猫撫ディストーション 式子ルート

3人目の攻略ヒロインは、実母・七枷式子。
式子さんは中学生くらいにまで若返ってしまっているので、いちおう合法ロリっ娘ルートではある。
けれど、「お母さんがお父さんと結ばれなかった世界でのIFストーリー」などという甘っちょろいものではない、完全なる「実の母親」として攻略できてしまう式子さんは、ギャルゲー界でもかなりの異色ヒロイン!

シナリオ考察


オーガニック少女のトラウマ


お肉がダメな、菜食主義者の式子さん。
彼女のトラウマは、彼女が遡った25年前にある。

式子が生まれたのは、決して幸せな家庭ではなかった。
喧嘩とすれ違いばかりの両親と、空っぽな家族。
それでも、式子はいつか自分が"かすがい"となり、両親と三人で幸せな家族を作りたい――そう思っていた。

しかし、その願いが叶う前に、式子の父親は病死してしまう。
父親は死んで「肉」になり、そして「火」によって終わりがもたらされる。
そうして彼女は「死」を嫌悪し、「永遠」を渇望するようになった。

わたしの求めた『家族』の幸せ……それは、『死』とは正反対の場所にあるもの。
幸せとは永遠であり、永遠とは家族。
そして、家族とは――
森のようにずっとずっと続く――
『いのち』


「母さんね、家族って、森みたいだったら、素敵だな~って思うの」


「森ってさ、別々のいろんな生き物が集まって、ひとつの世界を造ってるでしょ~?
 何かが無くなっても増えすぎてもバランスが壊れる、みんなが互いの役に立って、全部が生かされてるの」


木があって、花があって、草があって、虫がいて、草を食べる動物がいて、虫を食べる動物がいて、動物を食べる動物がいる。
それらは別々に生きていても、一つの「森」としてまとまっている。
個々の生命が死を迎えても、それらは新たな生命の構築物として生まれ変わり、繰り返されていく。
式子の望む「永遠」は、そうやって紡ぎ続けられていく「森」そのものだった。


「力」を失う式子と、トラウマの克服


コミュニケーションに齟齬が生まれなければ、家族は幸せになれる――それが式子の理想だった。
タツキに観測されて理想を叶え、幸せを実感した式子は、それを手に入れるための道具としての「力」を失うことになった。
同時に、式子は個人としてのアイデンティティを失うことになる。

不幸から生まれ、幸福を望み、それが叶えられたならば、存在できない。


その解決としてもたらされた「発火」の奇跡は、おそらくはタツキが25年前を観測したことによるもの。
(その原理はともかくとして)「火」によって「肉」に変えられたタツキを、式子は必死に手当をする。
これは、「ヤケドをした腕を治療した」わけではない。「焼け落ちた腕を新しく生やした」のに近い現象である。
彼女の力の本質は、「断絶」を「連続」の中に飲み込むことなのだから。

式子は、自分が家族を不幸から救えなかったと考えていて、それがトラウマに繋がっていた。
しかし、タツキに言わせれば、母親も、父親も、そして式子も、みんなが自分を不幸にしていたのだ。

悲しみを、悲しみ以外のものと関連づけたりせず、ただ悲しみとして受け止めること。
俺たちは、感じるだけでいい。
ただ悲しむだけでいい。
それ以外の意味づけは必要ない。


こうして式子は、父親と母親を不幸から救えなかった罪の意識を禊ぎ、トラウマを清算する。


「個」の壁を超越させる力


流れ星が降った夜、式子が手に入れた「力」は、植物をあるべき形にし、異なる個体を掛け合わせることができるものだった。
それはつまり、生物の「個」の壁を超越させ、「群体」として一つにまとめようとするもの。
そうしてできあがった家族は、言葉にせずとも伝えたいことが伝わるような、「個人」という枠を拡大する形でもたらされた。

「それが、家族なんです。少なくとも、兄さんの選んだ家族なんです。
 個別であって、けれど境界が曖昧で、連続しているもの。
 それは、拡張された森。
 『断絶』を『永遠』の中に飲み込んでしまったもの。――空間的にも、時間的にも。
 個の壁を越え……生も死も、ひとつらなりのものとして包み込んでしまったもの。
 それが、母さんの力です」


「断絶」を「連続」に飲み込んだ永遠


例えば、私の部屋の窓から外を見ると、カラスやハトやスズメくらいなら簡単に見つけることができる。
しかし、昨日見たハトと今日見たハトが同じなのか、その親兄弟なのか、子供なのか、あるいはぜんぜん違う群れのハトなのか――私には区別ができない。
ハトの寿命は10年前後だと言う。しかし、私の観ているハトは30年以上前からいるし、30年後だっているだろう。
私の目に映る「この辺りに住んでるハト」は、個々の死(断絶)から解き放たれた、もはや現象に近い存在なのだ。

七枷家が叶えた永遠も、同じことである。
昨日のハトが死んでしまったとしても、今日もうちのベランダにはハトが来るように、昨日の式子が死んでしまったとしても、今日の式子は生きているのだ。
彼らは「家族」という森に属する個人であると同時に、「森」という一つの生命になったのだから。
だから式子はいつでも処女だし、彼女との逢瀬はいつでも「初めて」なのだ。

シナリオレビュー


他のルートに比べて、少し長めな印象。特に起こるイベントが多いわけではないので、冗長にも感じられる。
(100億年後まで描写するには仕方のないことかもしれないが……)

式子シナリオでは、結衣シナリオで実現された「物理的な永遠」とはまた一味違う、「群体としての永遠」が実っていた。
単なる「森」では気候の変化やら天変地異やらによって滅んでしまいそうだけれど、七枷家はそういった外的要因をも取り込み、地球が寿命を迎えた後も続く宇宙へと「森」を拡大させていく。
かなり観念的な発想ではあるけれど、シナリオの組み立て方が上手いせいか、意外にもすっと馴染む。

アニメやギャルゲー・ラノベといったジュブナイルなストーリーでは、常識や慣習・体制に囚われずに自分らしさを大事にしよう――といった「個人主義」が推されることが大半だ。
それに比べ、この式子シナリオは、個人の壁を曖昧にして歴史に身を委ねよう――という理想が描かれる。
決して個人をないがしろにしているわけでもないし、式子の願いを叶えるという意味では個人を大切にしているとも言えるかもしれないが、それでも、この形で結ぶスタンスは、異色と言っていいのではないだろうか。

しかし、式子さんの「肉」と「火」についてのトラウマのエピソードが、いかんせんチープな印象が否めない。
お父さんが死んで火葬されちゃったからって、ちょっとフツーっていうか……。

タツキがすぐ寝ちゃう伏線とかも一応回収するのだけれど、基本は菜食主義な式子さんにのみスポットを当てておけばシナリオにはついていけるので、「永遠」の完成度としては、結衣シナリオのほうが高かったように思われる。
シナリオ上では「愛」とか「悲しみ」とかについても触れているのだけれど、こちらのお話は感覚的なことが多くてよくわからなかったのでスルーします!

それにしても、やっぱり実の母親を攻略するのは、私にはまだ早かったかも……。
共通ルートでは「式子ちゃんって呼んで」とか言ってたのに、いざルートに入ってHシーンになると「母さんって呼んで」とか言いはじめるし、本当に母親が攻略したい人には歓喜なのかもしれないけど。
自分の母親のことが頭をよぎると、どうにもテンションが下がってしまうというか……!?

そんな式子さんとのエッチシーンは、3H5CG。
お母さんとのシーンが一番多いって、このゲームは一体どうなってるの?
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