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信念~新城聡の場合~ 後編




その瞬間、新城は確かに見た。大空を縦横無尽に駆け回る大鷲を。その鷲は翼をもぎ取られ地へと落ちる。もしかしたら鷲は地面に落ちたとしても、足の爪で地面を掴み、歩く事を選ぶ事も出来たのかもしれないが、鷲が選んだのは爪で自分の喉を掻っ切る事だった。新城は悩んでいた。先程までならセンセーショナルな見出しや記事が頭に浮かんでいたが、ここまでの尋常ならざる覚悟を見るとそれを何と表現して良いか分からなくなった。飛べなくなった鷲の話でも載せるか、間違い無く上司から書き直しを命じられそうだがな。そんな事を考えていると、電話が鳴り院長が話し出す。どうやら受付からのようだ。

「はい、もしもし。ああ、来られたか。うん、第一会議室に通ししておいてくれ。私も今からすぐに行く」
電話を切ると院長は神の側に寄って、眼鏡に手を伸ばす。
「最近視界がおかしいって言ってたろ」
「ああ、時たま霧が掛かったような感じになるんだ」
「それがカメラの影響なのか、脳内にある再生装置の影響なのかが分からない。とりあえずカメラの技術者が先程見えたようだからちょっと借りてくぞ。お前を連れてっても良いんだが、相手はお前の事を知らないから、色々説明するのが面倒だ」

そう言って院長は神のサングラスをすっと取る。
「良いか、分かってるとは思うが大人しくしてろよ。メガネを取った今のお前は目が見えないんだからな。歩く事すらままならない状況だ。そこに座って大人しくしてろ。看護師や医者もここには立ち寄らないように言ってある。のんびりソファで横になってろ」
分かったという神の返事を聞くと、院長はドアを開けて廊下へと出ていった。新城の脳内で葛藤が始まる。
どうする?願っても無いチャンスがやってきた。この薄い壁の向こうに、謎で包まれたグラサンピッチャーの素顔がある。誰1人としてサングラスを取った本当の表情を撮る事が出来なかった。しかし、今なら容易く出来る。クローゼットを飛び出してデジカメのシャッターを押すだけだ。鞄に手を伸ばし、愛要のデジカメを確認する。これに比べれば、盗聴や会話の盗み聞きなんて些細な事だ。

百の言葉より一つの写真という言葉がある様に、絵や写真のインパクトは絶大だ。例えバレたとしても決定的瞬間――グラサンピッチャーの素顔を撮れば万々歳だろう。デジカメを取り出して、消音モードに設定する。これで神にバレる事無く素顔を激写する事が出来る。万一バレたとしても所詮全盲の人間だ。逃げるのは容易な事だし、掴まれても叩き伏せるのは難しい事じゃない。

新城は決意を固めてクローゼットの扉を開ける。院長室のカギを開けるよりも、院長室への扉を開くよりも、今までの人生で一番緊張した瞬間だった。先程までとは次元が違う。扉の向こうには人がいる。ターゲットである田中神がいる。音を立てないようにそっとクローゼットを開くと、そこには1人の男がソファに鎮座していた。

グラサンピッチャーがそこにいた。否、グラサンピッチャーではない、田中神がそこにはいた。そこにいたのはトレードマークのサングラスを取ったどこにでもいそうな青年だった。確かプロフィールには田中院長の5つ年下で27歳と書いていたはずだ。年相応の若い青年という感じがする。短く刈られた髪はスポーツマンらしいし、日焼けした顔も、遊んでいるというより元気が良いと印象付ける。

ただ1つ27歳の青年らしくない部分を挙げるとすれば、じっと眼を瞑っていたという点だろうか。これは全盲である以上しょうがない事かも知れない。でも目を瞑っていてもらった助かった。これで思う存分写真が撮れる。モデルみたいに指示は出来ないが、最高の一枚を撮ってやるよ。新城はカメラのレンズをそっと神に向ける。その時、神の口が開いた。

「写真撮影は、ご遠慮願います」

新城は驚きのあまり動きが固まった。目の前にいる神は目が見えないはずだ。現に目をつむったままだし、カメラとなっているサングラスは院長が持っている。にも関わらずこの男は今、自分がしようとしている行動を理解し、尚且つそれを止めてきた。何故だ?疑問符が頭の中で暴れまわり、動く事すらままならない。追い打ちを掛けるように神が言葉を投げかけてきた。

「取材なら、広報を通してからにしてもらえませんかね?」
淡々と紡がれる神の言葉、それに対して新城が言えたのはたった一言だった。
「いつから…いつから気付いてた?」
さも当然のように――それはピッチャーが狙ったコースに投げられるように、神は新城の質問に答えた。
「この部屋に入った時からです。クローゼットから妙な気配がしましたからね」

そんなバカな…!新城は呟くと同時に心の中で叫んでいた。少なくとも院長と神がこの部屋に入ってからは物音など立ててない。微動だにしてないのだ。それならば、何故この男に気配が悟られたのだ?もしかして院長にもバレているのか?神は自分の考えを読んだかのようにクスッと微笑んで答える。目をつむったまま笑う姿は神々しさすら感じられた。
「大丈夫。兄貴なら気付いてないでしょうね。でも、一つ良い事を教えてあげますよ。自分達みたいに感覚の一部分を遮断されている者は、他の器官が得てして発達するものなんです。目が見えないから耳で周りの状況を知る。周りが見えないから触感で周囲の状況を悟る。こうして無理やりに鍛えられた自分の五感は通常の人々のそれを遙かに凌駕します。クローゼットに隠れたネズミを察知する位朝飯前ですよ」

新城は神の言葉が信じられなかった。確かに神の言っている事は聞いた事がある。全盲者は通常の人に比べて他の五感が発達している事は確かに知識としてあった。しかし、だからといって物音一つ立ててないはずの自分を察知できるものなのか?神の言葉を信じられないでいると、もう一つ神が証拠となる言葉を投げかけてきた。
「ネズミを見つけるのは簡単な事だし、このソファに仕掛けられた盗聴器を探り当てるのも容易な事なんですよ」
そんな馬鹿な…!驚きの余り新城は思わず息を飲んだ。その単純な行為こそが、神に新城の今いる場所を完全に確定させる事になるのだが、今の新城にはその事まで頭が回る余裕がない。新城の脳内で更に疑問符が暴れまわる。何故だ?何故だ?何故、盗聴器の事まで知っている?

「あら、やっぱり当たりでしたか。予想を付けてカマ掛けてみたんですが、どうやら正解のようですね」
神は悪戯っ子のように舌を出すと種明かしを始めた。
「この部屋に無断で入る人は二種類。だけど大元を辿れば一種類になります。それはこの部屋から何かを盗もうとする人だ。1人目は物質を――つまりは泥棒だ。そしてもう1人は情報を――つまりは記者だ。まぁ自分から言わせれば両者共薄汚いネズミですがね。そしてこの部屋に盗まれる程価値のある物質は無い。となると、情報を盗もうとする輩しかいない事になる。

更に言いましょうか。このソファに座った時の事です。位置がね、いつもよりズレていたんですよ。ほんの3ミリ程。通常の人間なら気付かないでしょうが、自分には模様替えをしたかの如く分かってしまう。いつも動かないソファが移動していた、いつもはいない侵入者がこの部屋にいた。それらの事から考えれば答えはなんとなく想像出来るんです。それは予想にしか過ぎなかったが、ネズミの反応で正解だと分かりましたよ。さて、このおもちゃを取ってくれますかね?」

神はそう言ってソファを指さす。その指は盗聴器を指し示しているんだろう。神はすっと立ち上がった。ソファをめくって盗聴器取り出せと言う事なんだろう。新城はソファに近づく。神の顔がすぐそこにあった、手を伸ばせば触れる事が出来る位置だ。今なら超至近距離で神の顔を撮る事が出来る。これなら会社もボーナスをくれるだろう。さっと神の顔を撮って即座に逃げ去る。そう、難しい事じゃない。万一手を掴まれたとしても振り払い、排除するだけの力位は自分に備わっている。カメラを握っている手に力を込める。今だ、今こそ押せよ。自分に自分に喝を入れる。ようぃスタート。その合図さえあればシャッターを押していただろう。そして、合図の代わりに神から忠告が聞こえてきた。

「その指を押せば…宣戦布告と見なしますよ」
まただ…何故分かる?サングラスは取られている。目の代わりになるカメラはもうない。なのに。何故俺の行動が分かる。新城は恐怖していた。恐ろしいものが怖いのでは無い。理解出来ないものこそが怖いのだ。昔部長から立ち飲み屋で言われた言葉を思い出した。その時は酔っぱらいの戯言だと無視していたが、なるほど、今となっては意味がよく分かる。本当に恐ろしいものは目の前にいた。そして、それはすっと一歩踏み出してきて、ぎゅっと新城の手を握ってきた。それは握手と呼ばれる行為だった。意味を辞書で調べれば友情の印として出てくるだろう。だが、新城にはもっと恐ろしいものに感じられた。触れた手から神の体温が伝わってくる。それは冷たく、死を感じさせた。まるで死神だ。新城はここに至って方針の変更をしていた。どう倒すかではなく、どう逃げるかに。そして死神が口を開く。

「目が見えなくても、感じる事は出来るんですよ。視界が無くとも、世界は視えるんですよ」
新城は神の手から逃れられなかった。普段ならする事は決まっている。その手を振りほどき、鳩尾に拳をめり込ませる。相手がうずくまった所に膝蹴りを顔面に叩き込んで終わり。いつもならそうしていた。数秒も掛からない作業だ。しかし、それが出来ない。神の手がそれをさせない。神の手を離せば、その手が――拳が、頬に、鼻に、顎に、腹に、喉に、全身に叩き込まれそうな気がしたからだ。

2人は握手をしたまま動かず、永遠とも思える時が過ぎていく。最初に手を離したのは神だった。
「さぁ、盗聴器を取ってくれますね」
神はそう言って一歩後ろに下がる。ソファをめくりやすくする為だ。新城は黙ってソファをめくった。そして先程付けた盗聴器を取り出そうとする。取り出す為にはしゃがまなければならない。新城は神の迄で膝まづいている形になった。ぱっと見土下座をしている光景であり、降服の印でもあった。僅か数分の命となった盗聴器を取り出す。
「それ、渡してもらえますよね?」
もちろん否定する言葉などあろうはずもない。新城は膝まづいた姿勢のままで神に盗聴器を渡す。事ここに至って格付けは済んだ。神が上で、自分が下だ。そして上から見下ろしていた神がため息を付きながら呟く。

「しかし、負けた振りが上手いですね」

新城は後に語る。今日程驚愕し続けたした日は無いが、一番息を呑んだ瞬間はこの瞬間だったと。気配で動きが分かるというのはまだ理解出来る。自分にもある程度は出来る事だからだ。しかし、気配で自分の【振り】を見破られたのは生まれて初めての経験だった。確かに自分の【振り】を見破った人達はいた。部長がそれであり、過去に1人だけ初見で見破った男もいた。しかしそれは見て看破したという形であり、気配で見破ったのは神が初めてだった

「何故、本気を出さないんですか?」
神がうずくまったままに新城に声を掛ける。それは非難でも無く、説教でも無い。純粋なる疑問だった。新城はありのままの気持ちを答えた。
「苦手なんですよ、本気を出すのがね」
神は新城に向けて一歩踏み出す。足が目の前に来ていた。神は何故何故~?と聞く子供のように、新城へ問いかけた。
「例えばです。今すぐこの足をあなたの顎先に向けて振り上げたら、あなたは本気を出してくれますか?」
「降りかかる火の粉を払う為なら…ね」
神の動きが止まる。新城の動きが止まる。どちらかが動けば、それが始まりの合図だった。新城はため息を吐く。しょうがない、久々に本気を出すか…手に、足に、全身に喝を入れる。点火し、今にも爆発しようとしていた。

「止めましょう」
先に言葉を発したのは神だった。神は一歩下がって新城に背中を向ける。そしてそこにあるのが分かっているかのようにソファへと腰をおろした。そして安らぎながら新城に語りかける。
「私はプロです。プロは活躍の場があってこそのプロだと思います。そしてここはその場所じゃない。スポットライトも満員の観客もいない。こんな場所では役不足。もっとふさわしい場所があるはずですよ。私にも、あなたにも。そこでまた、お会いしましょう」

新城はほっとした顔で呟く。
「見逃してくれるって事か…」
神は意地悪そうな笑顔で返事をした。
「オープン戦ってあるでしょ。そういう事です」
新城は神に背を向けてドアへと一歩踏み出す。先程までならそれは死を意味する行為だったが、今となってはそれがベストの選択だ。ドアノブに手を掛けた新城に神が声を掛ける。
「次会う時は、本戦ですから…」
新城は何も答えなかった。会釈で返事をし、ドアをそっと閉めた。神1人になった部屋に呟きがそっと漏れる。
「もしかしたら…見逃してもらったのは私かもしれませんね…」
そう言った神の手は赤く腫れていた。先程の握手の際にやられた。それは新城の握力が成した業であった。新城の手も同じように赤く腫れていたのだが、それを神が知るのはもう少し後の事になる。

新城は何事もなかったように受付を通り過ぎ、田中医院の外へと脱出する。さぁて、盗聴器は取られた。ターゲットに自分の存在を知られた。文句無しの大失敗だ。部長の激昂する顔が眼に浮かぶ。今から始末書を書く用意でもしておくかな。日差しの強い中、アスファルトを踏みしめる新城の顔はどことなく嬉しそうだった。灼熱の6月のある日、新城の呟きがそっと宙へと吸い込まれた。

「どうしてくれるんだ。本気…出ちゃうじゃねぇか…」

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仕事くれと思ったり、仕事辞めてぇと思ったり、ニート最強と思ったり、そんな有意義な事を考えつつちまちま更新(?)していくブログです。

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