでそうもいかないこともよくあります。
もちろん、全てを記号から判断するわけではなく、反応までの時間や、反応の個別的な解釈もしますが、包括システム(エクスナー法)ではコードを基にした統計的な解釈がメインです。
■コーディングの内容
ここでは他のサイトであまり書かれていない所、テスター(テストした人・解釈する人)は被験者の反応のどのような所に着目しているのか、という事を書いていきます。
様々な指標がありここでは全てを書いてはいません。
代表的な所は書いています。※包括システムの解釈方法に則った指標を記載します。
・反応領域
「○○が見えます」と答えた時に、それが図版のどの部分に見えたか、それが反応領域です。
例えば、全体を見て「仮面」と答えるのと、どこか隅っこの一部を「とげ」と言うのでは反応領域が変わります。
・発達水準
これは簡単に言うと、図版の中に見たものに形態があるか、及び見たものが1つか2つ以上が関連したものかという事です。
例えば「人が掃除機をかけている」と答えた人がいたとしましょう。仮にですよ。
ここには「人」と「掃除機」という形ある2つの別のものが関連づけられています。
一方、例えば「これは雲です」と答えた人がいたとしましょう。これは1つのもので、形態がないですね。
こんな感じで各反応の発達水準を決めていきます。
・組織化活動
組織化活動は、要素と要素を組み合わせて1つのものを作ることを意味していると考えるといいかと思います。
発達水準と似ている所がありますが、組織化活動はもう少し細かく、2つの関連するものが近接しているかもしくは離れているか、空白部分を含むかなどを考慮して決めます。
・決定因
これはロールシャッハテストの花形ともいわれるところで、何をもってそう見えたかを示す指標です。
形態(かたち)、運動(動き)、色彩(カラー)、無彩色(白黒)、濃淡(濃い薄いや材質)、形態立体、反射などに分けられ、それぞれに記号があります。
例えば、「これは花です」と答えた人がいたとして、どのような所からそう見えたかを聞いた時に、「形が花だからです」と言ったら形態で、色がオレンジだからですと答えたら色彩が決定因となります。もちろん、複数の場合もあります。
・形態水準
反応がどれだけ現実的かという指標です。包括システムではこれまでの研究から、各図版ごとによく出る反応とそうでない反応を調べてあるので、本を見てそれと照らし合わせるだけです。
例えば、ある図版で「コウモリ」は普通かもしれませんが、「宇宙人」はユニークかもしれません。
・反応内容
何と答えたかです。「人」や「人の一部」、「自然」など様々なカテゴリに分類されます。
恐らく被験者の方はこれが最も重要だと思われるかと思いますが、実は数ある指標の1つにすぎません。
そのため、例えばとても奇妙な反応(「地獄」とか)が1つや2つあったとしても全体に大きな影響があるかと言われたらほぼないです。
もちろん、カテゴリによっては1つその反応があっただけで解釈に影響するものもありますが、多くはないです。
ある図版でほとんどの人が答えるものは「平凡反応」という位置づけになり、その個数も解釈の指標の一つになります。
・特殊スコア
これは被験者の独特、あるいは奇異な言い回しなどにつけられる特殊な記号です。
例えば、「テレビから足が生えています」と答えた人がいた場合、一つの対象にあり得ない特徴が付与された反応、という特殊なスコアがつきます。
特殊スコアも種類がたくさんあり、これも個数によって解釈に影響します。
・まとめ
以上のように、様々な指標(反応領域、発達水準、組織化活動、決定因、形態水準、反応内容、特殊スコアなど)からコードを作成し、解釈に用います。
■解釈の仕方
ここからは実際の解釈の仕方なのですが、これもなかなか複雑なので、概要だけ書いていきます。
・構造一覧表というものを作る。
コード化した反応を基に、特定のコードの個数を合計したり、計算したりして色々な指標を算出します。
ロールシャッハテスト(包括システム)は実はびっくりするくらい指標が多いです。
とても漠然とした書き方になってしまったのですが、さらっと流していただけると幸いです。
・構造一覧表を基に、クラスターごとに傾向を解釈する
これを知っておくとどんなことを見られているかわかるかもしれません。
ここでいう「クラスター」とは、「パーソナリティの1つの側面」と理解すると良いかと思います。
先に種類を書いてみます。これで全てです。
・感情
・統制力とストレス耐性
・認知的媒介
・思考
・情報処理過程
・対人知覚
・自己知覚
・状況関連ストレス
例えば対人知覚は他者をどのように見ているかと言うクラスターで、否定的に見ているとか肯定的に見ているとか、そういうことなどが含まれます。
テスターはこれらをそれぞれ解釈し、最終的にまとめ、それを被験者にフィードバックするような形になります。
テスターさんたちはこのような視点から、性格を推測しているわけです。
・臨床的に意味のある6つの指標
以下の6つの指標は臨床上非常に重要で、クラスターの解釈にも影響します。
①Suicide Constellation(Sコン:自殺の可能性)
特定のいくつかの指標の中から8個以上当てはまる時にチェックされる。自殺の可能性が高いことを意味する。
②PTI(知覚と思考)
特定のいくつかの指標の中から4以上でチェックされる。知覚と思考の歪みが疑われる。
③Depression Index(DEPI:抑うつ指標)
特定のいくつかの指標の中から6以上でチェックされる。うつ病の疑いあり。
④CDI(対処力不全指標)
特定のいくつかの指標の中から4以上でチェックされる。対処力が不全であることを意味する。
⑤HVI(警戒心過剰指標)
特定のいくつかの指標の中から第1項目に該当し、他の4つ以上に当てはまる場合にチェック。
⑥OBS(強迫的スタイル指標)
複数の条件によって判定される。
--------------------------------
以上が解釈の概要です。
以下はロールシャッハテストに関する補足になります。
■やばいテストではない
ロールシャッハテストは性格検査なので、これをやってくれとお医者さんに言われたからと言って、深刻な病気というわけではありません。
治療を行う上での方向性や、気を付けるべき点などをあらかじめ知っておきたいから実施するという感じです。
■信頼性が低いとの噂があるが
これに関しては様々な議論があるので詳しくは書籍などをご参照ください。
ただし、学んだ身として主観的な感想を言うと、包括システム(エクスナー法)による解釈は過去の大量のサンプルを分析した結果に基づいており、解釈に主観が入る要素はとても少ない気がします。一方でコーディングが難しいのは確かで、熟練の方がやるのと初学者がやるのではコーディングの結果は別物になる可能性は高いと思います。
■どこで受けられるのか
こちらの記事が参考になります。この記事は企業が書いているものなので、個人の方が書いているものより信頼性が高いと思われます。
・ロールシャッハ・テストとは?目的と診断手順、受検方法は?結果の信頼性は?気になる疑問をまとめました
こんなところになります。
知ったからといってどうという事はないのですが、テストを受けたことや、自分のした反応や結果にあまり悩まないでいただきたい、ということを言いたかったのです。
読んでいただきありがとうございました!
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無知の姿勢(Not-Knowing)とは何か コラボレイティブ・アプローチに迫る②
2017.02.23.Thu.01:39
「無知の姿勢(Not-Knowing)」はハーレーン・アンダーソンとハロルド・グーリシャンによって提唱されたコラボレイティブ・アプローチ(共同言語システムアプローチ)の中核を担う概念です。
コラボレイティブ・アプローチについては解説しているサイトがありますし、英語版のwikipediaが結構いいです。
一応このブログでも書いてはいるので、参考までにどうぞ。
・コラボレイティブ・アプローチ(共同言語システムアプローチ)に迫る
無知の姿勢はその名前のインパクトからか、妙に話題になっており、自己啓発的なWebページでも特集がされているようです。例としては以下。
・相手を話す気にさせる「無知の姿勢」とは?
http://ameblo.jp/onenesskyoukai/entry-11166962916.html
・未来のビジネスリーダー必須能力!「無知」の姿勢を手に入れる5つの方法!
http://bijodoku.com/creative/not-knowing/
「無知の姿勢」という用語が示す意味は文字ずらから容易に読み取れそうですが、背景には理解しておくべき事柄がたくさんあるように思います。理解しておくべきというか、どういう文脈でこの言葉が出て来たかを知っておいた方が受け入れやすい、という感じです。例えば従来の家族療法、モダンとポストモダン、ナラティブ・セラピー、社会構成主義等々。
ここでは読み手の人がそのような背景をある程度知っているという前提のもと、書籍などで無知の姿勢について述べられていることについて、かいつまんでまとめてみます。
思ったより記事が長くなってしまったので、気になるところだけでも読んでいただければ幸いです。
※文が冗長になるのを避けるため、文章中のセラピストは「Th」、クライアントは「Cl」と表記しています。
■ 「無知の姿勢」の定義
無知の姿勢とは、あらかじめ用意された既知の理論を、Clにそのまま適用することに対して慎重であろうとする姿勢である。
※『クライアントが専門家である』ナラティヴ・セラピー──社会構成主義の実践より
ここでいう既知の理論とは、Clを見立てるためのモデルや診断のための知識(DSM)など多種多様な情報を指していると思われます。例えば、認知に歪み(認知療法)があるねとか、そういう見方は無知の姿勢にはならないということでしょう。
ちなみにですが、wikipedia(英語版)の「Collaborative therapy」には冒頭に以下のように書いてあります。
“It is intended for clients who are well educated in any field, or for those that have distrust of psychotherapists due to past negative experiences with one or more.”
この文を読むと、コラボレイティブ・アプローチは「教養がある人」や「過去の嫌な経験からセラピストに不信感を持っている人」を対象にしているという印象を受けます。自分の知る範囲では翻訳されている書籍の中で、特定の誰かを対象としているということは書いていなかった気がするのですが。。
実際はどうか知りませんが、このターゲッティングは何となくわかる気はします。
教養がある人は自分なりの考え方を持っているので、専門家色が強いThを毛嫌いしそうです。また、過去にいくつかの相談機関を利用したことのあるClは、Thが何をどのように聞いてくるかを経験から知っていて、上から目線でわかったような決めつけをしてくるThに飽き飽きしているのでしょう。確かにアンダーソンはこのようなThを嫌っている(それが効果的ではないと感じている)ことがなんとなく書籍から伝わってきます。
対象についてはひとまず置いておいて、無知の姿勢に戻ります。
ここからは次の書籍を参考に少し補足していきます。
Conversation, Language, and Possibilities : A postmodern approach to therapy
Anderson, H.(1997) 会話・言語・そして可能性―コラボレイティヴとは?セラピーとは? (2001)ハーレーン アンダーソン(訳)野村 直樹・吉川 悟・青木 義子
・アンダーソンが述べる無知の姿勢(Not-Knowing)
“無知の姿勢とは、Thのとる一つの構えであり、態度であり、信念である。つまり、Thはひとり特権的な知識を享受できないし、また他者を完全に理解することはできない。他者から常に「教えてもらう状態」を必要とし、言葉にされたことされないことも含めもっとよく知りたいと思う。このような態度であり、信念である。”p175
言い換えてみると、先入観をもたずにClを知ろうとすること、ということでしょうか。ただし、どのような関わりによってこれがClに伝わるかということについてはあまり触れられていないように思います。
■無知の姿勢を体現するために重要なこと
・確信を持たない
“自分の知識を疑う用意をしておくことである。セラピーにおいて、自分にとって支配的となった専門的言説や個人的考えから離れ、棚上げし、留保しておくことを求められる。”p176
やはり先入観を持たないということでしょう。エポケーって感じで。
・リスクを冒す用意
“無知の姿勢でいることで、Thは批判の対象になりやすくなるし、また変化を余儀なくされる。そのリスクとは、Clが舞台の主役になり、彼らが気の向くように話し先導していくことで、Thが重要と考えたり、前もって決めた事項をもとに進んではいかなくなることだ。”p176
無知の姿勢でいることで、Thは専門知識という武器を棚上げして面接に臨むわけですから、それがリスクだということです。丸腰で銀行強盗を説得しようとするネゴシエーターみたいな感じでしょうか。いまいち?
とくかく、面接における会話はCl主導で進んでいくはずである、ということです。
“臨床理論、研究から来る仮説によるにせよ、知識を持つことは、自分の知識の正しさを立証する行動へと潜在的にThや研究者を誘導する。”p177
無知の姿勢で重要な所だと感じる部分です。前もって知識を持っていると、確証バイアスによって、自分たちが正しいという部分を探していくことは起こり得るでしょう。それは確かにCl中心ではなくてTh中心だと思います。
アンダーソンはこうも言っています。
“Thに思い込みや方針があるかないか以上に、重要なのはその知識でもってなされる行動の内容である。そして同じぐらい重大なのは、自分の知っていることを追求することで、私たちが一人ひとりのClの独自性とその状況のユニークさに目を開けずそれを失ってしまうことだと思う。”p177
アンダーソンはThの持つ態度がどのようにClに伝わるかが重要だということを指摘しているように思います。そしてもう一つは、情報のピックアップです。逐語の検討をしている時に思うのですが、Thのセンスの1つは相手が語った内容のどの部分をピックアップして返すかだと思います。セラピーをどう方向付けるか、と言い換えてもいいかもしれません。
Thが聞きたいことだけを聞くようになると、会話の内容や範囲を固定化して狭めるから、だったら専門知識なんていらない、みたいな感じでしょうか。
“我々は本当に知らないとすれば、学ぶ以外にない。学ぼうと踏み出した時が、Clの言っていることを理解しようとする時だ。”p178。
ここでの「学ぶ」の目的語は何であるかについては別記事でも書いたのですが、Cl独自の言葉などがあげられるでしょう。他にはClのおかれた状況、他者との関係性などでしょうか。
・謙虚さ
“無知の姿勢は、自分が知っていることについて謙虚になることを意味する。”p178
Clこそが専門家なのだから、知ったかぶりをするな、ということでしょうか。
書籍の中の例としては、以下のようなものがあります。
『11歳になる息子もつ母親が、息子が学校に一人で行くのが心配だったり、お友達の家に一晩止まることが心配だとしても、それを「過保護」だとは考えない。』
“Thのではなく、「Clの不安、最も恐れているもの」、「子育てに影響を与えているもの」について、「他の人がClにどんなアドバイスをしたか」、「Clが小さいころ、このようなことが家庭で問題になったのか」、「もしなっていたらどう対処したのか」、などを聞く。質問の意図は「もっと知るため」であり、その物語を共有するところにある。”p179
Thが「この母親は過保護だ」という眼鏡をかけてみれば、例えば「息子はそろそろ反抗期になり、親の目の見えない行動をとることも増える、だからそんな時はうんたらこうたら」みたいな接し方になり、それがはまらなければ抵抗が生じる可能性は高まり、会話は停滞しやすくなる、みたいなことを言いたいのだと思われます。
“質問が何か特別な答えを探していたり、正しい答えがありそうだという印象を与えたくない。謙虚とは、人の言いなりとか弱気という意味ではなく、偉そうにしないということ。”p179
こういうのを読んでいると、アンダーソンたちは面接を「ThとClを含めた治療のための会話システム」だと捉えていて、自分たちThの影響というものにかなりの注意を払っていたのだなと感じます。だから偉そうにしない。別に好感度のためではなくて。
・無知の姿勢が要請すること
“そこではThはある種の専門性を求められる。それは、これまでの経験、事実、知識をベースにして理解、説明、解釈を作り上げないという専門性である。”p180
この「無知の姿勢」というもの自体が、「Thが培った専門性を捨てるという専門性」であることをアンダーソン自身も自覚していたみたいです。
一方、アンダーソンはこうも言っています。少し長いので、短く切って提示します。
・無知の姿勢が意味しないこと
“無知の姿勢は、言いたいことを言わなかったり、知らないふりをしたり、偽ったり、あるいは中立を保ったりすることではない。”
分解してみるとこうなります。
⓪何も知らない
何も知らないのはただの無知で、知識があっても棚上げにして臨むのが無知の姿勢。
①言いたいことを言わない
Clのなすがままに面接するわけではない。Thも言いたいことは言うし、それによって共同で会話システムが活性化することが大切。
②知らないふりをしたり
別におバカさんのふりをすることが無知の姿勢ではない。
③中立を保ったりする
中立を保つというとなんとなくThのあるべき立場のようだが、ポストモダンのセラピーではClの話を尊重してそれにのっかる形が強いように思う。
“私はThのもつ既習の知識、つまり理論的・経験的・職業的、あるいは個人的知識に反対するつもりはない。多くの時間、資金、エネルギーが費やされて、診断、予測、治療等の方法が進歩してきたわけで、これらの知識をなくすべきだとか、なくすことが可能だというつもりはない。”
“Thは全くの白紙状態というわけにはいかず、考え、意見、偏見なしで臨むことは不可能だ。中立でいることもできない。これらは無理な話だが、一方で私たちは、個人的な職業的経験、自分の価値観、傾向、信念なども含め、ありのままの自分を面接室にもって入る。そこでは自分の意見、アイデア、感情などが述べられ分かち合えることが必要だ。” p180-181
コラボレイティブ(共同)な過程を経るには、Thが例え専門的知識にまみれていても、それによってClを決めつけたり、その見方を否定されるのを恐れて伝えないのではなく、Clと共有できることが大切ということだと思われます。
wikipediaのショートサマリーには以下の文があります。
“Collaborative therapists help families reorganize and dis-solve their perceived problems through a transparent dialogue about inner thoughts with a "not-knowing" stance intended to illicit new meaning through conversation. ”
transparent dialogueが「透明な対話」であり、これを体現するためには、例えば発言の意味や意図を隠さないといったことが重要になると思われます。なので、言語的に発達しきっていない小学生とかにはきっと無理です。
とにもかくにも、アンダーソンは専門性をすべて捨てることはさすがに無理だし、無くすべきというつもりはないということを強調しています。
また、アンダーソンはハロルド・グーリシャンの面接を提示し、“無知の姿勢を通して、新たな意味、新たな物語が出現できるよう、これまでのストーリーを語り直す余地をつくった。そしてこれが対話と開かれた会話への起点となった”と述べています。
そのグーリシャンの面接を要約すると以下のようになります。
・グーリシャンの面接例
--------------
Clは自分に慢性の病気があり、他人に感染して相手を死に至らしめると信じていた。病気にかかったのは若いころに仕事でアジアに行って売春婦と性行をしたときであり、その後船上で感染症に関する授業を受け、自分は病気にかかったと不安にかられた。何人もの医者を訪ねたが、誰も信じてくれなかった。誰もこの伝染病の恐怖と執念をClから取り除けなかった。グーリシャンが無知の姿勢で面接を行った。これはコンサルテーションのために入った1回だったので、元のTh(精神科医)がそれ以降面接していき、6か月後には伝染病かどうかは問題ではなくなり、生活も安定した。
その2年後、精神科医からアンダーソンへの手紙には以下のように書いてあった(この時グーリシャンは既に他界していた)。Clがグーリシャンのことで印象に残っていたことは、グーリシャンが自分を信じてくれたことであり、「男としてすべきことを君はしたんだよ」という一言だった。
--------------
自分が病気に違いないといういわば妄想のようなことを否定せず(グーリシャンは「それに罹ったと思われるのはいつ?」ではなく「罹ったのはいつ?」と聞いたりした)、アジアで風俗行ったことを非難せず、それを男としてすべきことをした、というのはある意味ノーマライズとも捉えることができます。男だったらそうしない方が変ですよね、という一般化であり、Cl個人を非難する視点は入っておらず、共感的です。たぶんClは相当話しやすくなっただろうなと思います。
このエピソードは個人的に結構好きです。
・望ましい結果、ロジャーズとの類似点
“Clと会話する際、相手のいわゆる「変な見方」を崩そうとしたり、相手を教育することはしない。それよりも、その見方に幅、空間を設けたいと思うし、それについて学びたいと思う。そのために私も没頭して相手の世界に入り込んでいきたいと思うが、それには相手に関心と敬意を表すとともに、Clが自分の気持ちを聞いてもらえ、認めてもらえたという感覚がもてるようにもっていきたい。”p186
面白いなと思ったのは、「もっていきたい」という言い回しです。訳の問題かもしれませんが、コラボレイティブ・アプローチ(というかアンダーソン)にも望ましい面接の方向性みたいなものはあるんだなと感じました。それでも、他のモデルより行き当たりばったり感は大分ありますが。
加えて、ここで言っていることはロジャーズの「無条件の肯定的関心」と「共感的理解」にかなり近いか全く同じだと思われます。
・技法と呼ぶものはない
ポストモダンの心理療法の中でもコラボレイティブ・アプローチには特定の技法みたいなものがありません。これは残念な点の一つです。
結局のところThのどのような振る舞いが、Clを先の状態にもっていけるかというプラグマティックな所は提示していません。これではこのアプローチを学んだ結果何をすればいいかがわからない。お手本(モデル)がないからいざやろうとしても難しい。Thに何か軸となるモデルがあり、それがどうしても機能しない時に示唆を与えてくれるような感じはしますが。経験が少なすぎて私にはまだわからないです。
以上でまとめは終わりです。無知の姿勢について少しでも理解が深まるような記事なっていればよいのですが。
つらつらと書いてしまったので読みづらかったと思いますが、読んでいただきありがとうございました。
■個人的な感想
以下は個人的な感想ですので、これまで以上に参考として見てください。
・コラボレイティブ・アプローチのThは、好奇心旺盛な子供みたいな感じ?
「どうしてそうなの?どうしてそうなの?」とただ他意もなく、先入観もなく、知りたいから聞くという感じ。どうだろう。
・精神分析の面接を見たことはないが、そんなイメージだろうか。もしくは、ロジャーズ。でもそれはやり取りの部分を見たらそう、ということで、精神分析にもクライアント中心療法にもモデルはある(前者は心的決定論、後者は理想自己と現実自己との乖離)。
■個人的な疑問点
以下も個人的な感想ですので、これまで以上に参考として見てください。
・不思議な点は、無知の姿勢を我々が学んだ時点でそれはThとしての専門性になってしまうこと。無知の姿勢という専門性を持ち込んだら、無知の姿勢によってそれを棚上げにしないといけないというトートロジーになってしまう。文字ずらの話なので、言葉遊びですが。
・「無知の姿勢」はなんとなく「脱イケメン」みたいな意味合いのような気がする。「脱」するということは元々イケメンなわけで、それが前提としてある。専門知識の上に無知の姿勢があるとすれば、初学者の時は無知の姿勢を学ばない方が良いと思う。
・専門知識による見立てと介入が成功するならそっちの方が話が早い場面はいくらでもあるだろうなと感じる。それがClにフィットしたなら、別に無知の姿勢になる必要はないのではないだろうか。
・Wikipediaにも書いてあるが、このセラピーはこれまで専門家の治療にことごとく失敗し、それを疑問視している人には確かに効果的だと思われる。なぜならそうやって接することがClにとってのDo something differentになるから。
・家族心理学.comで長谷川啓三先生が述べられているが、ナラティブでは皆まで言わないと扱えない。「共同言語システム」って言っているくらいなので、言語が主体。何でも言葉にする欧米の発想の濃さは確かに感じる。アンダーソンは非言語も会話に含まれると言っているけど、日本人のコンテクストはもっと非言語の影響が強い気がする。
・例えばClが、ある人との関係に悩んでいて、こういう風になりたいという明確な希望を持っている時、どのように行動すればいいかはモデルに沿って介入した方が効果的(早く望む結果へいける)なのでは?
・ナラティブってClが全てを語ってくれることが前提なの? 共同言語システムという考え方だとそんなイメージ。でも、もし語ることの侵襲性が高かったら、どうすればいいのだろう。
コラボレイティブ・アプローチについては解説しているサイトがありますし、英語版のwikipediaが結構いいです。
一応このブログでも書いてはいるので、参考までにどうぞ。
・コラボレイティブ・アプローチ(共同言語システムアプローチ)に迫る
無知の姿勢はその名前のインパクトからか、妙に話題になっており、自己啓発的なWebページでも特集がされているようです。例としては以下。
・相手を話す気にさせる「無知の姿勢」とは?
http://ameblo.jp/onenesskyoukai/entry-11166962916.html
・未来のビジネスリーダー必須能力!「無知」の姿勢を手に入れる5つの方法!
http://bijodoku.com/creative/not-knowing/
「無知の姿勢」という用語が示す意味は文字ずらから容易に読み取れそうですが、背景には理解しておくべき事柄がたくさんあるように思います。理解しておくべきというか、どういう文脈でこの言葉が出て来たかを知っておいた方が受け入れやすい、という感じです。例えば従来の家族療法、モダンとポストモダン、ナラティブ・セラピー、社会構成主義等々。
ここでは読み手の人がそのような背景をある程度知っているという前提のもと、書籍などで無知の姿勢について述べられていることについて、かいつまんでまとめてみます。
思ったより記事が長くなってしまったので、気になるところだけでも読んでいただければ幸いです。
※文が冗長になるのを避けるため、文章中のセラピストは「Th」、クライアントは「Cl」と表記しています。
■ 「無知の姿勢」の定義
無知の姿勢とは、あらかじめ用意された既知の理論を、Clにそのまま適用することに対して慎重であろうとする姿勢である。
※『クライアントが専門家である』ナラティヴ・セラピー──社会構成主義の実践より
ここでいう既知の理論とは、Clを見立てるためのモデルや診断のための知識(DSM)など多種多様な情報を指していると思われます。例えば、認知に歪み(認知療法)があるねとか、そういう見方は無知の姿勢にはならないということでしょう。
ちなみにですが、wikipedia(英語版)の「Collaborative therapy」には冒頭に以下のように書いてあります。
“It is intended for clients who are well educated in any field, or for those that have distrust of psychotherapists due to past negative experiences with one or more.”
この文を読むと、コラボレイティブ・アプローチは「教養がある人」や「過去の嫌な経験からセラピストに不信感を持っている人」を対象にしているという印象を受けます。自分の知る範囲では翻訳されている書籍の中で、特定の誰かを対象としているということは書いていなかった気がするのですが。。
実際はどうか知りませんが、このターゲッティングは何となくわかる気はします。
教養がある人は自分なりの考え方を持っているので、専門家色が強いThを毛嫌いしそうです。また、過去にいくつかの相談機関を利用したことのあるClは、Thが何をどのように聞いてくるかを経験から知っていて、上から目線でわかったような決めつけをしてくるThに飽き飽きしているのでしょう。確かにアンダーソンはこのようなThを嫌っている(それが効果的ではないと感じている)ことがなんとなく書籍から伝わってきます。
対象についてはひとまず置いておいて、無知の姿勢に戻ります。
ここからは次の書籍を参考に少し補足していきます。
Conversation, Language, and Possibilities : A postmodern approach to therapy
Anderson, H.(1997) 会話・言語・そして可能性―コラボレイティヴとは?セラピーとは? (2001)ハーレーン アンダーソン(訳)野村 直樹・吉川 悟・青木 義子
・アンダーソンが述べる無知の姿勢(Not-Knowing)
“無知の姿勢とは、Thのとる一つの構えであり、態度であり、信念である。つまり、Thはひとり特権的な知識を享受できないし、また他者を完全に理解することはできない。他者から常に「教えてもらう状態」を必要とし、言葉にされたことされないことも含めもっとよく知りたいと思う。このような態度であり、信念である。”p175
言い換えてみると、先入観をもたずにClを知ろうとすること、ということでしょうか。ただし、どのような関わりによってこれがClに伝わるかということについてはあまり触れられていないように思います。
■無知の姿勢を体現するために重要なこと
・確信を持たない
“自分の知識を疑う用意をしておくことである。セラピーにおいて、自分にとって支配的となった専門的言説や個人的考えから離れ、棚上げし、留保しておくことを求められる。”p176
やはり先入観を持たないということでしょう。エポケーって感じで。
・リスクを冒す用意
“無知の姿勢でいることで、Thは批判の対象になりやすくなるし、また変化を余儀なくされる。そのリスクとは、Clが舞台の主役になり、彼らが気の向くように話し先導していくことで、Thが重要と考えたり、前もって決めた事項をもとに進んではいかなくなることだ。”p176
無知の姿勢でいることで、Thは専門知識という武器を棚上げして面接に臨むわけですから、それがリスクだということです。丸腰で銀行強盗を説得しようとするネゴシエーターみたいな感じでしょうか。いまいち?
とくかく、面接における会話はCl主導で進んでいくはずである、ということです。
“臨床理論、研究から来る仮説によるにせよ、知識を持つことは、自分の知識の正しさを立証する行動へと潜在的にThや研究者を誘導する。”p177
無知の姿勢で重要な所だと感じる部分です。前もって知識を持っていると、確証バイアスによって、自分たちが正しいという部分を探していくことは起こり得るでしょう。それは確かにCl中心ではなくてTh中心だと思います。
アンダーソンはこうも言っています。
“Thに思い込みや方針があるかないか以上に、重要なのはその知識でもってなされる行動の内容である。そして同じぐらい重大なのは、自分の知っていることを追求することで、私たちが一人ひとりのClの独自性とその状況のユニークさに目を開けずそれを失ってしまうことだと思う。”p177
アンダーソンはThの持つ態度がどのようにClに伝わるかが重要だということを指摘しているように思います。そしてもう一つは、情報のピックアップです。逐語の検討をしている時に思うのですが、Thのセンスの1つは相手が語った内容のどの部分をピックアップして返すかだと思います。セラピーをどう方向付けるか、と言い換えてもいいかもしれません。
Thが聞きたいことだけを聞くようになると、会話の内容や範囲を固定化して狭めるから、だったら専門知識なんていらない、みたいな感じでしょうか。
“我々は本当に知らないとすれば、学ぶ以外にない。学ぼうと踏み出した時が、Clの言っていることを理解しようとする時だ。”p178。
ここでの「学ぶ」の目的語は何であるかについては別記事でも書いたのですが、Cl独自の言葉などがあげられるでしょう。他にはClのおかれた状況、他者との関係性などでしょうか。
・謙虚さ
“無知の姿勢は、自分が知っていることについて謙虚になることを意味する。”p178
Clこそが専門家なのだから、知ったかぶりをするな、ということでしょうか。
書籍の中の例としては、以下のようなものがあります。
『11歳になる息子もつ母親が、息子が学校に一人で行くのが心配だったり、お友達の家に一晩止まることが心配だとしても、それを「過保護」だとは考えない。』
“Thのではなく、「Clの不安、最も恐れているもの」、「子育てに影響を与えているもの」について、「他の人がClにどんなアドバイスをしたか」、「Clが小さいころ、このようなことが家庭で問題になったのか」、「もしなっていたらどう対処したのか」、などを聞く。質問の意図は「もっと知るため」であり、その物語を共有するところにある。”p179
Thが「この母親は過保護だ」という眼鏡をかけてみれば、例えば「息子はそろそろ反抗期になり、親の目の見えない行動をとることも増える、だからそんな時はうんたらこうたら」みたいな接し方になり、それがはまらなければ抵抗が生じる可能性は高まり、会話は停滞しやすくなる、みたいなことを言いたいのだと思われます。
“質問が何か特別な答えを探していたり、正しい答えがありそうだという印象を与えたくない。謙虚とは、人の言いなりとか弱気という意味ではなく、偉そうにしないということ。”p179
こういうのを読んでいると、アンダーソンたちは面接を「ThとClを含めた治療のための会話システム」だと捉えていて、自分たちThの影響というものにかなりの注意を払っていたのだなと感じます。だから偉そうにしない。別に好感度のためではなくて。
・無知の姿勢が要請すること
“そこではThはある種の専門性を求められる。それは、これまでの経験、事実、知識をベースにして理解、説明、解釈を作り上げないという専門性である。”p180
この「無知の姿勢」というもの自体が、「Thが培った専門性を捨てるという専門性」であることをアンダーソン自身も自覚していたみたいです。
一方、アンダーソンはこうも言っています。少し長いので、短く切って提示します。
・無知の姿勢が意味しないこと
“無知の姿勢は、言いたいことを言わなかったり、知らないふりをしたり、偽ったり、あるいは中立を保ったりすることではない。”
分解してみるとこうなります。
⓪何も知らない
何も知らないのはただの無知で、知識があっても棚上げにして臨むのが無知の姿勢。
①言いたいことを言わない
Clのなすがままに面接するわけではない。Thも言いたいことは言うし、それによって共同で会話システムが活性化することが大切。
②知らないふりをしたり
別におバカさんのふりをすることが無知の姿勢ではない。
③中立を保ったりする
中立を保つというとなんとなくThのあるべき立場のようだが、ポストモダンのセラピーではClの話を尊重してそれにのっかる形が強いように思う。
“私はThのもつ既習の知識、つまり理論的・経験的・職業的、あるいは個人的知識に反対するつもりはない。多くの時間、資金、エネルギーが費やされて、診断、予測、治療等の方法が進歩してきたわけで、これらの知識をなくすべきだとか、なくすことが可能だというつもりはない。”
“Thは全くの白紙状態というわけにはいかず、考え、意見、偏見なしで臨むことは不可能だ。中立でいることもできない。これらは無理な話だが、一方で私たちは、個人的な職業的経験、自分の価値観、傾向、信念なども含め、ありのままの自分を面接室にもって入る。そこでは自分の意見、アイデア、感情などが述べられ分かち合えることが必要だ。” p180-181
コラボレイティブ(共同)な過程を経るには、Thが例え専門的知識にまみれていても、それによってClを決めつけたり、その見方を否定されるのを恐れて伝えないのではなく、Clと共有できることが大切ということだと思われます。
wikipediaのショートサマリーには以下の文があります。
“Collaborative therapists help families reorganize and dis-solve their perceived problems through a transparent dialogue about inner thoughts with a "not-knowing" stance intended to illicit new meaning through conversation. ”
transparent dialogueが「透明な対話」であり、これを体現するためには、例えば発言の意味や意図を隠さないといったことが重要になると思われます。なので、言語的に発達しきっていない小学生とかにはきっと無理です。
とにもかくにも、アンダーソンは専門性をすべて捨てることはさすがに無理だし、無くすべきというつもりはないということを強調しています。
また、アンダーソンはハロルド・グーリシャンの面接を提示し、“無知の姿勢を通して、新たな意味、新たな物語が出現できるよう、これまでのストーリーを語り直す余地をつくった。そしてこれが対話と開かれた会話への起点となった”と述べています。
そのグーリシャンの面接を要約すると以下のようになります。
・グーリシャンの面接例
--------------
Clは自分に慢性の病気があり、他人に感染して相手を死に至らしめると信じていた。病気にかかったのは若いころに仕事でアジアに行って売春婦と性行をしたときであり、その後船上で感染症に関する授業を受け、自分は病気にかかったと不安にかられた。何人もの医者を訪ねたが、誰も信じてくれなかった。誰もこの伝染病の恐怖と執念をClから取り除けなかった。グーリシャンが無知の姿勢で面接を行った。これはコンサルテーションのために入った1回だったので、元のTh(精神科医)がそれ以降面接していき、6か月後には伝染病かどうかは問題ではなくなり、生活も安定した。
その2年後、精神科医からアンダーソンへの手紙には以下のように書いてあった(この時グーリシャンは既に他界していた)。Clがグーリシャンのことで印象に残っていたことは、グーリシャンが自分を信じてくれたことであり、「男としてすべきことを君はしたんだよ」という一言だった。
--------------
自分が病気に違いないといういわば妄想のようなことを否定せず(グーリシャンは「それに罹ったと思われるのはいつ?」ではなく「罹ったのはいつ?」と聞いたりした)、アジアで風俗行ったことを非難せず、それを男としてすべきことをした、というのはある意味ノーマライズとも捉えることができます。男だったらそうしない方が変ですよね、という一般化であり、Cl個人を非難する視点は入っておらず、共感的です。たぶんClは相当話しやすくなっただろうなと思います。
このエピソードは個人的に結構好きです。
・望ましい結果、ロジャーズとの類似点
“Clと会話する際、相手のいわゆる「変な見方」を崩そうとしたり、相手を教育することはしない。それよりも、その見方に幅、空間を設けたいと思うし、それについて学びたいと思う。そのために私も没頭して相手の世界に入り込んでいきたいと思うが、それには相手に関心と敬意を表すとともに、Clが自分の気持ちを聞いてもらえ、認めてもらえたという感覚がもてるようにもっていきたい。”p186
面白いなと思ったのは、「もっていきたい」という言い回しです。訳の問題かもしれませんが、コラボレイティブ・アプローチ(というかアンダーソン)にも望ましい面接の方向性みたいなものはあるんだなと感じました。それでも、他のモデルより行き当たりばったり感は大分ありますが。
加えて、ここで言っていることはロジャーズの「無条件の肯定的関心」と「共感的理解」にかなり近いか全く同じだと思われます。
・技法と呼ぶものはない
ポストモダンの心理療法の中でもコラボレイティブ・アプローチには特定の技法みたいなものがありません。これは残念な点の一つです。
結局のところThのどのような振る舞いが、Clを先の状態にもっていけるかというプラグマティックな所は提示していません。これではこのアプローチを学んだ結果何をすればいいかがわからない。お手本(モデル)がないからいざやろうとしても難しい。Thに何か軸となるモデルがあり、それがどうしても機能しない時に示唆を与えてくれるような感じはしますが。経験が少なすぎて私にはまだわからないです。
以上でまとめは終わりです。無知の姿勢について少しでも理解が深まるような記事なっていればよいのですが。
つらつらと書いてしまったので読みづらかったと思いますが、読んでいただきありがとうございました。
■個人的な感想
以下は個人的な感想ですので、これまで以上に参考として見てください。
・コラボレイティブ・アプローチのThは、好奇心旺盛な子供みたいな感じ?
「どうしてそうなの?どうしてそうなの?」とただ他意もなく、先入観もなく、知りたいから聞くという感じ。どうだろう。
・精神分析の面接を見たことはないが、そんなイメージだろうか。もしくは、ロジャーズ。でもそれはやり取りの部分を見たらそう、ということで、精神分析にもクライアント中心療法にもモデルはある(前者は心的決定論、後者は理想自己と現実自己との乖離)。
■個人的な疑問点
以下も個人的な感想ですので、これまで以上に参考として見てください。
・不思議な点は、無知の姿勢を我々が学んだ時点でそれはThとしての専門性になってしまうこと。無知の姿勢という専門性を持ち込んだら、無知の姿勢によってそれを棚上げにしないといけないというトートロジーになってしまう。文字ずらの話なので、言葉遊びですが。
・「無知の姿勢」はなんとなく「脱イケメン」みたいな意味合いのような気がする。「脱」するということは元々イケメンなわけで、それが前提としてある。専門知識の上に無知の姿勢があるとすれば、初学者の時は無知の姿勢を学ばない方が良いと思う。
・専門知識による見立てと介入が成功するならそっちの方が話が早い場面はいくらでもあるだろうなと感じる。それがClにフィットしたなら、別に無知の姿勢になる必要はないのではないだろうか。
・Wikipediaにも書いてあるが、このセラピーはこれまで専門家の治療にことごとく失敗し、それを疑問視している人には確かに効果的だと思われる。なぜならそうやって接することがClにとってのDo something differentになるから。
・家族心理学.comで長谷川啓三先生が述べられているが、ナラティブでは皆まで言わないと扱えない。「共同言語システム」って言っているくらいなので、言語が主体。何でも言葉にする欧米の発想の濃さは確かに感じる。アンダーソンは非言語も会話に含まれると言っているけど、日本人のコンテクストはもっと非言語の影響が強い気がする。
・例えばClが、ある人との関係に悩んでいて、こういう風になりたいという明確な希望を持っている時、どのように行動すればいいかはモデルに沿って介入した方が効果的(早く望む結果へいける)なのでは?
・ナラティブってClが全てを語ってくれることが前提なの? 共同言語システムという考え方だとそんなイメージ。でも、もし語ることの侵襲性が高かったら、どうすればいいのだろう。
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コラボレイティブ・アプローチ(共同言語システムアプローチ)に迫る
2017.02.21.Tue.20:44
コラボレイティブ・アプローチは言葉としては知っていても、その実いったい何なのかがよくわからないという人は少なくないように思います。自分だけでしたら申し訳ないですが。
どのようなセラピーかと言うと、例えば臨床心理士対策のあるテキストにはこのように解説してあります。
“アメリカにおいて、ハロルド・グーリシャンやハーレーン・アンダーソンによって生まれた心理療法である。セラピストは無知の姿勢(Not-Knowing)、「クライアントこそ専門家である」という考えにおいて、クライアントの持つ力が最大限に発揮されるように、セラピストは専門性から脱することを目指し、クライアントと協同作業を行うアプローチである。”
※臨床心理士試験対策心理学標準テキスト(指定大学院入試対応!)'16〜'17年版 浅井伸彦
恐らくこれはその通りなのでしょう。
ただし、これを読んだだけでどんなセラピーが展開されるかイメージするのは不可能だと思われます。実際自分も勉強していてよくわからないのです。なので、ここではアンダーソンの書籍を追いつつ、コラボレイティブ・アプローチがどのようなアプローチであり、どのような面接が展開されるのかを自分なりに考えていきたいと思います。
(以降すべて私の主観なので、参考程度に読んでください)
まず初めに概要を書いておこうと思います。
・名称:「コラボレイティブ・アプローチ」or「共同言語システム・アプローチ」
アンダーソンは書籍で、私たちのアプローチは「コラボレイティブ・ランゲージ・システム・アプローチ」として知られるようになった、と述べています。それを訳したのが後者の方で、略称が前者と言えます。
心配なのは、collaborativeの訳である「きょうどう」って共同でいいのかな…。協働かな?とりあえずWeblioに従って共同と書きます。
・原産国:アメリカ(テキサス州・ガルベストン)
どうでもいいですが、西海岸でも東海岸でもなく、テキサスという中南部というのは面白いです。このガルベストンにある研究所はヒューストン・ガルベストン・インスティテュート(HGI)と呼ばれているそうです。MRIみたいですね。
・提唱者:ハーレーン・アンダーソン(女)、ハロルド・グーリシャン(男)
HARLENE ANDERSON and HAROLD A. GOOLISHIAN
アンダーソンはグーリシャンのお弟子さんです。ちなみにグーリシャンは既に亡くなっています。アンダーソンはグーリシャンのことを心から慕っていたことが、書籍からわかります。
・重要論文
HARLENE ANDERSON and HAROLD A. GOOLISHIAN(1988). Human Systems as Linguistic Systems: Preliminary and Evolving Ideas about the Implications for Clinical Theory FAMILY PROCESS, 27(4), 371-393
翻訳版:協働するナラティヴ──グーリシャンとアンダーソンによる論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」 (訳)野村直樹
・書籍(一例です)
Anderson, H.(1997). Conversation, Language, and Possibilities : A postmodern approach to therapy
会話・言語・そして可能性―コラボレイティヴとは?セラピーとは? (2001)ハーレーン アンダーソン(訳)野村 直樹・吉川 悟・青木 義子
何から書いたらいいのかもよくわからないのですが、とりあえず、『会話・言語・そして可能性』の3章の一部を読みながら考えていきたいと思います。
この章にはアンダーソンの臨床観、そしてコラボレイティブ・アプローチの基礎となる考え方が詰まっています。
※以降の見出しは本の内容を踏まえて改良している部分とそのままの部分があります。
■ 臨床に対する見方の変更
“私の臨床経験を振り返ると、ポストモダンの思想に興味を掻き立てられ、それに没頭したことが思い起こされる。そこで、私は自分のセラピーの基本思想と考え方にそれがどう影響してきたか説明するための話を私なりに書いてみる。”p58
実はこの前の部分にも、アンダーソンがどのような思いでコラボレイティブ・アプローチにたどり着いたかが書いてあります。
かいつまんで言うと、このコラボレイティブ・アプローチはアンダーソンが過去に行った臨床について、成功したものと失敗したものを周りと話し合い、そのことが影響してできたセラピーであると述べています。また、自分の経験や疑問についての根拠を追求するうちに、モダンな考え方からポストモダンの考え方に引き寄せられたと言っています。
そのため、コラボレイティブ・アプローチを本気で知るためには理解しなければならない用語がたくさんあると言えるでしょう。
それは例えばモダンとポストモダン、社会構成主義、セカンド・オーダー・サイバネティクス、ナラティブ、など他にも数えきれないほどあると思います。また、80年代に起きた家族療法の認識論の転換(Clを観察するシステムから、Thを含めた治療システムへ)の背景を知っていないと、コラボレイティブ・アプローチを理解するのが大変かと思います。それらは家族療法のテキストを見れば書いてあると思うのでご参照ください。
“私の臨床は、全て言語を中核に置いていて、人の関与するシステムを「言語システム」としてとらえる。そして、コラボレイティブに(共同作業を通して)そのシステムに働きかける環境づくりを目指している。”p58
例えば「家族」や「夫婦」、「親子」という単位は戸籍や血縁上そう定義することができるシステムであるけれども、言語・コミュニケーションを介したものをシステムだとすると、それらの垣根は割とどうでもいいという考えを持っていたようです。この考え方が、このアプローチのネーミングになっていることが見て取れます。
・最初はテクニックだった
“初期の頃、私はClの言葉を話すことに焦点をあて、彼らの価値観や世界観、言葉遣いや言い回しを学ぼうとしていた。その狙いは、Cl使っている言葉で会話し、言い回しを有効に使うことにあった。セラピーの戦略として、ストーリーに影響を与え編集を加える道具として、そして変化を導くための協力を得る技術として、学ぼうとしていた。”p58
この狙いはジョイニングのような感じに見えます。こちらから働きかける前準備として、Clに合わせていく。アンダーソンも当初は戦略的なことをしていたことをうかがわせます。
“注意してClの話に耳を傾けると、自然に興味が湧いてくる。気が付くとそのユニークなストーリーに引き込まれて、その人の人生や悩みについて本当に知りたくなってくる。中略。会話のテクニックとして故意に始めたことが、気取らないで話し関係を作る方法となっていった。”p59-60
テクニックとして始めたことが、徐々にその場のClとThの治療システムを活性化することに気付いていったという感じでしょうか。アンダーソンのこの姿勢はロジャーズの「無条件の肯定的関心」のようも見えます。
・Clから何を学ぶか
“私たちは、家族の言葉を学習するというより、それぞれメンバー独自の言葉を学習していることに気付いた。”p60
学習するというのは一つキーワードだと思われます。なぜならコラボレイティブ・アプローチではClが専門家でThは教えてもらうという立場をとるからです。つまり、学ぶものの1つは独自の言葉、ということになるのでしょう。
“家族はひとつの生物ではない、~中略~、1つの問題、1つの家族、1つの解決に向かって働きかけているのではないことが分かった。”p60
家族をシステムとして見るならば、家族はひとつの生物っぽい扱いを受けるはずです(自己制御機能など)。ここから、このアプローチがシステミックなものではなくなっているのが見て取れます。
・聞く準備があることを伝える
(前後の文脈がありますが、ちょっとわかりづらかったのでいったん棚上げにして)
“私たちが言葉と態度で、各人が話すことに誠意と興味を示し、言う時間を十分与えたいと伝えた。そうなると、話し手は自分のストーリーを必死になって説明する必要がなくなった。聞き手も割って入ったり、付け足したりそれほどしない。”p60
この文章は家族面接について述べている部分です。
片方の人が話す際のもう片方の心情としては、「間違ったことを言わないか」、「この後自分はしゃべれるのか」と言ったことが考えられて、それを先に解消しておく配慮という感じでしょうか。その結果色々しゃべってくれて、聞き覚えのあるストーリーが違う話のようになったりするらしいです。違う話という言葉から、やはりシステム論ではなくナラティブモデルの視点で見てると思われます。
・ふつうの言葉を使う
“私たちはClのことを外で話すとき、Clの言葉や言い方で説明しようとした。中略。同僚たちは私のやっていることやClの状況に興味を示し、その本人にとってそれがどのような世界か理解しようとした。”p61
例えば「受動攻撃性人格」や「過食傾向」と言った専門用語でClを表現すると、その人のユニークさが入る余地がないということです。実際のClは独自性をもった存在で、だからその人が使う普通の言葉を使うという姿勢です。やはり言語を重視しています。
・介入の放棄
“Clの言葉とその意味を中心に据えることで、私たちはThとしての専門性を捨て始めた。人はどうあるべきかとか、面接での介入といった専門性を放り出した。”
「専門性を捨てる」ということがこのアプローチの鍵概念である「無知の姿勢」につながっているのでしょう。
それにしても、介入しないと良くならない、というのがThの先入観だったのでしょうか。それともこのアプローチ(ナラティブセラピー全般)では会話自体が介入であると見るべきなのか、どっちでしょうか。
“私たちの(セラピー)は「なにもしていない」とか、「ワイワイ話しているだけ」、「ノンディレだ」と批判する人もいる。中略。でも私たちにとってはセラピーもClの話も以前より刺激的になった。”p62
周りからの意見が辛辣で面白いです。アンダーソンたちはこれまでと全く逆の考えを持っているわけだから当然で、でもやっている方はセラピーが刺激的になったと言っているから、本当にそうなのでしょう。
・共同言語システム
アプローチの名前にもなっているこの言葉をなかなか理解できない気がしていますが、これまでの所や以下のような説明を聞いていると何となく見えてくるような気もします。
“教えてもらうという立場は、相互的な共同探索へと自然に向かわせ、Clは私たちと一緒に問題を考え可能性を探っていくパートナーとしてこれに携わるようになった。セラピーは一方向的な話しかけから相互の話し合いに移行し、参加者全員で討論や質問がかわされた。”
例えば、「医者と患者」、「教師と生徒」では医者と教師がより知識を持ったone up positionですが、ThとClはそのような上下の関係にはなく、就職活動のグループディスカッションに集まった人達みたいにフラットな関係ということでしょう。アンダーソン達はこの関係性の中で生じる双方向の会話(これが共同言語システムだと思われます)が、Clの様々な可能性を見出し、問題が解消の方向に向かうと考えていたと考えられます。
“Thはその場合、言語を道具として使う編集者としてClの物語を書き換えるのではなく、言葉や人間関係から新たに生まれるストーリーの共著者の1人にすぎない。”p64
これも共同言語システムのアナロジーだと思われます。
・予測をしない(見立てない?)
“セラピーという会話の成果は前もって予測できなくなり、Thは絶えず不確定な状況に身を置くことになる。この予測不可という感覚が不思議にも私たちに快適さと自由を与えるのに気づき、積極的な価値を見出した。私たちは知らなくてもいいという自由、つまり「無知の姿勢」という自由を得た。”p64
専門知識(つまりモデル)を用いないことはそれに基づいた予測をしないことを意味すると考えられます。それを快適で自由と言えるアンダーソンの神経は図太いというか、どっしりしているなと思います。
では臨床心理学の研究は何のためにあるのでしょう? Thは何のためにいるのでしょう? 友達にお話し聞いてもらえばいいじゃないか? と思ったりもします。しかし、そのお友達たちはそれぞれの経験や価値観をもって話を聞いたならば、それは従来の専門家の一方的なアドバイスと同じになってしまうということかもしれません。つまり、このアプローチの専門性は「専門性を捨てる、という専門性」であると考えることができるでしょう。
とは言え、研究によって練られた成果(モデル等)で見立てて、介入してはまる、つまり効果が上がるならそれが手っ取り早いような気がします。言い方は悪いですが、時短するには手本(モデル)があった方が良いことがよくありますし、セラピーをサービスとして考えた場合、短時間というのは売りに成り得ます。
“知っていなくても良いとする余裕が、反対にイマジネーションと創造性を誘発した。無知の姿勢こそ私のコラボレイティブな言語システムアプローチを特徴づける主軸概念であり、他のセラピストたちとの違いを明確にしている。”p64
無知の姿勢という言葉が出てきました。これについてはまた別の記事で詳細に見ていきたいと思います。
この文はThの心理面を鋭くとらえている気がします。あれをやらなければいけない、これをやらなければいけないと考えると、そこに意識が集中して目の前のClの言葉に集中できなくなる、ということは容易に想像できます。慣れればそうでないのかもしれませんが、Thの認知的なリソースにも限りがありますから、専門性を捨てることで得られるメリットとしてはわかりやすいです。
例えばブレインストーミングするときは批判してはいけないというルールがありますが、それと同じことでしょう。「良い悪い」を判断してると、評価を気にしてアイデアは出てこないです。収束するのではなくて拡散的な思考を目指しているのかもしれません。そして恐らく、こういうThの頭の中はClに言語的、非言語的に伝わるのでしょう。仕事のことを考えながら妻の話を聞く夫が「話聞いてなかったでしょ!」と非難されやすいのと一緒です。
・問題を編成し、問題解決しないで解消するシステム(problem-organizing, problem-dissolving system)
このような「問題」の捉え方をしたことがアンダーソンとグーリシャンのアプローチを有名にしたという個人的な印象があります。この考え方はこれまでの考え方とは大きく違っていたからです。
“私たちの臨床スタイルが変化するにつれ、「家族」という概念も窮屈になってきた。その理由は、ある人固有の状況や、「問題」をめぐってかわされるやりとりの内容と関係なく、誰が何故面接されるべきかが前もって決められているからだ。”p67
家族という概念があると、問題を作り出しているのはその家族であり、家族が治療の対象となる。これが前もって決められているということだと思われます。
“そこで私たちは、その場で話を聞いた人たちを中心にして考えることにし、その人たちを、問題を巡って出来上がっているシステムの一員として捉えた。”p67
家族といったシステムが問題を組織化するのではなく、問題がシステムを組織化するという発想でしょうか。これは恐らくオートポイエーシスの考え方を汲んでいて、「問題」を内側から観察した結果、その作動に付随して構造的にはこの人とこの人を巻き込んでいた、というイメージだと思われます。私の想像ですが。。。
“最初、私たちはそのシステムのことを「問題によって決められる(結びついた)システム」(problem-determined system)とし、後に「問題を編成し、問題を解決しないで解消するシステム」(problem-organizing, problem-dissolving system)と呼びなおした。”p67
この英語を誰が最初に訳したか知りませんが、相当難しかったと思います。「解決しないで」の部分は訳の上ではいらないはずですが、あえてつけているとすれば、論文中に「解決ではなく解消」と言及された箇所があるからでしょうか。
“面接で話す相手は、誰が問題を巡って誰に対し話しているのかで決められ、社会的位置づけ、つまり親だとか夫婦だとかカウンセラーと言った役割によってではなかった。言ってみれば、今日のセッションが次回のメンバーを決めていき、「問題システム」自体の構成員が変化した。”p68
この考え方から行くと、「家族療法」や「夫婦療法」という言葉はナンセンスということになります。
“一言でいえば、ThとClはその時以来会話のパートナーとなった。つまり、Clが自身について知る専門性とThが会話のプロセスについて知る専門性が合わさって、新しい理解や可能性につながることが分かった。それ以来、私たちのセラピーはよりコラボレイティブなものになり、Th-Clという区分と両者の間の階層性はぼけ始め、解消の方向に向かった。これに伴いセラピーとその結果について共同責任が持てるようになった。”p69
この部分はやや説明不足な感じがあります。
まず「Thが会話のプロセスについて知る専門性」とは何なのかがよくわからない点。後は共同責任が持てるようになったと思っているのはThの側であって、Clがそう思っているとは思えない点。Clはお金を払ってセラピーを受けているのであって、責任があるのはThと考えるほうが自然では? でもこの方がClの動機づけを高めるのでしょうか。とりあえずそうやって気負わないことでリラックスして会話することが良いセラピーにつながると考えているからこう書いたと思われます。
ここまで雑多に書いてきましたが、無知の姿勢というものがどういうものなのかが極めて重要だと思いますので、今後自分のまとめのためにも書いていこうと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
■以下個人的に思ったこと
コラボレイティブの面接かどうかは外から見てもわからないのかもしれない。なぜならば、質問1つにしても、Thの「技法」の違いではなくて「意図」の違いなので、言葉にすると区別ができないから。例えば逐語録を読んだだけではわからない。もし意図自体を言葉にすることがあれば、それは他の心理療法と差異があるのかもしれないけれど、表面上はクライアント中心療法と重なる部分がかなり多いと思われる。
もしくは、Thは割と積極的に発言の意図を言ってもいいということかもしれない。必要な情報を収集しているのではなくて、あなたに関心があるからこういうことを聞いているんですよって、言語的に伝えてしまうということ。
どのようなセラピーかと言うと、例えば臨床心理士対策のあるテキストにはこのように解説してあります。
“アメリカにおいて、ハロルド・グーリシャンやハーレーン・アンダーソンによって生まれた心理療法である。セラピストは無知の姿勢(Not-Knowing)、「クライアントこそ専門家である」という考えにおいて、クライアントの持つ力が最大限に発揮されるように、セラピストは専門性から脱することを目指し、クライアントと協同作業を行うアプローチである。”
※臨床心理士試験対策心理学標準テキスト(指定大学院入試対応!)'16〜'17年版 浅井伸彦
恐らくこれはその通りなのでしょう。
ただし、これを読んだだけでどんなセラピーが展開されるかイメージするのは不可能だと思われます。実際自分も勉強していてよくわからないのです。なので、ここではアンダーソンの書籍を追いつつ、コラボレイティブ・アプローチがどのようなアプローチであり、どのような面接が展開されるのかを自分なりに考えていきたいと思います。
(以降すべて私の主観なので、参考程度に読んでください)
まず初めに概要を書いておこうと思います。
・名称:「コラボレイティブ・アプローチ」or「共同言語システム・アプローチ」
アンダーソンは書籍で、私たちのアプローチは「コラボレイティブ・ランゲージ・システム・アプローチ」として知られるようになった、と述べています。それを訳したのが後者の方で、略称が前者と言えます。
心配なのは、collaborativeの訳である「きょうどう」って共同でいいのかな…。協働かな?とりあえずWeblioに従って共同と書きます。
・原産国:アメリカ(テキサス州・ガルベストン)
どうでもいいですが、西海岸でも東海岸でもなく、テキサスという中南部というのは面白いです。このガルベストンにある研究所はヒューストン・ガルベストン・インスティテュート(HGI)と呼ばれているそうです。MRIみたいですね。
・提唱者:ハーレーン・アンダーソン(女)、ハロルド・グーリシャン(男)
HARLENE ANDERSON and HAROLD A. GOOLISHIAN
アンダーソンはグーリシャンのお弟子さんです。ちなみにグーリシャンは既に亡くなっています。アンダーソンはグーリシャンのことを心から慕っていたことが、書籍からわかります。
・重要論文
HARLENE ANDERSON and HAROLD A. GOOLISHIAN(1988). Human Systems as Linguistic Systems: Preliminary and Evolving Ideas about the Implications for Clinical Theory FAMILY PROCESS, 27(4), 371-393
翻訳版:協働するナラティヴ──グーリシャンとアンダーソンによる論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」 (訳)野村直樹
・書籍(一例です)
Anderson, H.(1997). Conversation, Language, and Possibilities : A postmodern approach to therapy
会話・言語・そして可能性―コラボレイティヴとは?セラピーとは? (2001)ハーレーン アンダーソン(訳)野村 直樹・吉川 悟・青木 義子
何から書いたらいいのかもよくわからないのですが、とりあえず、『会話・言語・そして可能性』の3章の一部を読みながら考えていきたいと思います。
この章にはアンダーソンの臨床観、そしてコラボレイティブ・アプローチの基礎となる考え方が詰まっています。
※以降の見出しは本の内容を踏まえて改良している部分とそのままの部分があります。
■ 臨床に対する見方の変更
“私の臨床経験を振り返ると、ポストモダンの思想に興味を掻き立てられ、それに没頭したことが思い起こされる。そこで、私は自分のセラピーの基本思想と考え方にそれがどう影響してきたか説明するための話を私なりに書いてみる。”p58
実はこの前の部分にも、アンダーソンがどのような思いでコラボレイティブ・アプローチにたどり着いたかが書いてあります。
かいつまんで言うと、このコラボレイティブ・アプローチはアンダーソンが過去に行った臨床について、成功したものと失敗したものを周りと話し合い、そのことが影響してできたセラピーであると述べています。また、自分の経験や疑問についての根拠を追求するうちに、モダンな考え方からポストモダンの考え方に引き寄せられたと言っています。
そのため、コラボレイティブ・アプローチを本気で知るためには理解しなければならない用語がたくさんあると言えるでしょう。
それは例えばモダンとポストモダン、社会構成主義、セカンド・オーダー・サイバネティクス、ナラティブ、など他にも数えきれないほどあると思います。また、80年代に起きた家族療法の認識論の転換(Clを観察するシステムから、Thを含めた治療システムへ)の背景を知っていないと、コラボレイティブ・アプローチを理解するのが大変かと思います。それらは家族療法のテキストを見れば書いてあると思うのでご参照ください。
“私の臨床は、全て言語を中核に置いていて、人の関与するシステムを「言語システム」としてとらえる。そして、コラボレイティブに(共同作業を通して)そのシステムに働きかける環境づくりを目指している。”p58
例えば「家族」や「夫婦」、「親子」という単位は戸籍や血縁上そう定義することができるシステムであるけれども、言語・コミュニケーションを介したものをシステムだとすると、それらの垣根は割とどうでもいいという考えを持っていたようです。この考え方が、このアプローチのネーミングになっていることが見て取れます。
・最初はテクニックだった
“初期の頃、私はClの言葉を話すことに焦点をあて、彼らの価値観や世界観、言葉遣いや言い回しを学ぼうとしていた。その狙いは、Cl使っている言葉で会話し、言い回しを有効に使うことにあった。セラピーの戦略として、ストーリーに影響を与え編集を加える道具として、そして変化を導くための協力を得る技術として、学ぼうとしていた。”p58
この狙いはジョイニングのような感じに見えます。こちらから働きかける前準備として、Clに合わせていく。アンダーソンも当初は戦略的なことをしていたことをうかがわせます。
“注意してClの話に耳を傾けると、自然に興味が湧いてくる。気が付くとそのユニークなストーリーに引き込まれて、その人の人生や悩みについて本当に知りたくなってくる。中略。会話のテクニックとして故意に始めたことが、気取らないで話し関係を作る方法となっていった。”p59-60
テクニックとして始めたことが、徐々にその場のClとThの治療システムを活性化することに気付いていったという感じでしょうか。アンダーソンのこの姿勢はロジャーズの「無条件の肯定的関心」のようも見えます。
・Clから何を学ぶか
“私たちは、家族の言葉を学習するというより、それぞれメンバー独自の言葉を学習していることに気付いた。”p60
学習するというのは一つキーワードだと思われます。なぜならコラボレイティブ・アプローチではClが専門家でThは教えてもらうという立場をとるからです。つまり、学ぶものの1つは独自の言葉、ということになるのでしょう。
“家族はひとつの生物ではない、~中略~、1つの問題、1つの家族、1つの解決に向かって働きかけているのではないことが分かった。”p60
家族をシステムとして見るならば、家族はひとつの生物っぽい扱いを受けるはずです(自己制御機能など)。ここから、このアプローチがシステミックなものではなくなっているのが見て取れます。
・聞く準備があることを伝える
(前後の文脈がありますが、ちょっとわかりづらかったのでいったん棚上げにして)
“私たちが言葉と態度で、各人が話すことに誠意と興味を示し、言う時間を十分与えたいと伝えた。そうなると、話し手は自分のストーリーを必死になって説明する必要がなくなった。聞き手も割って入ったり、付け足したりそれほどしない。”p60
この文章は家族面接について述べている部分です。
片方の人が話す際のもう片方の心情としては、「間違ったことを言わないか」、「この後自分はしゃべれるのか」と言ったことが考えられて、それを先に解消しておく配慮という感じでしょうか。その結果色々しゃべってくれて、聞き覚えのあるストーリーが違う話のようになったりするらしいです。違う話という言葉から、やはりシステム論ではなくナラティブモデルの視点で見てると思われます。
・ふつうの言葉を使う
“私たちはClのことを外で話すとき、Clの言葉や言い方で説明しようとした。中略。同僚たちは私のやっていることやClの状況に興味を示し、その本人にとってそれがどのような世界か理解しようとした。”p61
例えば「受動攻撃性人格」や「過食傾向」と言った専門用語でClを表現すると、その人のユニークさが入る余地がないということです。実際のClは独自性をもった存在で、だからその人が使う普通の言葉を使うという姿勢です。やはり言語を重視しています。
・介入の放棄
“Clの言葉とその意味を中心に据えることで、私たちはThとしての専門性を捨て始めた。人はどうあるべきかとか、面接での介入といった専門性を放り出した。”
「専門性を捨てる」ということがこのアプローチの鍵概念である「無知の姿勢」につながっているのでしょう。
それにしても、介入しないと良くならない、というのがThの先入観だったのでしょうか。それともこのアプローチ(ナラティブセラピー全般)では会話自体が介入であると見るべきなのか、どっちでしょうか。
“私たちの(セラピー)は「なにもしていない」とか、「ワイワイ話しているだけ」、「ノンディレだ」と批判する人もいる。中略。でも私たちにとってはセラピーもClの話も以前より刺激的になった。”p62
周りからの意見が辛辣で面白いです。アンダーソンたちはこれまでと全く逆の考えを持っているわけだから当然で、でもやっている方はセラピーが刺激的になったと言っているから、本当にそうなのでしょう。
・共同言語システム
アプローチの名前にもなっているこの言葉をなかなか理解できない気がしていますが、これまでの所や以下のような説明を聞いていると何となく見えてくるような気もします。
“教えてもらうという立場は、相互的な共同探索へと自然に向かわせ、Clは私たちと一緒に問題を考え可能性を探っていくパートナーとしてこれに携わるようになった。セラピーは一方向的な話しかけから相互の話し合いに移行し、参加者全員で討論や質問がかわされた。”
例えば、「医者と患者」、「教師と生徒」では医者と教師がより知識を持ったone up positionですが、ThとClはそのような上下の関係にはなく、就職活動のグループディスカッションに集まった人達みたいにフラットな関係ということでしょう。アンダーソン達はこの関係性の中で生じる双方向の会話(これが共同言語システムだと思われます)が、Clの様々な可能性を見出し、問題が解消の方向に向かうと考えていたと考えられます。
“Thはその場合、言語を道具として使う編集者としてClの物語を書き換えるのではなく、言葉や人間関係から新たに生まれるストーリーの共著者の1人にすぎない。”p64
これも共同言語システムのアナロジーだと思われます。
・予測をしない(見立てない?)
“セラピーという会話の成果は前もって予測できなくなり、Thは絶えず不確定な状況に身を置くことになる。この予測不可という感覚が不思議にも私たちに快適さと自由を与えるのに気づき、積極的な価値を見出した。私たちは知らなくてもいいという自由、つまり「無知の姿勢」という自由を得た。”p64
専門知識(つまりモデル)を用いないことはそれに基づいた予測をしないことを意味すると考えられます。それを快適で自由と言えるアンダーソンの神経は図太いというか、どっしりしているなと思います。
では臨床心理学の研究は何のためにあるのでしょう? Thは何のためにいるのでしょう? 友達にお話し聞いてもらえばいいじゃないか? と思ったりもします。しかし、そのお友達たちはそれぞれの経験や価値観をもって話を聞いたならば、それは従来の専門家の一方的なアドバイスと同じになってしまうということかもしれません。つまり、このアプローチの専門性は「専門性を捨てる、という専門性」であると考えることができるでしょう。
とは言え、研究によって練られた成果(モデル等)で見立てて、介入してはまる、つまり効果が上がるならそれが手っ取り早いような気がします。言い方は悪いですが、時短するには手本(モデル)があった方が良いことがよくありますし、セラピーをサービスとして考えた場合、短時間というのは売りに成り得ます。
“知っていなくても良いとする余裕が、反対にイマジネーションと創造性を誘発した。無知の姿勢こそ私のコラボレイティブな言語システムアプローチを特徴づける主軸概念であり、他のセラピストたちとの違いを明確にしている。”p64
無知の姿勢という言葉が出てきました。これについてはまた別の記事で詳細に見ていきたいと思います。
この文はThの心理面を鋭くとらえている気がします。あれをやらなければいけない、これをやらなければいけないと考えると、そこに意識が集中して目の前のClの言葉に集中できなくなる、ということは容易に想像できます。慣れればそうでないのかもしれませんが、Thの認知的なリソースにも限りがありますから、専門性を捨てることで得られるメリットとしてはわかりやすいです。
例えばブレインストーミングするときは批判してはいけないというルールがありますが、それと同じことでしょう。「良い悪い」を判断してると、評価を気にしてアイデアは出てこないです。収束するのではなくて拡散的な思考を目指しているのかもしれません。そして恐らく、こういうThの頭の中はClに言語的、非言語的に伝わるのでしょう。仕事のことを考えながら妻の話を聞く夫が「話聞いてなかったでしょ!」と非難されやすいのと一緒です。
・問題を編成し、問題解決しないで解消するシステム(problem-organizing, problem-dissolving system)
このような「問題」の捉え方をしたことがアンダーソンとグーリシャンのアプローチを有名にしたという個人的な印象があります。この考え方はこれまでの考え方とは大きく違っていたからです。
“私たちの臨床スタイルが変化するにつれ、「家族」という概念も窮屈になってきた。その理由は、ある人固有の状況や、「問題」をめぐってかわされるやりとりの内容と関係なく、誰が何故面接されるべきかが前もって決められているからだ。”p67
家族という概念があると、問題を作り出しているのはその家族であり、家族が治療の対象となる。これが前もって決められているということだと思われます。
“そこで私たちは、その場で話を聞いた人たちを中心にして考えることにし、その人たちを、問題を巡って出来上がっているシステムの一員として捉えた。”p67
家族といったシステムが問題を組織化するのではなく、問題がシステムを組織化するという発想でしょうか。これは恐らくオートポイエーシスの考え方を汲んでいて、「問題」を内側から観察した結果、その作動に付随して構造的にはこの人とこの人を巻き込んでいた、というイメージだと思われます。私の想像ですが。。。
“最初、私たちはそのシステムのことを「問題によって決められる(結びついた)システム」(problem-determined system)とし、後に「問題を編成し、問題を解決しないで解消するシステム」(problem-organizing, problem-dissolving system)と呼びなおした。”p67
この英語を誰が最初に訳したか知りませんが、相当難しかったと思います。「解決しないで」の部分は訳の上ではいらないはずですが、あえてつけているとすれば、論文中に「解決ではなく解消」と言及された箇所があるからでしょうか。
“面接で話す相手は、誰が問題を巡って誰に対し話しているのかで決められ、社会的位置づけ、つまり親だとか夫婦だとかカウンセラーと言った役割によってではなかった。言ってみれば、今日のセッションが次回のメンバーを決めていき、「問題システム」自体の構成員が変化した。”p68
この考え方から行くと、「家族療法」や「夫婦療法」という言葉はナンセンスということになります。
“一言でいえば、ThとClはその時以来会話のパートナーとなった。つまり、Clが自身について知る専門性とThが会話のプロセスについて知る専門性が合わさって、新しい理解や可能性につながることが分かった。それ以来、私たちのセラピーはよりコラボレイティブなものになり、Th-Clという区分と両者の間の階層性はぼけ始め、解消の方向に向かった。これに伴いセラピーとその結果について共同責任が持てるようになった。”p69
この部分はやや説明不足な感じがあります。
まず「Thが会話のプロセスについて知る専門性」とは何なのかがよくわからない点。後は共同責任が持てるようになったと思っているのはThの側であって、Clがそう思っているとは思えない点。Clはお金を払ってセラピーを受けているのであって、責任があるのはThと考えるほうが自然では? でもこの方がClの動機づけを高めるのでしょうか。とりあえずそうやって気負わないことでリラックスして会話することが良いセラピーにつながると考えているからこう書いたと思われます。
ここまで雑多に書いてきましたが、無知の姿勢というものがどういうものなのかが極めて重要だと思いますので、今後自分のまとめのためにも書いていこうと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
■以下個人的に思ったこと
コラボレイティブの面接かどうかは外から見てもわからないのかもしれない。なぜならば、質問1つにしても、Thの「技法」の違いではなくて「意図」の違いなので、言葉にすると区別ができないから。例えば逐語録を読んだだけではわからない。もし意図自体を言葉にすることがあれば、それは他の心理療法と差異があるのかもしれないけれど、表面上はクライアント中心療法と重なる部分がかなり多いと思われる。
もしくは、Thは割と積極的に発言の意図を言ってもいいということかもしれない。必要な情報を収集しているのではなくて、あなたに関心があるからこういうことを聞いているんですよって、言語的に伝えてしまうということ。
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YG性格検査(矢田部ギルフォード性格検査)の内容と解釈法を詳しく解説
2016.09.01.Thu.18:09
YG性格検査(通称「ワイジー」)は心理学における代表的な質問紙法による性格検査の1つです。
ちょっと前にホンマでっかTVで取り上げられた性格分類の元となっているようで、ここに来て知名度がまた上がっているみたいです。
その際はディレクター、ブラックリスト、カーム、エキセントリック、アベレージという5つの分類をしていました。
今回はそんな話題のYGについて解説していきたいと思います。
■YG性格検査の概要
まずは基本的な情報を引用します。
“ギルフォードの性格検査を矢田部達郎が日本人用に標準化した性格検査であり、日本で最も多く使われている。120項目で12の性格特性を測定する。また、測定結果で5つの類型に分類することも可能である。はい、いいえ、どちらでもない、の3件法である。MMPIのように妥当性尺度がないため、回答の歪みを判断できないため、妥当性に問題がある。”
(臨床心理士指定大学院対策 鉄則10&キーワード100 心理学編 (KS専門書)より)
YGは小・中・高・一般で標準化されていて、日本では学校現場や仕事現場、臨床現場などでとても良く用いられます。
この日本ではという所がくせもので、実はこのYG性格検査は国際的にはマイナーです。
YGが普及してきたのは文献を見る感じだと1980年代初めで、このころはまだビッグファイブの質問紙であるNEO-PI-Rもありませんでした(NEO-PI-Rは1991年刊行)。
※ビッグファイブについてはこちら
⇒性格を表す5つの特性 ビックファイブ -特性論2-
なんでもこの業界作っちゃったもん勝ちらしく、いい感じの性格検査がまだ出そろっていないころに標準化して世に送り出したため、普及したみたいです。
120項目という割合少ない項目数で12の特性を測定できるところ、特性論でありながら類型論的に解釈できるところ、あるいは普及した人の手腕が高かったのかわかりませんが、とにかく良く使われます。
※特性論についてはこちら
⇒適性検査で使われる性格の捉え方 -特性論1-
一方で問題点も多く指摘されています。一例としては
・研究には使わない方が良い(国際的にマイナーのため)
・意図的な反応歪曲に弱い(わざと望ましそうな方向に回答されてもそれを特定できない)。
※一応の対策としては、この検査は本来検査者が項目を読み上げて回答させる強制速度法というやり方ではある。
・因子の妥当性が低い(同一因子の項目よりも他の因子の項目と高い相関があるなど)
では測定している内容を見ていきましょう。
■YG性格検査の12因子
YGは12の因子から構成されています。
実際にやるとわかるのですが、この得点は最終的にグラフになるので、視覚的に特徴を捉えることもできます。
1.D尺度(抑うつ性)
悲観的気分や罪悪感などの性質をみる尺度。
2.C尺度(回帰性傾向)
気分の動揺しやすさなど情緒的不安定さの性質に関する尺度。
3.I尺度(劣等感)
自信の欠如や自己への過少評価などに関する尺度。高いと自信過剰といえる。
4.N尺度(神経質)
ちょっとしたことが気になる、心配性などに関する尺度。低いとくよくよしないということ。
ビッグファイブやMPIでもおなじみの尺度。
5.O尺度(客観性のなさ)
ありそうもないことを空想したり、過敏性の性質に関する尺度。低いと客観的で現実的。
6.Co尺度(協調性のなさ)
不信感、不満感のもちやすさに関する尺度。低いと協調性が高い。
7.Ag尺度(攻撃性・愛想の悪さ)
気が短い、衝動的といったことに関する尺度。情緒が安定したうえで高ければ、社会的に積極的で好ましいが、不安定なうえで高ければトラブルを起こしやすい。
8.G尺度(一般的活動性)
仕事の速さ、動作の機敏性、活発さに関する尺度。
9.R尺度(のんきさ)
好刺激性、おとなしくしているのは苦手などに関する尺度。低いとのんきではないということなので、慎重で気難しく、優柔不断といった傾向となる。
10.T尺度(思考的外向)
深く物事を考えない、大雑把、軽率であるかに関する尺度。高いと外向的(雑)、低いと内向的(熟慮する)となる。
11.A尺度(支配性)
社会的指導性、リーダーシップに関する尺度。低いと追従的となる。
12.S尺度(社会的外向)
人付き合いの広さなど、対人関係において社交的かどうかに関する尺度。高いと外向的(社交的)、低いと内向的(非社交的)となる。
ビッグファイブやMPIでもおなじみのビッグツー。
■YG性格検査における類型
YGでは12の下位尺度得点の他に、系統値というものを算出し、5つの類型に分けることができます。
これにはA、B、C、D、E類型というものがあります。
各類型の特徴については以下が参考になります。
http://www.seikakutype.com/free_9_5.html
この類型がホンマでっかTVで取り上げられているもので、例えばB型であればブラックリストタイプ、等のキャッチーな名称を付けて面白く伝えています。
やってみたい方は以下で簡略版を実施できます。
http://psycho.longseller.org/yg.html
とはいえ、類型は典型といわれるバッチリ当てはまるものから、準型、混合型(AC型など)といった分類まで様々あり、厳密にやるとTVみたくはいきません。
番組では先生方のいくつかの質問に答える形ですが、実際のYGは自己記入式です。
(裏で事前にやっている可能性もありますが)
■実際の解釈
実際には類型の判断に加えて、6つの集合因子と呼ばれるいくつかの因子をまとめたもののまとまり具合や、飛び抜けて高い得点(突出因子)、因子間の得点に矛盾があるか(矛盾因子)などを総合的に見て所見を作成します。
YGは採用の適性検査として使われることもあるらしいです。
確かにYGは仕事の能力と関係しそうな因子を含んでいますし、病理的というよりは一般的な性格を測定する項目が多いので適用範囲が広いでしょう。
その際は、因子単独で解釈せず、類型や矛盾因子などを総合的に見て判断するのが良いかなと思います。
■まとめ
ホンマでっかでの分類がYGを元にしているというのは出演者の先生本人たちが言っていたのでしょうか。
番組を見てないのでソースがどこかわからないのですが、ぱっと見MPIにも見えます。
※http://ok723.hatenablog.com/entry/2016/01/27/210000より引用
とは言え、おもしろい部分もあるので気軽にやってみるのが良いかもしれません。
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ちょっと前にホンマでっかTVで取り上げられた性格分類の元となっているようで、ここに来て知名度がまた上がっているみたいです。
その際はディレクター、ブラックリスト、カーム、エキセントリック、アベレージという5つの分類をしていました。
今回はそんな話題のYGについて解説していきたいと思います。
■YG性格検査の概要
まずは基本的な情報を引用します。
“ギルフォードの性格検査を矢田部達郎が日本人用に標準化した性格検査であり、日本で最も多く使われている。120項目で12の性格特性を測定する。また、測定結果で5つの類型に分類することも可能である。はい、いいえ、どちらでもない、の3件法である。MMPIのように妥当性尺度がないため、回答の歪みを判断できないため、妥当性に問題がある。”
(臨床心理士指定大学院対策 鉄則10&キーワード100 心理学編 (KS専門書)より)
YGは小・中・高・一般で標準化されていて、日本では学校現場や仕事現場、臨床現場などでとても良く用いられます。
この日本ではという所がくせもので、実はこのYG性格検査は国際的にはマイナーです。
YGが普及してきたのは文献を見る感じだと1980年代初めで、このころはまだビッグファイブの質問紙であるNEO-PI-Rもありませんでした(NEO-PI-Rは1991年刊行)。
※ビッグファイブについてはこちら
⇒性格を表す5つの特性 ビックファイブ -特性論2-
なんでもこの業界作っちゃったもん勝ちらしく、いい感じの性格検査がまだ出そろっていないころに標準化して世に送り出したため、普及したみたいです。
120項目という割合少ない項目数で12の特性を測定できるところ、特性論でありながら類型論的に解釈できるところ、あるいは普及した人の手腕が高かったのかわかりませんが、とにかく良く使われます。
※特性論についてはこちら
⇒適性検査で使われる性格の捉え方 -特性論1-
一方で問題点も多く指摘されています。一例としては
・研究には使わない方が良い(国際的にマイナーのため)
・意図的な反応歪曲に弱い(わざと望ましそうな方向に回答されてもそれを特定できない)。
※一応の対策としては、この検査は本来検査者が項目を読み上げて回答させる強制速度法というやり方ではある。
・因子の妥当性が低い(同一因子の項目よりも他の因子の項目と高い相関があるなど)
では測定している内容を見ていきましょう。
■YG性格検査の12因子
YGは12の因子から構成されています。
実際にやるとわかるのですが、この得点は最終的にグラフになるので、視覚的に特徴を捉えることもできます。
1.D尺度(抑うつ性)
悲観的気分や罪悪感などの性質をみる尺度。
2.C尺度(回帰性傾向)
気分の動揺しやすさなど情緒的不安定さの性質に関する尺度。
3.I尺度(劣等感)
自信の欠如や自己への過少評価などに関する尺度。高いと自信過剰といえる。
4.N尺度(神経質)
ちょっとしたことが気になる、心配性などに関する尺度。低いとくよくよしないということ。
ビッグファイブやMPIでもおなじみの尺度。
5.O尺度(客観性のなさ)
ありそうもないことを空想したり、過敏性の性質に関する尺度。低いと客観的で現実的。
6.Co尺度(協調性のなさ)
不信感、不満感のもちやすさに関する尺度。低いと協調性が高い。
7.Ag尺度(攻撃性・愛想の悪さ)
気が短い、衝動的といったことに関する尺度。情緒が安定したうえで高ければ、社会的に積極的で好ましいが、不安定なうえで高ければトラブルを起こしやすい。
8.G尺度(一般的活動性)
仕事の速さ、動作の機敏性、活発さに関する尺度。
9.R尺度(のんきさ)
好刺激性、おとなしくしているのは苦手などに関する尺度。低いとのんきではないということなので、慎重で気難しく、優柔不断といった傾向となる。
10.T尺度(思考的外向)
深く物事を考えない、大雑把、軽率であるかに関する尺度。高いと外向的(雑)、低いと内向的(熟慮する)となる。
11.A尺度(支配性)
社会的指導性、リーダーシップに関する尺度。低いと追従的となる。
12.S尺度(社会的外向)
人付き合いの広さなど、対人関係において社交的かどうかに関する尺度。高いと外向的(社交的)、低いと内向的(非社交的)となる。
ビッグファイブやMPIでもおなじみのビッグツー。
■YG性格検査における類型
YGでは12の下位尺度得点の他に、系統値というものを算出し、5つの類型に分けることができます。
これにはA、B、C、D、E類型というものがあります。
各類型の特徴については以下が参考になります。
http://www.seikakutype.com/free_9_5.html
この類型がホンマでっかTVで取り上げられているもので、例えばB型であればブラックリストタイプ、等のキャッチーな名称を付けて面白く伝えています。
やってみたい方は以下で簡略版を実施できます。
http://psycho.longseller.org/yg.html
とはいえ、類型は典型といわれるバッチリ当てはまるものから、準型、混合型(AC型など)といった分類まで様々あり、厳密にやるとTVみたくはいきません。
番組では先生方のいくつかの質問に答える形ですが、実際のYGは自己記入式です。
(裏で事前にやっている可能性もありますが)
■実際の解釈
実際には類型の判断に加えて、6つの集合因子と呼ばれるいくつかの因子をまとめたもののまとまり具合や、飛び抜けて高い得点(突出因子)、因子間の得点に矛盾があるか(矛盾因子)などを総合的に見て所見を作成します。
YGは採用の適性検査として使われることもあるらしいです。
確かにYGは仕事の能力と関係しそうな因子を含んでいますし、病理的というよりは一般的な性格を測定する項目が多いので適用範囲が広いでしょう。
その際は、因子単独で解釈せず、類型や矛盾因子などを総合的に見て判断するのが良いかなと思います。
■まとめ
ホンマでっかでの分類がYGを元にしているというのは出演者の先生本人たちが言っていたのでしょうか。
番組を見てないのでソースがどこかわからないのですが、ぱっと見MPIにも見えます。
※http://ok723.hatenablog.com/entry/2016/01/27/210000より引用
とは言え、おもしろい部分もあるので気軽にやってみるのが良いかもしれません。
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