【“情報編集力”で人生を豊かに】本嫌いだった僕がなぜ読書家に?教育改革実践家・藤原和博氏(前編)

 7月2日(水)より4日間、東京・有明ビックサイトで開催された第21回東京国際ブックフェア。過去最高の1,530社が出店し、来場者数が62,855名に到達。大盛況のなかで幕を閉じた。

 例年通りにセミナーやトークショーも行われ、元リクルートフェローで杉並区立和田中学校の元校長、教育改革実践家の藤原和博氏は7月4日(金)、読書推進セミナー『本嫌いだった僕がなぜ読書家に?~聴かなきゃ損!あなたの人生を豊かにする「情報編集力」の秘密~』を開催。同氏は東京都で初めて民間人校長となった人物だ。

 講演のなかで藤原氏は、現代は「超便利社会」であると述べ、正解があることが前提の社会になっていると主張。それにより引き起こされる働きかけの欠如やコミュニケーションの危機を救うには、読書や遊びによって培われる「情報編集力」が重要であると述べた。

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▲「情報編集力」について述べる藤原氏

 藤原氏はセミナーが行われる30分前に登壇。受講者が見守る中、準備された3枚のホワイトボードにセミナー内容をマジックで書き記した。5分後、「写真を撮りたい方はどうぞ前に。好きなだけ撮影してください。僕のセミナーは撮影・録音OKです。本日見聞きした内容をどんな使い方をしてもよいですし、ネットで自由に広めていただいて構いません」。そう同氏が声を上げるとホワイトボードの前に一斉に人が押し寄せ、写真を撮り始めた。その様子を眺めながら「すごい時代ですね。この光景をむしろ撮りたくなりませんか」と話す藤原氏。

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▲東京都で初めて民間からの校長となった藤原氏らしい「知の共有」

「みなさん、まずは私の顔を見てください。私はある有名人によく似ていると言われます。私がどうぞと言ったら、まずはその歌手名を口にしてみてください。日本は教育が正解を言わせたがるから、正解主義のひとが多いです。正解主義者は、みんなが言っている正解を聞いてから、そこに乗ろうとしがちですが、それはダメですよ。では、いっせいのー」「さだまさしー!」と会場のあちらこちらから声が上がる。

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▲確かに似てます

「僕は人前で話すたび、これをほぼやるんです。これまで900回ほどはやったかな」。27歳でリクルートの広報室/調査部課長を務めていた際、仕事の現場で本人に初めて出会った。あまりに似ていて双方驚き、思わず義兄弟の契りを交わしたという。以来、さだまさし氏とは一緒に2泊3日の旅に出るほど親交が深い。「ここで初めて僕のことを知ったみなさん。今日から、みなさんは私のことを教育界のさだまさしさんと覚えてくださいね」。

 以下、「どんな使い方をしてもよい」という“教育界のさだまさしさん”の言葉に沿って、セミナー内容を網羅しつつお届けしよう。

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▲藤原氏直筆のホワイトボード

≪1.読書のこと≫

 藤原氏が読書をするようになったのは、意外にも33歳を過ぎてから。それまでは小中高大のみならず、社会人になってからもずっと読書嫌いだったという。そんな藤原氏が読書家に転じたのは、リクルート勤務時代にメディアファクトリー(現KADOKAWA傘下)を立ち上げ、初代取締役事業本部長に就任してからだ。本を読まないことには編集者や作家と話ができないと、年間約100冊を手に取る習慣を身につけ、現在では年間約180冊に及ぶ。そのうちの約30冊は端から端まで読み、書評を頼まれるまでになった。

 そんな藤原氏を長きに渡って読書嫌いにさせていた元凶は一体何だったのか。それは小学校高学年のときに渡された課題図書『にんじん』と『車輪の下』だ。「何だか知らないけど暗い物語で、ぜんぜんおもしろくなかった。僕はこの2冊のせいで本嫌いになりました。だから僕は問いかけたい。名作とは何か?」

1)名作とは何か

 名作は必ずしもおもしろいとは限らないと知ったのは、それからずっと後のこと。47歳で和田中学校の校長を務めていた藤原氏は、日本を代表する児童文学評論家の赤木かん子氏から驚きの言葉を聞く。赤木かん子氏といえば、学校図書の改革者として知る人ぞ知る人物。藤原氏曰く「それまで和田中学校の図書館へ通う生徒は1日10人程度で、そのうちの9人が図書委員という状態だった」という。赤木氏は、その死蔵状態だった図書館をコンビニ風に大改造し、利用者数を10倍まで伸ばした立役者でもある。

 その赤木氏と飲みに行った際、藤原氏が小学校時代に読書嫌いになったきっかけを打ち明けると、赤木氏は大笑いし、「だって、つまらないもの」と即答したそうだ。そこで、ようやく自分が読書嫌いになった本当の理由を藤原氏は把握することができたという。

 つまるところ、自分が読みたくもない本を無理やり強制されたのがいけなかったのだ。幼少時代、藤原氏の両親は本の読み聞かせに熱心で、小学校低学年までは本にまったく抵抗がなかった。そんな藤原氏ですら名作を大人から強制されたことで、一瞬にして本嫌いになってしまったのだ。子どもの本嫌いは、大人の「名作を読め」というささいな強制から始まる。そういった自らの経験を踏まえて、「子どもを読書家にしたいのであれば、子どもに強制することをやめ、まずは親自身が読書家になること。子どもに本を読めという親ほど、本に触れていないケースが多い」と藤原氏は指摘する。

 子どもは自分自身が本を読まない親から「読書しなさい」と言われると、余計に「自分だけ強要されている」と感じて嫌になってしまう。一方、親や祖父母が本を読んでいる姿を横目で見ながら育った子どもは、抵抗なく本を手にするようになるそうだ。

2)学校の図書館=約1億冊を死蔵させずにまわす

「中学校の図書室は今でも半分以上はお化け屋敷。ジメジメした感じの場所に、なんとなく図書委員が通っているイメージ。それを改造しなければいけない」と藤原氏。

 改造は、まずは読まれていない古い本を捨てることから始まるという。小中学校にある本の半数以上は寄贈本で、読まれていないうえに百科事典などは一番新しいもので35年前のものだったりする。そこに書かれてある地名は、もう今の時代では使えない。そんな小中学校が所有している約9,000冊ほどの本のうち、死蔵されている約5,000冊を捨てると、図書室の中身はグンとよくなるという。全国にある小中学校約3万校のうち、この状態にあると推測される約2万校で約5,000冊ずつ本を捨てたら、約1億冊の本が捨てられることになる。処分する前に大手古本チェーンや流通業者に取りに来てもらえば、学校では判断できない本の活かし方を導き出してくれ、古い美術本や歴史本にいたっては、本当にその本を必要として価値が分かる人の手に渡る機会も増えるのだ。

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▲「名作を子どもに強制しない!」と述べる藤原氏

≪2 .コミュニケーションの危機≫

1)超便利社会

 現代は超便利社会であるがゆえに、子どもたちを取り巻く環境は深刻だ。中でも自分は愛情をかけられていないと感じている子どもたちが少なくない。それを藤原氏は「子どものおつかいひとつにしても、今はコンビニへ行って、ジャンプとコーラを買うのに一言もしゃべらずに済む時代。昔はそうはいかず、ものを買うにも子どもながらに大人と交渉しければならなかった」と分析する。ありとあらゆるものにチップが埋め込まれ、自動販売機すら丁寧に話してくれる現代は「自分自身のインテリジェンスの前に、環境のインテリジェンスに埋まってしまっている時代である」という。

 人が人に働きかけることは、言い方を変えれば愛情をかけるということ。ところが、今はチップが埋められているありとあらゆる機械が、人間のやるべきことを察知して先に指示を出してくれるため、自分で働きかけることが極端に少なくなった。働きかけなくても生きていける社会は、別の見方をすれば愛情の危機とも言える。

 テクノロジーに頼り、より便利さを追求する社会のありようは変わらない。ならばどうすればいいか?「ある時点では便利じゃないほう、不便なほうに追いやらないと子供が育ちにくくなっている時代だ。それを意識するだけで変わるんです」と藤原氏は語った。

2)テレビとケータイ(1,000時間vs100時間)

 テレビやケータイを見ているときの子どもの前頭葉は動いておらず、ゲームをやっているときと一緒。CPUが働いておらず、反射している状態だ。そのテレビやケータイ、ゲームに現代の高校生が費やす時間は、1日約8時間程度。計算上、起きているうちの半分の時間を費やしていることになる。このテレビやケータイの使用を小中学生の場合はさらに気を付けなければならないと藤原氏は主張する。

 というのも、小学校の低学年以降、学校で国語を教える時間は年間わずか100時間程度。子どもたちがテレビやケータイいじりに1日約3時間費やしているとすると、年間で約1,000時間に及ぶ。テレビやケータイを見る時間が約1,000時間で、正しい日本語を学ぶ時間が約100時間ならば、勝敗はこの時点ではっきりする。圧倒的に、「テレビ語」や「ケータイ語」を話す子どもが育っている状況なのだ。だからこそ、正しい日本語を学ぶためにも、読書がこれから必要となってくる。

3)正解主義

 機械の中に埋め込まれたチップがこちらのやりたいことを先回りしてくれたり、ケータイで検索すれば即座に何でも答えを出してくれる環境に慣れきってしまうと人間はどうなるのか?正解があるという前提で世の中を生きていると、正解以外のときはやらなかったり、正解が思い浮かばなければ「言わない、やらない、言ってもムダ」という言動になりがち。今の子どもたちはその傾向が極めて強いという。超便利社会はこれからも進むため、これを改めていかないとコミュニケーションの危機を救うことはできないと藤原氏。

 子どものみならず大人もまた正解主義にかなり侵されている状態にある。自分たちが答えを出す前に、常に正解が先にあり、それを差し出してもらえる前提で生きている。「そんな頭を解除して、正解主義から修正主義に、頭を左から右に、グッと振るということが大切だ」と述べた。

>>後編

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取材・文・撮影=山葵夕子

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