信念~新城聡の場合~ 前編
護るべきものとか
ゆずれないものとか
そんなのどーでもいいじゃん
今が楽しければそれでいいっしょ
人生にはノリが大切だよ、ノリが。
もっとさ、パーッとテキトーにいってみようよ
信念~新城聡の場合~
もし自分に座右の銘があるとしたら、「出る杭は打たれる」という格言だと思う。プラスの意味でもマイナスの意味でも突出した奴ってのは、はじき出されるもんなんだよ。一旦はみ出てしまったら、周りから疎外されて更に飛び出る羽目になってしまう。そんなのは損じゃん。だからさ、俺は昔っから気を付けてる――心掛けてる事があるのよね。
あほの振りをしろ。
人生には様々な注意事があるけど(法律とか常識とかね)俺が守ってるのはこれだけ。偉い所を見せてもろくな事は無いよ。異性にモテるという利点は確かにあるかもしれないけど、そんなメリットはデメリットに比べればほんの些細な事。ちなみにデメリットは「頼られる」「振られる」「任される」とか挙げていけばキリがない。
だってさぁ、会社で仕事が出来る奴と出来ない奴がほぼ同じ給料貰っているのに、仕事の内容に差があるっておかしな話じゃない。それなら出来ない振りをして怠けるよ。んで、てきとーに仕事してそれなりの給料をもらった方がお得でしょ。そのせいか江崎というあほ上司からあほ呼ばわりされているけど、別に構いやしない。変に期待されて面倒くさい仕事を振られるより、小馬鹿にされてたほうがよっぽどマシだ。あほの振り万歳。メリットはあってもデメリットは無い。そう思っていたけど、どうも世の中そう上手くはいかないみたい。午前11時、街中のスクランブル交差点で信号を見つめていると、急に声を掛けられた。
「おい、テメェ。さっき俺にガン付けてたろ」
あ~あ、こんな格好――茶髪にピアスにカラコン、スーツの下に着るシャツはピンクや青の原色、こんな格好をしていたら上司からの受けは悪いし、ケンカを売られる事もある。そりゃあこのスタイルが好きという頭が軽い女の子がいるけど、好かれるより疎まれる(もしくは絡まれる)方が圧倒的に多い。現に今だってダボダボの服に黒人みたいなアフロヘアーをしている兄ちゃんに声を掛けられている。ジロジロと威圧的な眼光や最初の言葉を推測するに、どうやらナンパとかではなさそうだ。
「え~と、何の事でしょうか?」
「何スカしてんだよ、さっき俺を睨んでたろうが」
こっちは丁寧に答えているのに、この言葉遣いは何だ?出たよ、こいつ等の悪い癖。何かにつけ自意識過剰だ、見てませんっての。何かあれば俺は~俺は~のオンパレード。酒を飲めば自慢話で、女を傍に置けば自分史を語り出す。ちょっと見ているだけなのにガンを付けただの付けられただの、自分から事を大きくする。そして舐められたとか叫びつつ、むやみやたらに拳を振るう。全く、こんなのがこれからの日本を支えるんだから世も末だな。ま、俺も人の事言えないか。現在の情勢と日本の行く末を案じていると、ぐいっと首元のネクタイを掴まれた。
「おい、てめぇ。舐めてんのかぁ?」
何をどうしたらそういう結論になるんだろう。全く持って意味不明だ。自分はあほの振りをしているけど、こいつは純度100%のそれだな。さて、どうする?さすがにここで始末するのは人目に付く。どうにかして路地裏にでも誘いこめないかな。そう思案していると、純度100%の仲間らしき奴らが集まってきた。
「おいおい、どうした?」「トラブルかい、てっちゃん」「手ぇ貸すぜ。俺達チームだろ」
全く、ゴキブリを一匹見たら五匹いると思えという格言があるが、それを思い出したよ。
害虫共はぞろぞろと集まってくる。睨みつけてくる者、後ろに回って軽くこづいてくる者、ガムをクチャクチャ噛みながら「やっちゃう?やっちゃう?」と連呼する者と実に様々な害虫共だ。ここら辺はゴキブリと違うところだな。奴等は人間を見つけたら早足で逃げやがる。周囲の通行人がチラチラ見て心配そうな視線を投げ掛けてくるが、助けに来る人は誰もいないし、警察を呼ぼうとする者もいない。それで良い。余計な事はしないでくれ。
「おい、お前。ちょっとそこまで来いよ」
現れた害虫の内、体格の良さそうなリーダー格が肩を組みながら囁いてきた。何も知らない一般人が見たら肩を組んで仲良く会話しているように見えるのだろうか。前も、後ろも、右も、左も、害虫共に囲まれて路地裏へと連れ込まれる。路地裏か…お前らにはお似合いだよ。もちろんそんな事は言わず「勘弁して下さいよ~」と蚊の鳴きそうな声で抵抗する。奴等はそんな反応すらを楽しむようにターゲットを引きずって行った。だが、奴等は数分後知る事になる。ターゲットは自分達であり、引きずられたのも自分達であると言う事に。
リーダー格の害虫である男の名前は内藤と言った。この街を根城にして楽しく遊び、気ままに暴れる。そんなチームの一員だった。気の弱そうな男がいたら路地裏に連れ込んで金を巻き上げ、お高くとまっている女がいたらカラオケボックスに連れ込んで弄び、裸のまま放置する事もあった。その日も単なる遊びのつもりだった。仲間の一人が若い兄ちゃんに因縁を付けている。見るとチャラチャラしたサラリーマンだ。身に付けている物を見るにつけ、少しは金を持ってそうだ。近頃は女を釣るにも金が掛かる。内藤はちょっとした小づかい稼ぎのつもりだった。
チャラい兄ちゃんを路地裏の壁に押し付けてジロジロ睨む。大抵の男はここで「お金を払いますから…」と泣きついてくるはずだ。それなら手間が省ける、頂ける物は頂く。それが俺達のモットーだ。まぁ、それで許すつもりもないがな。数分程パンチングマシーンの代わりになってもらってそれで終わりだ。ちょっとしたストレス解消って奴かな。昨日もそれをした、今日もそのつもりだった。ほら、口を開くぞ。だが、その兄ちゃんから聞こえてきた言葉は予想とは全く違っていた。
「ありがとう」
内藤は戸惑っていた。許しを乞う言葉なら聞き飽きた。逆ギレする言葉もたまにはあった(その度に3割増で袋叩きにしていたが)。だが、謝礼の言葉は初めてだった。自分の耳がおかしくなったのか?内藤が自分の感覚を疑っていると、その男は同じ言葉を口にした。
「ありがとう。5人で来てくれて助かったよ」
その言葉にチーム内で一番の年少者が突っかかる。坂崎という男だ。気が短く手が早い。チーム内では切りこみ役として重宝していた男だ。
「おい、こら。助かったとはどういう意味だぁ?」
首元のネクタイを引っ張りながら因縁を付ける。否、付けようとしていた。ネクタイに手が触れるよりも早く、その男の拳が坂崎の鼻にめり込んだ。鈍い音がして坂崎が鼻を押さえる。その瞬間、黒々とした皮靴が坂崎の横っ面をはたいていた。回し蹴りだ。内藤が気付いた頃には坂崎は地面に横たわって意識を失っていた。そしてその男は心からの笑顔でこう呟いた。
「1対1じゃ警察に駆け込まれる心配があったからね。でも、1対5でボコボコにされましたなんて、恥ずかしくて誰にも言えないでしょ。だから、純粋に嬉しいんだ。後さ、1対5なら手加減はいらないでしょ。僕って手加減は苦手なんだよね」
それが内藤達5人が聞いた最後の言葉だった。次の瞬間、内藤は見る事になる。凄まじいスピードで自分達をなぎ倒す男を。次の瞬間、内藤は聞く事になる。拳が、蹴りが、自分達を破壊する音を。次の瞬間、内藤達は知る事になる。人は見掛けで判断してはいけないと。
しかし、全ては後の祭りだった。
新城はスカッとした顔で路地裏から出てくる。もちろんその顔に傷一つ付いてない。誰にも聞こえないような声でぼそっと呟いた。
「ああ、良いストレス解消になった」
正直、さっきまでムカムカしていた。江崎という無能な上司に付き合わされてぐだぐだと小言を言われていたからだ。あほの振りをするのは良い。小馬鹿にされるのもまぁ我慢しよう。ただ1つ問題があるとするならば、あほと思われる故にチマチマと注意される事だ。先程迄がまさにそれだった。
無能な上司にチクチクチクチク重箱の隅をつつくような説教を受ける。分かってるての。一々言わなくて良いよ。もちろんそんな事は言えないから、ストレスが溜まってしょうがない。まぁ、こうして発散出来たから良いけどさ。ハンカチで赤く染まった拳を拭き取る。ああ、もうこのハンカチ使えないな。まぁ、良いや。臨時収入が入ったし近くのパルコでちょっと見て行こう。内藤の財布を取り出しながら中身を確かめていると、胸元にある携帯電話が歌を歌い出した。画面を見ると部長と表示されている。もちろん江崎や自分が勤めている会社の部長ではない。別の意味での【部長】だ。
「はい、新城でございます」
もちろん、これは携帯の画面に表示された相手を見たうえでの応答。江崎何たらとかいう上司相手だと、「はい、もしもし~」なんて言ってるよ。世の中には【振り】を見抜ける人ってのがいるらしい。そりゃあ、上司の顔とOLのお尻しか眺めてないような同僚には何も分からないだろうけど、そういうのを見抜ける人には簡単に見抜けちゃうみたい。お前のそれは振りだと、お前は偽物の仮面をかぶっているなと。
部長は今話せる状態か確認してくる。ちなみに今話せる状況というのは「今声を上げれる状況」や「今喋れる状況」とかそういう意味じゃない。「今周りに同僚や上司はいないか?」という意味だ。今は1人ですという言葉を伝えると相手が本題に入ってきた。
「どうだ?ネタは確定なのか?」
「確実な証拠を取れた訳じゃありませんが、院長の話を察するに限りなく黒に近い灰色という感じです。【衝撃!グラサンピッチャーの秘密にストライク!?】という見出しですかね」
「【!?】かー、何とか【!!】まで持ってこれないのか?」
「それは江崎次第だと思います。彼が院長をどこまで追い込めるかどうかに掛かっていますね。ところでそれについてご相談したい事があるんですが」
何だ?という相手の声に、少々の緊張を持って答える。
「院長が脅しを掛けてきました」
電話口を手で押さえながら話をする。これからの話は知りあいどころか通行人にすら聞かれたくない。
「なるほど、暴力団を使って脅しを掛けてきたか…」
「はっきりとそう言った訳ではありませんが、口ぶりからして確実かと思われます」
「グラサンピッチャーの嫌疑と似たようなもんだな」
「はい、有名外科医と暴力団。黒いバッテリー!?って感じです」
電話口でしばし笑いあってこれからの対応を話し合う。
「ともかくだ、脅されたのはお前の上司であってお前ではない。その点はお前にとってアドバンテージだ」
「はい、せっかくの上司ですから有効利用させてもらいますよ。盾としても、抜け穴としても」
「しかしだ、お前なら脅し自体もそう怖くないだろ。そんなのは切り抜けれる力と知恵を持っているはずだかな」
「言ったでしょ。俺は本気を出すのが苦手なんですよ」
「そうだったな。しかし…こちらは本気で頼むよ。じゃないと報酬が払えないからな」
「本気かどうかは知りませんが、少なくとも報酬分の働きは致しますよ。きっちりとネタを掴んで、そちらに横流ししますから」
「頼むよ、出版業界も最近は不況でな。スクープを求めて皆が皆走り回ってるのさ、スクープというのが有限である以上、新しいそれが発掘できない場合は…」
「奪い取るしかない、だからこそ俺の出番があると」
「その通りだ、期待しているよ」
「椅子に座ってでんと待ってて下さいよ、それではこれから仕事なんで切りますね」