猫撫ディストーション ギズモルート
人間になることを望まれて、その可能性を掴み取ったネコミミメイドさんである。
ギズモ(Gizmo)は、英語で「ちょっとした機械仕掛け」のこと。
ガジェット(Gadget)と似たニュアンスで使われる。
シナリオ考察
ギズモが入っていた「シュレディンガーの猫箱」
数多くのSF作品に取り上げられていてあまりに有名すぎるせいか、ラストの琴子シナリオまで触れられないこの思考実験だけれど、このゲームの世界観は、もちろんこの「猫箱」を下敷きにしたものだ。
だからギズモは「猫」だし、OPムービーは「箱」がモチーフになっている。
この実験について、いま一度おさらいしておく。
1:外部から完全に隔離された箱に、猫・放射性原子・放射線測定器・毒ガス発生装置を入れる
2:放射性原子は1時間に50%の確率で崩壊するものとする=50%の確率で測定器が反応し、毒ガスが発生する
3:1時間後の猫は、箱を開けるまでは「生きている」状態と「死んでいる」状態の重ね合わせの存在である
この実験のポイントは、「猫が生きているのか死んでいるのかわからない」ことではなく、「放射性原子が崩壊するかどうかが確率でしかわからない」ことにある。
原子の状態が詳細に観測できれば、いつ崩壊するかがきちんと計算できるのだが、観測という行為そのものが物理的に原子の状態に影響を及ぼしてしまうため、いつ崩壊するかは確率でしか表すことができない。(不確定性原理)
この量子力学的曖昧さが、現実世界に「50%生きていて、50%死んでいる猫」を生み出すことになってしまうのである。
可能性世界の存在を暗示する「二重スリット実験」
半分生きていて、半分死んでいる猫――この現実ではありえない(考えづらい)「重ね合わせ」が、量子力学では当然のことと認識されていた。
それを現しているのが、「二重スリット実験」である。
この実験は、電子を一粒ずつ打ち出し、2本のスリットが開けられた衝立を通過させたあと、どこに着地するか観察するものである。
これを繰り返せば、「粒」である電子は、スリットと同じ2本線の模様を描くはずだ。
しかし現実に出来上がるのは、縞模様なのである。これは波の干渉縞と同じものであり、「粒」であるはずの電子が「波」の性質を示したことを意味している。
つまり、一粒の電子が左右のスリットを「同時に」通過し、それらが干渉しあって縞模様を描いたことになるのだ。
なぜ一粒ずつ打ち出したはずの電子が、左右のスリットを「同時に」通過しているような結果になるのか?
それを確かめるため、電子が左右どちらのスリットを通過しているのか(あるいは、本当に同時に通過しているのか)観測しようとすると、途端に電子は「粒」になってしまい、縞模様は発生しなくなってしまうのだという。
この不可思議な現象について、「観測」が鍵になると考えたのが「コペンハーゲン解釈」である。
この考え方では、量子力学的な確率で「右のスリットを通った粒子」と「左のスリットを通った粒子」がそれぞれ実際に存在していて、「観測」によってその確率が収束する、とした。
しかし、その「重ね合わせ」がどの段階で生じ、どの段階で収束するのか――
そして、それがなぜ「観測」によって確定するのか――
量子力学は、この謎を未だに解明できていない。
にも関わらず、古くから学者たちは「ミクロの世界でなら当然に起こりうることだ」と認識していた。
(というか、二重スリット実験は、そう考えざるを得ない結果を示していた)
(シュレディンガーの猫の思考実験は、この曖昧な量子力学的認識に対して、「猫の生死」という身近な(マクロな)事象にもその認識は適用されるのか、というアンチテーゼとして提唱されたものである)
この謎を説明しようとする諸説のうち、この作品では「エヴェレットの多世界解釈」を採用しているようである。
「だったら聞くけど、どうして猫が人間になれないんだ?」:エヴェレットの多世界解釈
この「多世界解釈」を一言で言ってしまうと、「パラレルワールドの存在を認める」というもの。
量子そのもののふるまいのみを検討するのではなく、「観測者」の存在を実験に含めて解釈しようとする考え方である。
この解釈を「二重スリット実験」に当てはめれば、「右のスリットを通る電子」と「左のスリットを通る電子」が重ね合わせで存在しているのではなく、「右のスリットを通る電子を観る観測者」と「左のスリットを通る電子を観る観測者」が重ね合わせで存在している――と考える。
この「重ね合わせ」は、物理的に因果が保たれている限り、可能性の数だけ発生し、観測した時点で世界は分岐する。
今回の猫箱に当てはめれば、「猫のギズモを観たタツキ」と「人間になったギズモを観たタツキ」が、それぞれ重ね合わせで存在しているのである。
そう望まれたモノ、ギズモ
3年前――琴子が死んでしまった日から、タツキはその現実から目をそらすように、世界を観ることをやめた。
タツキにとって、世界のすべては、曖昧な影絵のように、薄く、ぼんやりしたものだった。
しかし、1年前――大きな流れ星が降った夜、タツキは「箱に入っている猫」を観測する。
それからのタツキは、今までなにも観ようとせず、なにも話さなかった反動のように、猫に喋り続けた。
その日あったこと、昔あったこと、琴子が生きていた頃のこと……そういった益体のない諸々を、延々と。
そのうち、タツキは思うようになる。
「あーあ、オマエも少しはしゃべれたらなぁ……」
そうして、星が降って世界が歪んだ夜――タツキはその可能性世界を手に入れるのだった。
「アレは望まれるものになったんだよ」
「わたしも、兄さんも、猫さんも、みんな別のものを見てるんですよ?」
「もしかしたら、猫さんの方がよく分かってるかもしれませんね。
自分の見てる世界が、自分にしか見えない、たったひとつのものだということを」
ギズモは、「SWAN SONG」の八坂あろえ、「ゴア・スクリーミング・ショウ」のユカのような、いわゆる「世界観を象徴するヒロイン」である。
猫だった彼女が象徴するのは、「言葉」と「認識」だ。
猫の瞳には赤色が映らず、その脳は動くものしか認識できないのだという。
私たちが当たり前に見ている、夕暮れ時に染まる空。しかし、それは猫には見ることのできない景色なのだ。
ギズモは人間の身体に人間の瞳、そして人間の脳を手に入れることで、ようやくオレンジ色の空を見ることができるようになった。
しかし、見ているものを表現できる「言葉」がなければ、その景色に意味を作ることはできない。
「だから、猫さんにも教えてあげましょう。
この空が『夕焼け』で、わたしたちはみんな、同じ『夕焼け』を見てることを。
わたしたちは、『言葉』が生み出したひとつの世界に住んでることを……」
言葉を知り、認識を共有することで、ギズモは自分がいる世界が「世界」であることを知る。そうして、ギズモは本当の意味で「人間」になっていく。
ただのモノに言葉を与え、意味を持たせることができるのが、人間が人間たる所以なのだから。
「猫さんを人間にしてあげて、兄さん」
世界を産み出す猫
ギズモが人間になって、病気の心配のない元気な琴子がいて、強くて優しい結衣がいて、明るくて温かい式子がいて、人間味溢れた電卓がいる世界。
私たちが今まで観てきたそんな景色は、タツキが開けた箱の中に「人間になったギズモ」が入っている可能性世界だった。
しかし、「言葉」を与えられ、「世界」を知り、そして「愛」を覚えたギズモは、もう完全に一人の女の子だった。
本当の意味で「人間」になったギズモは、私たちと同じように世界を観て、自分の望んだように世界を変えようとしはじめる。
「動物は与えられた世界に、無条件に従属して行動します。それは自然なことですが……。
人間は世界を観て、世界を変えるために行動するんです。とんでもなく不自然です」
ギズモルートでの世界は「ディストーション・エンド」を迎えようとしていた。1月1日に向かって落ち続ける、永遠の黄昏である。
しかし、そんな世界を観測しようとしていたタツキは、ギズモの夢を観る。
ギズモは、タツキを「タツキの観測した可能性世界」から「ギズモの観測した可能性世界」へと連れて行こうとするのだ。
「あの子が『言葉』を覚えたら、きっと兄さんを自分の世界に連れて行く……それは分かってました。
でも、それもまた兄さんの、有るべき可能性のひとつだから」
ネコミミメイドのシンデレラ
琴子は死んでいて、現実から目をそむけた結衣がいて、疲れ切った式子がいて、後悔し続けている電卓がいる世界――
タツキが観た夢は、物語の始まりと同じような、曖昧な影絵の世界だった。
しかしギズモだけが違った。夢の中でのギズモは、流暢に人語をしゃべる、おしとやかなネコミミメイドさんになっていた。
タツキと同じ目線で、同じ言葉で、同じモノを観ることのできるギズモのいる世界――
これこそが、正しい意味での「猫が人間になった世界」だった。
しかし、ギズモはその夢を叶えると同時に消えてしまうことになるのだった。
「まもなく、ここと隣り合った世界で巨大な質量が発生し、私は確率だけの存在に戻ります……。
つまり、これで、さよならなのです」
ここは「タツキが観測する可能性世界」の中にある「ギズモが人間になった可能性世界」である。タツキが箱を開けたら、入っていた猫さんは人間になっていたのだ。
しかし、歪みが終わることで、タツキの持っている箱は閉じられる。彼がいるのは、永遠に1月1日に向かって落ち続ける黄昏の世界。決して1月1日が訪れることはない。
そして、その箱の中にいる「人間になったギズモ」もまた、1月1日を迎えることはできない。
彼女は12時で覚めてしまう夢なのだ。
「もしよかったら、いつものように撫でてください。この『歪み』が終わる、あと少しの間だけ」
「あなたの望む『世界』は、私の中に折り畳まれて存在します」
「あなたの育てた『世界』は、ここに在ります。
あなたの『言葉』で編まれた『世界』です」
琴子がいて、式子がいて、結衣がいて、電卓がいて、みんながタツキを望んでいる世界――
それこそ、かつてタツキが望んでいた楽園のはずだった。
そこはタツキに言葉を与えられ、誰よりもタツキの望みを知っているギズモが、タツキを想って産み出した世界だったからだ。
しかし、タツキはその世界を否定する。
――違う! この『世界』は違う!
――こんなのはニセモノだ!
そこは「タツキが観測する可能性世界」の中にある「ギズモが人間になった可能性世界」の中にある「ギズモが世界を観測する可能性世界」である。タツキが箱を開けたら、入っていた猫さんも箱を持っていて、中身を見せてくれたのだ。
そして「箱を創り出す存在」となったギズモは、当然ながら箱の中には存在しないのだった。
そうしてギズモのいない「ギズモが世界を観測する可能性世界」をも否定したタツキは、すべての可能性を失って現実世界へと戻ってくることとなる。
「本当の『奇跡』は、もっとさりげなく、そっと静かに訪れるものなんですよ」
タツキが戻ってきたのは、もっとも当たり前で、もっとも救いから遠い世界だった。
今まで見ていた「夢」がまるで奇跡に思えるほど、なにもない世界。
猫が人間になるはずなんてなくて、壊れた猫の人形に向かって喋り続けていた男がいるだけの世界だった。
「質量保存則、大数の法則……、呼ばれ方はいろいろありますが、足りなくなったものを埋め合わせるように、それは勝手に向こうからやって来る。
だから、全てを失った兄さんは、どの世界の兄さんよりも奇跡に近い場所にいます」
しかし、タツキには観測できなくなってしまったとしても、ギズモはたしかに存在していた。
この世界は、一人の少女を失ったのだ。
だから、一人の少女が生みだされた。
大好きな人が一人ぼっちにならないように。
「俺の行きたい『世界』には、お前もいなくちゃダメだ。なあギズモ、俺たち一緒に家族になろう」
「……ありがとうございます。その『言葉』だけで、私も夢を見ることができました」
そうして受け継がれていく言葉に乗せた「想い」を――それを編んで紡いでいく「時間」を、彼らは家族と呼んだ。
そう望んだ少女、ギズモ
「兄さんは猫さんに、何を望んだのでしょう……?」
ギズモは「望まれたもの」として具現化した存在だったはずだ。
では、タツキはギズモになにを望んでいたのだろうか。
――話し相手がほしかった?
――琴子に生まれ変わってほしかった?
――琴子が生きていた「あの頃」の七枷家に戻りたかった?
そんなことをタツキはいろいろと言っていたけれど、つまりは寂しかったのだろう。
ぼやけた影絵のようにしか観えない自分の世界を、家族の誰ともわかりあえない自分の孤独を、他の誰かと分かち合いたかったのだ。
タツキからずっとそんな「言葉」を与えられ、人間になったギズモは、そうして世界を観測するようになった。
「それでいいの? 兄さん。
自分と同じものを観てる人がいたとしたら。
それはつまり『自分』なのですよ?」
「猫撫ディストーションExodus」グランドシナリオより
「ギズモが世界を観測する可能性世界」は、言わばタツキの願いが叶った世界であり、タツキの願望がそのまま投影された世界であった。
だから、タツキはそれを「ニセモノ」と言って拒絶したのである。
そうして「可能性を産み出す可能性」として、ギズモは確率の海に溶けていく。
その結果、タツキはすべての可能性を失ったかのように見えた世界で、新しい可能性と出会い、新しい楽園に足を踏み入れることになる。
一見、まるでご都合主義みたいにも見えるこのエンディングだが、これは決して偶然の産物などではない。
「思い出、約束、誇り、意地、憎しみ……。
思想、神、そして愛も……。
人は『形の無いもの』を観て、そこに世界を創り出す。
何も無いもののために生きられるのが人間……。
あの子は、そういう存在になったのですよ、兄さん」
ここは「世界を産み出す存在」となったギズモが観測した、新しい可能性世界だ。
ギズモは「タツキが観測する世界」の箱から出て、自ら「ギズモが観測する世界」を創造するに至ったのだ。
ギズモが本当に観たかった世界は、大好きな人と、可愛い女の子になった自分が結ばれる世界だったのだろう。
かつては「望まれたもの」として生まれた彼女だったが、今やもはや、タツキの孤独を慰めるだけの猫ではない。自分の望んだように世界を創ることができる、ネコミミアイドルなのだ。
どこかエゴイスティックで、ちょっと生臭くて――それでも、恋する女の子なら誰もが願うような、そんな世界を、彼女は観たのだ。
琴子が予想していた、まさにその通りに。
「一度覚えたら、すぐです。……愛の言葉を囁くのも」
「言葉」では語り尽くせないほどの熱い愛を観せてくれるギズモこそ、たしかにメインヒロインなのだった。
シナリオレビュー
メインヒロインなギズモのシナリオは、意外にも、かなりあっさり風味にまとめられる。
言ってしまえば「世界観の紹介」といった雰囲気のシナリオだ。
まず、ギャルゲーシナリオとして見たとき、ギズモが「ヒロイン」になるのが「発情期」というツカミはぜんぜん悪くない。
なのに、イチャイチャを引っ張らずにすぐにエッチしてしまうのが、このゲームの悪いところ。ルートに入ったらスグなんだもんなあ!
(この性欲を持て余す無知っ子シチュは、やはり「なつくもゆるる」の狭霧紫穂がレジェンド……!)
(しかし、お風呂キライな猫さんがシャワーで大騒ぎするのがピロートークになっちゃうのはお気に入り。ギズモらしくてとってもほっこりしました)
ギズモの「メイドさん化」を引っ張ってくれなかったのも、ギャルゲーとしてはやや物足りない。
個人的には、ルートに入ることで猫さんがどんどん「人間の女の子」になっていくような、ギズモ育成シナリオを期待していただけに、もったいないなぁと思ってしまう。
(個別ルートに使えるのが、クリスマスから大晦日までの一週間しかない――という時間的制約のせいで、あんまりのんびりしていられなかったのかもしれない)
しかし、(物足りないながらも)きちんと「ギャルゲー」の体裁を取りながら、この作品の根幹を成す「可能性世界」について掘り下げたシナリオの完成度は、決して低くない。
完成度を高めすぎたせいで、ずいぶんと難解になってしまっている感はあるのだけれど。
ギズモルートを最初にやるべき!というレビューも見たし、言っていることもわからなくはない。
しかし、最初にこの複雑な設定のパラレルワールドの話をぶつけられて、きちんと飲み込めるのか――と聞かれたら、私の読解力ではややハードルが高かった気も……。
とは言え、もともとSF作品が好きで、猫箱の話やパラレルワールドの話に詳しい人にとっては、素直に飲み込めるシナリオだったのかもしれない。
私がなかなかピンと来なかったのは、ギズモが消えてしまう理由が「3年前に戻ってしまうから」と説明されていた点。
この3年前というのは、もちろん琴子が死んでしまった日のことで、3年前に戻るというのは、琴子が死んでいる世界に戻るということだ。
本来、この可能性世界は、「琴子が生きている世界」という箱の中に「ギズモが人間になった世界」という箱が入っていて、更にその中に「ギズモが世界を観測した世界」の箱が入っている――という、マトリョーシカ的入れ子構造になっていると思われる。
(だから、「ギズモが観測した世界」を、タツキと琴子はパソコン越しに観ることができる)
タツキが「ギズモが世界を観測した世界」を観測したまま「歪み」が終わり、「琴子が死んでいる世界」が確定することで、「琴子が生きている世界」の可能性が消滅する。それは同時に「ギズモが人間になった世界」の可能性が消滅することも意味しているので、ギズモは消えてしまう――
と、こういう仕組みのことを「3年前に戻る」と描写している……んじゃないのかな? 違ってたらごめんなさい!
(このゲームは、こういう大事なギミックまでノリで伝えようとしてくるからメンドクサイんだよなぁ!)
そうしてギズモが見せてくれた世界のエピローグが、ネコミミアイドルになったギズモとのお話のみ、というのはどうなんだろう?
たしかに、ギズモルートにふさわしく、ギズモに熱い愛を囁かれるエンディングではある。
が、七枷の家がどうなったのか、やっぱり気になるところ。タツキ自身は影絵の家族たちと向き合う気になったみたいだったし。
それを描写しないこのシナリオが、「琴子なんてもう忘れて!」「私だけを観て!」っていうギズモのメッセージなのだとしたら、それはそれで全然OKです。
だって、ギズモはメーカー公認のメインヒロインなんだしね!
「とんだドロボウ猫さんです」
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