2013
08/25
23:53
少女革命ウテナ原画展Final・幾原監督&さいとうちほ先生トークショー
Category : 幾原邦彦作品
少女革命ウテナ原画展Finalにて行われた、幾原監督とさいとうちほ先生のトークショーに参加してきました。
内容は主に、ウテナが出来るまでのお話といった感じでした。
※記憶を頼りに書いているので、抜けがあったり表現が違ってたりするかと思います。
また、ユリ熊嵐などのPVの上映はありませんでした。
()内は私個人の解釈によるものです。
ちなみに、朝5時から並んでこの番号でした。
あいにくの雨でしたが、並ぶのは屋根のある所でしたし、逆に涼しくて過ごしやすかったです。
会場内で待っていると、「あ・あ」や「い」や「ほ?!」という声がスピーカーから流れ、マイクテストにしては変だなと思っていると、池田Pから「あれ幾原さんです。さっきから興奮状態で…」という解説がありました。
司会進行は池田P。
「幾原監督とさいとうちほ先生です。拍手でお迎えください!」とアナウンスされて皆で拍手してたものの、最初出てらしたのは池田Pだけでした(笑)
池田Pが再度アナウンスされ、監督とさいとうちほさんが登壇されました。
監督曰わく大阪に来た時は毎回話すという、アニメポリスペロと和泉府中の話から始まり。会場には和泉府中の方はいらっしゃらなくて、監督はちょっと残念そうでした。
◇
監督:今日みんな朝から並んでるんだよね。この雨の中。まるで修行僧みたいだ。滝のような雨に打たれて何時間も…(※待機場所は屋根があったので雨にはうたれてません)
池田P:そんなに並んでもらったのに、こんなアニメポリスペロとか和泉府中とか緩い話で大丈夫ですか?(笑)
監督:時間と気持ちを返せって言われそうだ(笑)
◇
監督:僕はほにゃらら動画(※東映動画)という会社の採用試験を受けて、運良くアニメの仕事に就くことになった。26,7くらいの時にほにゃららムーン(※セーラームーン)のディレクターになった。ほにゃららムーンは大ヒットになり、この時の僕はとても天狗になっていて、「俺はなんでもできる」と有頂天だった。しかし会社で作れるものには色々制限があって、一から自分で企画立案して作品を作りたいと考えた。
監督:最初は少女漫画の路線は全く考えていなかった。ほにゃらら注意報(※きんぎょ注意報)とほにゃららムーンときて、また少女漫画ってのは違うなと。だから他に色々考えた。
監督:しかし、あるとき雑誌の表紙になっていた漫画家の絵を見て、これだ!と思った。チャンネルをリセットされた感じだった。僕はその時はすごく天狗だったから、「このさいとうちほというのは新人の漫画家だな。この俺が一緒にアニメを作りたいといえば、必ずオーケーするだろう」と思っていた。しかし本屋にいって著書を見てみると一杯出ていて、新人ではなく売れっ子の漫画家であると知った(笑)
監督:この話をどうやってさいとう先生に持っていこうかと思った。小学館を介すと、色々大人が付いてきそうだし、友人を通してというのも…と悩んだ。結局、正面から行こうと出版社に話を持って行った。やはり打ち合わせには編集の怖そうな方が隣に居て、非常に言いづらかった(笑)
さいとう先生:いや、その方は小学館の中でもかなり変わった方で、別に怖くなんてなかったはずですよ(笑)
監督:それでもとても言いづらかった。しかし言わないのもまずいと思い、率直に「さいとう先生の絵を使用してアニメを作りたいんですが…」と切り出した。返事は別に構わないですよ、という内容だった。しかし、こうして話を通した以上はアニメ制作のためにスポンサーを探さなければいけなかった。
監督:アニメというのは、3クールともなると4億円くらいのお金が必要になる。僕はやはり天狗だったので、この俺がやりたいといえばポンと出してくれるだろうと思っていた。しかし現実は、冷めた反応しかなかった。映画としてのアニメを制作している会社に持って行ったところ、「君はなんなの?映像を作りたいの?おもちゃの販促の動画を作りたいの?」と言われた。今まで自分は作品としての「映像」を作っているつもりだったが、実際はおもちゃの販促CMを作っていただけだったのか?とショックを受けた。1週間寝込んでしまった。
監督:ある時、キングレコードのOさん(※大月P)に見てもらう機会があった。パラパラと企画書をめくられて、「いいねぇ」と言われ、キングレコードがスポンサーになることになった。
監督:しかしGOを出されてからが大変で、口頭約束でスポンサーがついた時に、ほにゃらら動画に辞表を出して、もう後に退けないようにした。メンバーを集めて色々考えていくが、企画している間に、どんどんお金が減っていくことが怖かった。例えると、100万円の束を箸でつまんで火で炙っている感じ。
池田P:お金がゴーって燃えてるってことですね(笑)
さいとう先生:wikiだと、私がウテナとアンシーが百合になるのを拒否したせいで監督がショックで寝込んだって書いてあるけど(笑)、当時の監督は本当に追い込まれていた。会社をやめてフリーになったことで、プレッシャーを感じていたのだと思う。正月の合宿の時に倒れられ、救急病院に運ばれた監督が車椅子で出てきたのには驚いた。
◇
監督:僕はパロディをやりたくはなかった。企画書を出すと、「宝塚みたいな作品」と言われる。そこで更に「宝塚みたいな音楽」「宝塚みたいな○○」…とやっていくと、宝塚のパロディになる。そうなると、「僕って何なの?」と思ってしまう。パロディじゃなくて、今までにないものを作りたかった。
監督:僕は寺山修司の劇を初めて見たとき、バットで頭を殴られたような衝撃を受けた。ガーン!て。僕も人にそんな衝撃を与えたかった。さいとう先生の絵と、J.A.シーザーの楽曲を合わせるなんて、絶対誰もやらないだろうと思った。「絶対運命黙示録」と「少女革命ウテナ」という組み合わせが、僕の中でガッチリと嵌った。
さいとう先生:初めてテレビで1話を見た時は、あっけにとられてしまった(笑)
監督:これは多くの人には理解されないと思った。しかし、一部の特定の人に、トラウマになるような作品を作りたかった。それこそ16年たっても、朝から雨の中並びに来てくれるような(笑)
◇
監督:ウテナの学ランの色について、僕は途中で「黒が良い」と思うようになった。だがその時すでに、さいとう先生が誌面でピンクに塗っていた。一度発表したのだから、変えたいといってもさいとうさんはOKをくれないと思った。しかしどうしても黒にしたかった。
そこで、さいとうさんに「黒が良い」と言わせればいい!と思いついた。僕はさいとう先生に「大事なお話があります」と言って、「実はスタッフの間で、ウテナの学ランの色が赤か黒かで揉めている。実際に塗ったものを持ってきたが、さいとうさんはどちらが良いと思います?」という風に聞いた。
池田P:姑息だ(笑)
さいとう先生:赤の方はあきらかに適当に塗ってあって、黒の方が丁寧に塗られていた(笑)。ああ、黒にしたいんだなと思ったけど、ピンクで発表していたし、黒はイメージが違いすぎると思った。まだ赤なら近いと思って、「赤が良いです」と答えました笑。その時の幾原さんは、無表情になっていて、「…黒でいいですね」と言って帰っていった。
監督:さいとうさん、その時は腹を立てていましたか?(笑)
さいとう先生:いや、変な人だなあと思いました。
監督:優しい人だなあ(笑)
◇
監督:この原画展は、「幾原邦彦の世界」と銘打たれているけど、中身を見てもらえばわかると思うが、さいとうちほさんに多くのディテールをもらって「ウテナ」が作られている。ストーリーや、セリフなども大分さいとう先生の作品からディテールを持ってきている。だから、ほとんどさいとう先生の世界なんだよね。
◇
トークショーは1時間と10分ほどで終了しました。
監督は最後に、疲れているだろうけどできればもう一回、今の話を踏まえて見てきてほしい、と仰っていました。
なかなか濃い話を聞けてとても楽しいトークショーでした。
原画展を大阪でも行ってくださったことに、感謝します。
内容は主に、ウテナが出来るまでのお話といった感じでした。
※記憶を頼りに書いているので、抜けがあったり表現が違ってたりするかと思います。
また、ユリ熊嵐などのPVの上映はありませんでした。
()内は私個人の解釈によるものです。
ちなみに、朝5時から並んでこの番号でした。
あいにくの雨でしたが、並ぶのは屋根のある所でしたし、逆に涼しくて過ごしやすかったです。
会場内で待っていると、「あ・あ」や「い」や「ほ?!」という声がスピーカーから流れ、マイクテストにしては変だなと思っていると、池田Pから「あれ幾原さんです。さっきから興奮状態で…」という解説がありました。
司会進行は池田P。
「幾原監督とさいとうちほ先生です。拍手でお迎えください!」とアナウンスされて皆で拍手してたものの、最初出てらしたのは池田Pだけでした(笑)
池田Pが再度アナウンスされ、監督とさいとうちほさんが登壇されました。
監督曰わく大阪に来た時は毎回話すという、アニメポリスペロと和泉府中の話から始まり。会場には和泉府中の方はいらっしゃらなくて、監督はちょっと残念そうでした。
◇
監督:今日みんな朝から並んでるんだよね。この雨の中。まるで修行僧みたいだ。滝のような雨に打たれて何時間も…(※待機場所は屋根があったので雨にはうたれてません)
池田P:そんなに並んでもらったのに、こんなアニメポリスペロとか和泉府中とか緩い話で大丈夫ですか?(笑)
監督:時間と気持ちを返せって言われそうだ(笑)
◇
監督:僕はほにゃらら動画(※東映動画)という会社の採用試験を受けて、運良くアニメの仕事に就くことになった。26,7くらいの時にほにゃららムーン(※セーラームーン)のディレクターになった。ほにゃららムーンは大ヒットになり、この時の僕はとても天狗になっていて、「俺はなんでもできる」と有頂天だった。しかし会社で作れるものには色々制限があって、一から自分で企画立案して作品を作りたいと考えた。
監督:最初は少女漫画の路線は全く考えていなかった。ほにゃらら注意報(※きんぎょ注意報)とほにゃららムーンときて、また少女漫画ってのは違うなと。だから他に色々考えた。
監督:しかし、あるとき雑誌の表紙になっていた漫画家の絵を見て、これだ!と思った。チャンネルをリセットされた感じだった。僕はその時はすごく天狗だったから、「このさいとうちほというのは新人の漫画家だな。この俺が一緒にアニメを作りたいといえば、必ずオーケーするだろう」と思っていた。しかし本屋にいって著書を見てみると一杯出ていて、新人ではなく売れっ子の漫画家であると知った(笑)
監督:この話をどうやってさいとう先生に持っていこうかと思った。小学館を介すと、色々大人が付いてきそうだし、友人を通してというのも…と悩んだ。結局、正面から行こうと出版社に話を持って行った。やはり打ち合わせには編集の怖そうな方が隣に居て、非常に言いづらかった(笑)
さいとう先生:いや、その方は小学館の中でもかなり変わった方で、別に怖くなんてなかったはずですよ(笑)
監督:それでもとても言いづらかった。しかし言わないのもまずいと思い、率直に「さいとう先生の絵を使用してアニメを作りたいんですが…」と切り出した。返事は別に構わないですよ、という内容だった。しかし、こうして話を通した以上はアニメ制作のためにスポンサーを探さなければいけなかった。
監督:アニメというのは、3クールともなると4億円くらいのお金が必要になる。僕はやはり天狗だったので、この俺がやりたいといえばポンと出してくれるだろうと思っていた。しかし現実は、冷めた反応しかなかった。映画としてのアニメを制作している会社に持って行ったところ、「君はなんなの?映像を作りたいの?おもちゃの販促の動画を作りたいの?」と言われた。今まで自分は作品としての「映像」を作っているつもりだったが、実際はおもちゃの販促CMを作っていただけだったのか?とショックを受けた。1週間寝込んでしまった。
監督:ある時、キングレコードのOさん(※大月P)に見てもらう機会があった。パラパラと企画書をめくられて、「いいねぇ」と言われ、キングレコードがスポンサーになることになった。
監督:しかしGOを出されてからが大変で、口頭約束でスポンサーがついた時に、ほにゃらら動画に辞表を出して、もう後に退けないようにした。メンバーを集めて色々考えていくが、企画している間に、どんどんお金が減っていくことが怖かった。例えると、100万円の束を箸でつまんで火で炙っている感じ。
池田P:お金がゴーって燃えてるってことですね(笑)
さいとう先生:wikiだと、私がウテナとアンシーが百合になるのを拒否したせいで監督がショックで寝込んだって書いてあるけど(笑)、当時の監督は本当に追い込まれていた。会社をやめてフリーになったことで、プレッシャーを感じていたのだと思う。正月の合宿の時に倒れられ、救急病院に運ばれた監督が車椅子で出てきたのには驚いた。
◇
監督:僕はパロディをやりたくはなかった。企画書を出すと、「宝塚みたいな作品」と言われる。そこで更に「宝塚みたいな音楽」「宝塚みたいな○○」…とやっていくと、宝塚のパロディになる。そうなると、「僕って何なの?」と思ってしまう。パロディじゃなくて、今までにないものを作りたかった。
監督:僕は寺山修司の劇を初めて見たとき、バットで頭を殴られたような衝撃を受けた。ガーン!て。僕も人にそんな衝撃を与えたかった。さいとう先生の絵と、J.A.シーザーの楽曲を合わせるなんて、絶対誰もやらないだろうと思った。「絶対運命黙示録」と「少女革命ウテナ」という組み合わせが、僕の中でガッチリと嵌った。
さいとう先生:初めてテレビで1話を見た時は、あっけにとられてしまった(笑)
監督:これは多くの人には理解されないと思った。しかし、一部の特定の人に、トラウマになるような作品を作りたかった。それこそ16年たっても、朝から雨の中並びに来てくれるような(笑)
◇
監督:ウテナの学ランの色について、僕は途中で「黒が良い」と思うようになった。だがその時すでに、さいとう先生が誌面でピンクに塗っていた。一度発表したのだから、変えたいといってもさいとうさんはOKをくれないと思った。しかしどうしても黒にしたかった。
そこで、さいとうさんに「黒が良い」と言わせればいい!と思いついた。僕はさいとう先生に「大事なお話があります」と言って、「実はスタッフの間で、ウテナの学ランの色が赤か黒かで揉めている。実際に塗ったものを持ってきたが、さいとうさんはどちらが良いと思います?」という風に聞いた。
池田P:姑息だ(笑)
さいとう先生:赤の方はあきらかに適当に塗ってあって、黒の方が丁寧に塗られていた(笑)。ああ、黒にしたいんだなと思ったけど、ピンクで発表していたし、黒はイメージが違いすぎると思った。まだ赤なら近いと思って、「赤が良いです」と答えました笑。その時の幾原さんは、無表情になっていて、「…黒でいいですね」と言って帰っていった。
監督:さいとうさん、その時は腹を立てていましたか?(笑)
さいとう先生:いや、変な人だなあと思いました。
監督:優しい人だなあ(笑)
◇
監督:この原画展は、「幾原邦彦の世界」と銘打たれているけど、中身を見てもらえばわかると思うが、さいとうちほさんに多くのディテールをもらって「ウテナ」が作られている。ストーリーや、セリフなども大分さいとう先生の作品からディテールを持ってきている。だから、ほとんどさいとう先生の世界なんだよね。
◇
トークショーは1時間と10分ほどで終了しました。
監督は最後に、疲れているだろうけどできればもう一回、今の話を踏まえて見てきてほしい、と仰っていました。
なかなか濃い話を聞けてとても楽しいトークショーでした。
原画展を大阪でも行ってくださったことに、感謝します。