お台場で開かれた「特許流通セミナー」をほんの少し覗いてきた。
特許の流通については、皆さんあれこれ難しい事を述べておられるようだが、売り買いされる肝心の「商品」の姿が見えてこない。「商品」が動けば仕組みは後からついてくるので、仕組みの話はどうでもいい。
ここでの「商品」は二種類あるとおもわれる:
一つは特許権利を既に取得している発明であり、もう一つは、権利化はされていないが、新規発明とおもわれる技術である。
商品の姿が見えてこないのは、一つは、特許になっていますといわれても、「大丈夫かね、類似先行技術を侵害していないだろうね?」という点で、買い手を安心させる努力が不足しているようにみえる。米国でも特許になっています、といわれても、仕様書とクレームの記述は大丈夫かな、と心配になってしまう。なにしろあの国には怖いお兄さんたちが大勢いて、鵜の目鷹の目でカモが飛んでくるのを待ち構えているから、持っている特許がなまくらなら、あっという間にえじきになってしまう。そのような場合に備えて「損害保険」でも掛けておいてくれないと安心してこの特許は買えないのではないだろうか。
更に、この発明はこんなにすごいのだ、このようなアプリケーションで社会に役立つことができるのだ、と説得する姿勢が欠けていることも商品の姿をイメージする事を難しくしている。「私、脱いだら凄いんデス」といわれても、私のように想像力が不足していたり、その分野の専門でもない者には、「裸の姿」がなかなか眼に浮かんでこない。
米国の特許仕様書を読み、国内の特許明細書を読んでいると、米国のそれは、他人様を説得すること、すなわちこの発明はこんなに凄いのだ、と理解してもらうことに、尋常ではない努力が払われている。彼らは、他人に親切だから丁寧に説明しているわけではない。彼の地はイチかゼロかのニ値の世界だから、理解してもらえなければ、それはイコール「敗退」を意味する。特許仕様書といえども、それは一つの「プレゼンテーション」であり、大げさにいえば、自分の存在をかけた舞台だから、できるだけ丁寧に、これまでの技術と違うところ、どういうところに利用価値が有るのかを説明しているだけだ。繰り返すが、彼らは人様のために気配りしているわけではない。
一方、国内の特許明細書は「私、脱いだらスゴインデス」タイプだから、その道に長けた芸能プロダクション「イエローキャブ」の社長のような目利きを持たない一般普通人には、中身の価値が想像出来ない。いくら金を持っていても、価値が想像できないものを買うバカはいないので、結局売れ残ってしまうことになる。
各大学の展示ブースも見たが、プレゼンテーションという面ではまったくダメ。
高等学校の文化祭の方がまだレベルが高い。人様に買っていただく姿勢がないのか、あったとしてもどのように優れた技術をプレゼンすればよいのか、まったくわかっていないのだろう。企業における技術部門の上級管理職は、たいていの場合ジェネラリストであり、特定技術部門の専門家ではない。この財布を握っている人を騙せなければ(説得できなければ)売買は成立しない。しかも金額が多ければ、本当の財布を握っている財務経理本部長を口説かねばならない。
誰か、大学と企業の間に立って、売れる商品に仕立てるプロを入れないと、見ていて気の毒だ。
このセミナーの全体的印象としては、知的財産は大事で、その流通も大事ですから、我々も大変に努力しております、という格好をつけるためだけの場のようであった。ホンマニやる気があるのなら、特許流通の現状で何が問題か、どこに障害があるのかなどなど、まず現状分析から取り組んでもらいたいものだ。
売る側に売る気があるのかないのか分からないような商品を誰が買うか。
(06.1.26. 篠原泰正)