クラムボン、過去13作品DSD配信開始──名マスタリング・エンジニア、木村健太郎に訊く"良い音"とは
《音の良し悪し》という答えのない問いを追求し続けるマスタリング・エンジニア、木村健太郎。 クラムボン、13作品のDSD配信がスタートした。このマスタリングを手掛けたのが、他でもない、彼である。 移ろいゆく現代のニーズとリスナーにとっての"良い音"。それらを瞬時に察知し、更に自らのフィルターを通し、世に音を発信していく。それが彼の技術だ。 落ち着いてひとつひとつの機材について丁寧に語るその様に、彼の時代を見る眼力と、時代に流されることない確固たる信念が現れているように感じる。 アーティストさえもマスタリングをすることが可能になった今、マスタリング・エンジニアとは一体どんな存在なのだろうか。 そして、マスタリングとは、一体どんなことを言うのだろうか。 たくさんのコードと機材と音が織り成すkimken studioで、たくさんの音が、彼なりの"良い音"になる瞬間を見た。
インタヴュー : 飯田仁一郎
構成&文 : 角萌楓
写真 : 大橋祐希
音の良し悪しは良くわからないんですが、自分には“良い感じ”に聴こえます
——さて、今回のクラムボンの音源ですが、どうやってハイレゾ・マスタリングをしたんですか?
木村健太郎(以下、木村) : 全部Nuendoというソフトでプレイバックしました。
——まず何をされましたか?
木村 : プレイバック時はほぼ全曲リミッターを使用しました。またセルフ・リミックス・アルバムである『Re-clammbon』のときは、ディエッサー(※1)や、 マルチバンドコンプ(※2)等を使いましたね。たとえばリミッターですが、基本的にコンプと同じで圧縮するものなんですが、 違いは“どのくらいの圧縮比率にするか”っていう割合なんですね。コンプ(*3)はこれをゆるくかけたり、ここから波形が飛び出ないようにって設定することもできる機材で、 リミッターはその割合を設定する機材です。
※1 ディエッサー : ヴォーカル向けに用いられるエフェクターのひとつ。「ディ」「エッサー」でエスを消すというような意味がある。通常通りマイクで録音をすると「サシスセソ」の音が強く録られすぎることがあり、それを調整する。
※2 マルチバンドコンプ : エフェクターのひとつ。コンプレッサーの機能を拡張したもので、音を周波数帯域ごとに分けて個別にコンプレッサー処理ができるようにしたもの。
*3 コンプ : コンプレッサーの略称。波形の飛び出ている部分を圧縮する機材。
——なるほど。ここでリミッターをかけておいたほうがいい理由ってあるんですか?
木村 : 音圧をあげたときに波形のピークで音が割れてしまうのを防ぐためです。リミッターをかけた後にアナログ機材を使うほうが自分にはしっくりきますが、 どっちのやり方もあると思います。最後にリミッターで音をあげる人も結構多いと思いますね。
——次は何をするんですか?
木村 : DAコンバータである、プリズムサウンドDA2(※4)でデジタルデータをアナログに変換します。
※4 プリズムサウンドDA2 : オーディオインターフェース(パソコンと音をやり取りする。音の出入り口としてシステムの中心を担う重要な機材)の一種。
——ビットレートは何も変わらず、ただアナログになったっていうことですよね?
木村 : そうですね。48KHzのものも、96KHzのものも、ここで一度全部アナログに変換するんです。 WAVっていうのは、あくまで0101っていうデジタルの信号、つまりデジタルのデータなんです。 なので、こういうイコライザー(以下、EQ)やコンプなどといったアナログ機器を使いたい時は、そのデジタルのデータをアナログに変換しないといけないんですね。 つまり、アナログにするっていうのは、デジタルのデータを電気信号に変換するということです。
——アナログにするっていうのはいわゆる、音が良くなるということですか? それとも悪くなる? それとも変わらない?
木村 : うーん、劣化はするんじゃないですかね。音の良し悪しっていうのは僕も良くわからないんですけど、自分が聴いた感じでは“良い感じ”に聴こえますね。
UF1は詰まった感じではないというか、開放的に聴こえます
——なるほど。つまり、キムケンさん的には「デジタルをアナログにすること=音がいい感じになる」ということなんですね。 基本的にキムケンさんのマスタリング・スタイルっていうのは、デジタルデータをアナログに変換して作業するっていうスタイルですよね。そこからはマスタリングとして、どういう処理をされているんですか?
木村 : 大体どの曲もEQとコンプを使っています。EQは今2種類あって、 EQとコンプが一緒になっている、ダイナミック・イコライザーであるLIAMと、純粋なイコライザーであるUF1です。
——LIAMとUF1の特徴を教えてもらえますか。
木村 : EQを選ぶ上で、パラメトリックタイプ(※5)のピークEQとベルカーブのEQ(※6)、ベルカーブとシェルビング(※7)っていうのが重要になってきます。 シェルビングっていうのは、帯域をあげると、低域または高域にむかって緩やかなカーブを描き、ゲインを上げ下げできる。 一方、ベルっていうのは、帯域周辺があがるんですね。そこで、LIAMはシェルビング、ベルを選べるのが特徴的です。 コンプレッションもかけられるし、マルチバンドコンプみたいな感じなんですけど、エクスパンダー(※8)にもなるんです。これらを2台使いするときもありますね。 LIAMのメリットとしては、EQポイントにコンプレッションをかけることができる点です。これがとても便利で、LIAMみたいにコンプとEQが一緒っていう機材はあんまりないんですよ。
※5 パラメットリックタイプ : 自由に調節できる周波数を変化させることができるタイプのEQ。
※6 ベルカーブEQ : 特定の周波数のゲインを上げ下げできるEQのこと。鐘のような形になることからベルカーブと呼ばれている。
※7 シェルビングEQ : 設定した周波数以下、以上のレベルを全部上げる(または下げる)ことができる。
※8 エクスパンダー : コンプレッサーと逆の動作である、波形の伸張をすること。
——では、数あるEQの中でもUF1を選んでいる理由ってなんですか?
木村 : 細かい調整ができるっていうところですかね。今までたくさん使ってみた中で使った感じが一番良いし、UF1は詰まった感じではないというか、開放的に聴こえます。
——なるほど。では、コンプは何を使われているんですか?
木村 : FCS p3s ME(vcaタイプ)、knif varimu2(tubeタイプ)、L2M markⅢ(オプトタイプ)ですね。
——このコンプそれぞれの違いはなんですか。
木村 : FCSは1番アタックが速いんですよ。knifは真空管のコンプです。FCSはソリッドステートです。 なんというか、真空管とか使っていないトランジスタやオペアンプだけで構成されているものなんですね。knifはICのかわりに全部チューブが役割を補っている。 それで、L2Mにもチューブが入っているんですけど、そのリダクションがオプトセルっていうものでコンプレッションしていてます。
——これらを使い分けているっていうことですよね。これらのコンプを選ばれた理由は?
木村 : FCSは、この中にあるもののなかで1番アタックタイムが速いです。VCAコンプって基本的にアタックが速いんですが、これはだいぶ速い方だと思いますね。 FCSとknifは、アタック、リリース、スレッショルド(※9)を全部調整できるようになっています。 ただknifは全部チューブでやっているということもあって、リダクション(※10)に温かみが出ますね。
※9 スレッショルド : 信号の切り捨てる部分とエフェクトをかける部分を決めるラインのこと。
たとえばスレッショルドが-12dbなら、そのトラックの-12db以上の入力にだけエフェクトがかかる。
※10 リダクション : どのくらい圧縮させるか。
——ほう。
木村 : コンプには通常ついているアタックとリリースっていうコントロールが、このL2Mには搭載されてない代わりに、その役割を光学系の部品であるオプトセルがやっているんです。 アタックタイムはほぼ固定なんですが、リースタイムはknifとかFCSみたいに固定じゃなくて、波形に左右される感じですね。 なので、波形に沿って圧縮していくし、アタックとリリースが固定ではないので、1番自然に聴こえます。 コンプだと、アタックとリリースによって楽曲にノリがついたりするんですが、そういうのがないので自然です。3つ目のFC5は、アタックをつけたいときに使いますね。 アタックを遅く、リリースを速くした状態でFC5をかけるとアタックがつくんです。でも、これだけでアタックをつけているわけではなく、いろんなものを組み合わせてつけています。
「ベースラインをミックスの状態よりも聴かせたい」っていうリクエスト
——今回のクラムボンの場合だと、2種類のイコライザーと3種類のコンプを組み合わせたり混ぜたり使い分けたりしたっていうことですね。 キムケンさんのマスタリングっていうのは、基本そういうスタイル?
木村 : そうですね。コンプは使ったり使わなかったりですが、今回はミトさんの「ベースラインをミックスの状態よりも聴かせたい」っていうリクエストがあったので、 今回はコンプを多用してリクエストに沿うように作りました。
——今回のリマスター盤の「はなればなれ」とオリジナルの「はなればなれ」を比べるとだいぶ変わっていて、すごく今っぽくなったと思いました。 90年代にクラムボンが出てきたときって、すごく音が柔らかかった印象ですから、余計に変化を感じます。では、機材に戻りますが、これはなんでしょうか?
木村 : これはクロックです。コンピューターにも水晶が入っていて、普段はそれで再生されているんですけど、それよりもその精度が良い機械なんです。 例えば、サンプリング周波数(※11)が44.1KHzのときだと、1秒間に波形の信号を44100分割しているんですね。 そんな風に信号を分割したときに、44100分割ぴったりっていうのは、なかなか普通の機材ではできません。 44.09… とか、44.05… とか、ぴったりにはならないものを、44.1になるべく近づけるために使っている機材です。
※11 サンプリング周波数 : 音声データをデジタル化する際の周波数の事。
——クロックを入れるとどうなるんですか?
木村 : そうですね、クロックによって音が結構変わってきますね。クロックを入れることでピシッとした感じになるというか。 入れてないと割とゆるい音になりますね。だから、ゆるくしたい時は入れないこともあります。曲によって入れるかどうかは変わってきますね。
——これはなんですか?
木村 : ADコンバータです。デジタルをアナログ信号に変換するDAコンバータの逆で、ADコンバータはアナログの信号をデジタルに変換する機材ですね。 一度デジタルに変換しないとDAW(※12)で録音できないので、今回も使っています。
※12 DAW : Digital Audio Workstationの略。PCを用いて行う音楽制作ツール。ソフト。
——なるほど。つまり、EQを通したものをADコンバータでデジタルに変換してDAWに録音… そのあとは?
木村 : Pyramixに録音して編集します。
——このとき録音はDSDですか?
木村 : これはどっちでもいけるんですが、PyramixっていうDAWソフトを使う時は、PCMコンバータなのでCD用の音源はforssell adコンバーターを通って、 DSDのときはADコンバータとしてHorus(ホルス)というものを使います。
——これでアナログの信号を、ADでデジタルに変換し、24bit/96KHzでPyramixに入れた、ということですね。 もう1つのパターンは、Horusを通して11.2MHzでPyramixに入れたっていうことですよね。では、24bit/96KHzとDSDを作るために、2工程しているということですか? つまり、11.2MHzのDSDを24bit/96KHzのPCMにダウンコンバートするっていうのはやっていないということでしょうか?
木村 : やっていないですね。今回、DSDの方は少しレベルを下げているんです。
——なぜですか?
木村 : CDと同じ音圧にすると、DSDのメーター上でオーバーが激しくなるんですね。CDのレベルよりも少し下げてオーバーがあんまりつかないような感じにしています。 そのため、音は少し小さくなっていますが、ただ、DSDの普通のやつよりも結構大きく入っているとは思いますね。
——やっぱり11.2MHzから24bit/96KHzにするのは音が違いますか? つまり11.2MHzのものをダウンコンバートして24bit/96KHzにするより、 ちゃんと手順を踏んで24bit/96KHzにしたものの方が良いですか?
木村 : 良いと思います。単純にDSDのレベルに合わせてしまうと、CDだとすこし音が小さくなっちゃいますからね。 だから、最初からダウンコンバートっていうのは考えていませんでした。
少しでも“良い感じ”で聴いてほしい
──なるほど。その2工程を13枚分やったっていうことですね。今回はどういうオファーで11.2MHzにしようとなったんでしょうか?
木村 : それは全部ミトさんが決めましたね。
——今回の工程って、一応アップサンプリングをしたことになりますよね。でも俗に言う、ソフトを使ってビットをあげるっていうことではないですもんね。
木村 : あぁ、波形を伸ばすってやつですね。そういうのは全然やっていません。
——では、もともとが16bit/44.1KHzのものを、今回のような流れでマスタリングを行い、16bit/44.1KHzにするのと、24bit/96KHzにするのでは、何が違うのでしょうか?
木村 : 1番の違いは、再生する時のクロックです。96KHzのクロックと44.1KHzのクロックではやっぱり明らかに音が違うので。 波形が伸びていなくても96KHzのクロックだったら96KHzの音になるんです。そこしか違いはないと思います。音の違いで言えば、44.1KHzより96KHzの方が、やっぱり空間が広い感じがします。
——では、DSDで戻ってきたものとはどう違うんですか?
木村 : PCMとDSDの違いですね。あんまりうまく説明できませんが、PCMってギザギザした音なんです。DSDはもっと滑らかいっていうか。音にはそういう違いがあります。
——世の中にいろんな“音が良い”がある中で、今回はどこを目指してキムケンさんはマスタリングされたんですか?
木村 : アルバムごとに、良い感じになればいいなと思っていましたね。それで、最初の何枚かはゆるい感じで作ってみて、それをミトさんに聴いてもらったら、 もう少しゆるさをパシッとしたいっておっしゃったので、それで方向性が見えてきましたね。あとは、気にされていた歌の聴こえづらさとベースをEQとコンプを使って前に出てくるようにしました。
——そもそも、何年か前はCDだったわけじゃないですか。もっと前にアナログとかLPがあって。そういう時代の変化の中で、最近登場したハイレゾやDSDのことをどう考えていますか?
木村 : どっちかっていうと嬉しいですね。わりとCDのマスタリングだとレベルを入れなきゃっていう思いがみんなにはあると思うんです。 でも、ハイレゾだとそこが薄まった分、自由というか。
——そうなったのって、ラジオとかでどんどんレベルが上がって耳元ででかい音が鳴れば、“よく聴こえる”っていう印象が広まったからじゃないですか。 やっぱりそれは、マスタリングエンジニアのキムケンさんからすればどうだったのでしょう?
木村 : まぁでも、最近の再生環境ってしょぼいじゃないですか。特に若い子とかCDプレイヤー持っていないし、再生機器といえばPCとか携帯電話とかがメインだと思うので、 ある程度圧縮しないとそういう環境でちゃんと再生されないと思うんですよね。ダイナミックレンジもすげー強いけど音がスカスカで何をやっているかわかんないっていうか。 だから制作側は、その間を取るのに苦労していますね。でも、そこまで突っ込まなくてもいいっていう意味で、自分はハイレゾだとその壁が薄まるイメージがありますね。
——携帯電話などの再生機器でどうやったら良く聴こえるかっていうのをクライアントさんは模索しているっていうことですよね。それはそれで新たな難しさですね。 そこに関して、キムケンさん的には、ちゃんとしたハイレゾ環境で聴いてほしいのにっていう気持ちはないんですか?
木村 : 気持ちはあるけど、お金ないんだろうなって思うし、そういう環境の子達も「かっこいいな」って思えるような音になればいいと思って作業しています。
——一般的にマスタリングとはなんでしょうか?
木村 : 一般的には工場の納品するフォーマットを作るっていう感じですね。曲間を揃えたり、音量を揃えたり、曲順に並べたり。
——でもキムケンさんのマスタリングってそれだけじゃないですよね。良いマスタリングって何ですか?
木村 : そうですね… 音はでかいけど、アタックがちゃんと残っているっていうことですね。ベタッとなってないというか。アタックが潰れていない感じですね。 やっぱり、少しでも“良い感じ”で聴いてほしいから、それが出来たらいいかなって思いますね。
▶ リマスタリングされたクラムボン過去13作品の一覧はこちら
PROFILE
木村健太郎
KIMKEN STUDIOを主催するマスタリング・エンジニア。SAIDERA MASTERING、オレンジという名門スタジオを経て独立。メジャーからアンダーグラウンドまで幅広いレンジの作品を手がけている。