ヤマノススメ 第6話「決めるのは、わたし!?」
ヤマノススメしかし山知識はゼロ、頼みの綱は楓さんです。
夏ということもあるんでしょうが、楓ちゃんお部屋でいつもあの格好なのかな。
なにげにこの作品のさあびす要員になってる^^;
楓さんアドバイスで高尾山にけってーい!
パワースポットに惹かれたあおいちゃんが可愛かった(^^)
無難な選択ですが、舐めてはいけない高尾山。
ひなたの言う通り、準備はしっかりして臨みましょう。
楓さんが紹介してたのは一番ノーマルな1号路ですね。
途中までケーブルカーやリフトで行けるし、登山者も一番多いルート。
おトイレの数も多いので女性も安心して登れると思います。
高尾山へはあおいちゃんたちの住む飯能からだと、鉄道アクセスはちょっと乗り換え多いかな。
山頂でお昼ごはん、あおいちゃん基準で歩行タイムを考えると、朝7時半にはおうちを出たほうがよさそう。
楽しい登山になるといいですね(^^)
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コメント
登山文化
1991年にはイタリアとオーストリアの国境にまたがるエッソ峡谷で約3500年前の“遭難者”が発見、アイスマンと呼ばれてます。古くは信仰の為(その一例としてモーセはシナイ山で神の啓示を受けた言い伝えがあります)でしたが軍事面でも重要になり、測量目的にも……。
ただの“登山”はフランシスコ.ペトラルカと言うイタリアの詩人がフランスのモン.ヴァントウに弟共に登山(1336年4月26日)してその時の模様を友人に手紙を出しているので彼は登山の父とも呼ばれてます。レオナルド.ダ.ヴィンチもヴァルセシア近郊の雪山に登って様々な実験に観測した記録も……。
近代登山は18世紀後半に幕開け、というのもモンブラン登頂に賞金を出すと言う人が出てきたのです。オラス=ベネディクト.ド.ソシュールと言う自然学者のこの宣言、モンブランは未登頂でした、当時は……1786年にMGバカールとJ.バルマにより登頂に成功、オラスさんが宣言したのが1760年ですからその間に何人も死んだ事でしょうね。
19世紀になるとスイスアルプスは英国人登山家のメッカになりアルプス主峰39座のうち31座は英国人が初登頂するほどでこの時期は登山道具の急速な発達、そして登山は無理とされたマッターホルンも1865年に英国人のエドワード.ヴィンパーが達成。欧州の未登頂が無くなるとコーカサス(旧ソ連の一部)に南米アンデス、アラスカの山々にも……でも中にはより厳しいルートに挑んだ人も多かったとか。
日本では宗教目的から山に登ってここに寺院を建立するパターンが多かったけど鎌倉、室町時代以降はそのような記録が減り何らかの理由で記録が取れなくなったと思われます。軍事行軍になるけど1584年の佐々成政によるさらさ越えはなんと冬の積雪期に北アルプスを越えたと言う事……所が複数のルートがありどこを通ったのか不明。
江戸時代は藩林保護の為の検分登山なんてされました。と言うのも江戸の町はよく火事が起きていたので木材が売れるんですよ、大工もモテまくりだったし。
(江戸の豪商は材木をキープしていて火災が起きてもすぐに再建できた)
1860年には英国の外交官ラザフォード.オールコックが富士山を外国人として初めて登頂、ハリーパークス夫人も1867年に、明治元年にはアーネスト.メイソン.サトウが登頂、1974年にはウィリアム.ゴーランド、ロバート.ウィリアム.アトキンソンと共にサトウは欧州スタイルで六甲山を登頂。ゴーランドさんは1881年に槍ヶ岳と前穂高岳に登頂、日本アルプスの名付け親でもあるのです。そりゃあ本場のアルプスを登り尽くしていた所に日本が開国して徐々に明らかになると山岳地帯が多いと分かった途端に……。
日本では明治頃には測量や地理学の目的による登山が多かったのですが槇 有恒(1894年~1989年)さんがアイガー東山稜登攀を初登頂して日本も登山が大衆化し大学や高校ではより難解なルート制覇がブームと……太平洋戦争激化で下火になるけど戦後は復活。1950年代になると8000m級の主峰の初登頂ラッシュで登山ブームが再燃。
・製造物責任法を先取りした事件
1955年にナイロンザイル事件が発生、従来の麻ザイルよりも優れていてメーカーは一トンの力にも耐えられると言うので岩綾会が初めて使用、しかし使っている時に前触れ無く切断してパーティーの一人が死亡……しかも前後には同じような事故が起きており旧制名古屋大学が調べると岩の鋭角の岩角に擦れると亀裂が生じて切断することが判明、所が登山者(消費者)側のミスをナイロンザイルの責任に転嫁したとみなされて遂には裁判沙汰、メーカー側に立っていた篠田軍治さん(大阪大学工学部教授、同時に日本山岳会関西支部長)と争う事になります。
その間もナイロンザイルの切断が相次いで1973年、岩綾会の主張が認められ消費者生活用品安全法によりザイルも対象になり1975年に登山用ロープの安全基準が公布、世界初のザイルの安全基準となりナイロンザイルは二重にしても使用は認められない様になりこれ以降はザイル切断による事故も少なくなりました。
(日本山岳会は1977年の山日誌に岩綾会に非がある記事を書いた事をお詫びする記事を掲載している)
この事件を題材にした小説『氷壁』は井上靖氏は岩綾会がマスコミや関係者らに向けに作成したガリ版刷り冊子(今の同人誌みたいなもんかな)を見て書き始めた作品です。朝日新聞に連載し映画、TVドラマも日本テレビで1967年、1972年、2006年はNHKに制作。
2006年版は舞台がK2、事故原因になる道具もカラビナに変更されてます。これは事故原因が明らかになっている事もあるが時代設定を2005年に逢わせている為。
・登山鉄道
日本ではロープウェイやケーブルカーとパッと思い付きますが大井川鉄道にはアプト式鉄道があり、碓氷峠もこれを使っていた時代もあります。
・ネット検索で
ここら辺は現代っ子……数年前に悪い意味で話題になった所も……。
2013-02-07 14:35 YF-19k(kyousuke) URL 編集
Re: 登山文化
コメントどうもです。
昔の登山は修行の感じが強いですよね。今でも山ごもりはありますし。
職業登山が生まれてからは世界レベルで競い合ってきてますね。
高い山を征服できるようになったのは登山道具の進歩は否めませんね。
それでも大自然が相手ですから常に命がけですが。
大井川鉄道はやっぱ井川線ですね。
よく鐵路を引いたなと。
碓氷峠、信越本線の区間廃止は残念でしたね。
JRになってから旅情を奪う合理化も多いのが鉄として歯がゆいです。
2013-02-07 17:57 のらりんはうす URL 編集
返信どうもです。
職業登山家も結構リスキーですからねぇ……ちなみに『氷壁』のおかげで小説の舞台になった上高地や徳沢を訪れる登山家も……聖地巡礼はここがルーツなのか。
あと法律制定までナイロンザイル切断による事故死は判明しているだけで20人を超えている事から登山家の中にはザイルを使い分けていたかもしれませんね。
碓氷峠は相当な難所で幹線として初めて電化されたのもここ……と言うのは蒸気機関車だと煙で窒息死(実際長いトンネルやトンネルが続く路線には酸素ボンベを背負っていたとか……)するので。とは言え旅情が無くなるのもさびしいもんです。
『RAIL WARS! 日本國有鉄道公安隊』(第三巻)でも碓氷峠を舞台にしたエピソードがあるので……。
2013-02-07 18:49 YF-19k(kyousuke) URL 編集
飯能
2013-02-08 00:09 超イカ臭い竹輪男 URL 編集
Re: タイトルなし
再コメどうもです。
> 小説の舞台になった上高地や徳沢を訪れる登山家も
…メディアの影響というのは非常に大きいですよね。
最近はフィクション作品でも舞台は実際にある場所が増えて来ましたね。
最初に世に出たモノはなんかしらの不具合があるようで。ザイルのように命にかかわるものはそういうことがないようにしてもらいたいのですが、なかなか100%大丈夫とはいかないのが現実ですね。
> 蒸気機関車だと煙で窒息死
…四国の土讃線も有名ですよね。当時は土惨線と言われたことも。
2013-02-08 11:11 のらりんはうす URL 編集
Re: 飯能
コメントどうもです。
小生も飯能駅を初めて訪れたときはびっくりしました。東京近郊では東武野田線柏駅、小田急藤沢駅も同タイプの駅ですね。
2013-02-08 11:15 のらりんはうす URL 編集