砂漠の徒然草のブログ

ネバダで単身赴任、心の泉を求めて彷徨うワタシ。

そこに愛はあるのか!

煤払い。

週末にロサンゼルスの家では、新年を迎える前に「奥さんと次男で「天井や壁の煤払い(すす払い)をやったわよ!」と電話があった。



高い所の壁の掃除は20年ぶりかもしれない。


何処からか手に入れた長い竹の棒の先にダスターを縛り付けて、2人でアギャ〜アギャ〜と騒ぎながらの大掃除だ。



ホコリを被らないように上から下まで完全防備。

見ようによっては怪しい宗教団体のようである。




我が家の天井はかなり高い作りなので、なかなか大変な作業です。



奥さんが「あ〜アソコも、ココも、ソッチも!」と指示を飛ばすので、最後の方は次男もかなりキレ気味。


煤払いが終わり「こりゃキレイになったね〜!」と奥さんが小躍りしながら喜ぶと、次男が「お母さんハシャギ過ぎ!」とピシャリ!


しかし、家がスッキリすると心もスッキリして気持ち良いそうです。


本来、正月は家に歳神様をお迎えする行事なので、門松や鏡餅を飾ったりして心の準備をします。


大掃除で煤払いをするのもケガレを清浄する為でしょうね。

日本のお盆とお正月は古代からのアニミズム的なカルチャーが伝統文化となっていますが、残念ながら形ばかりで神霊的な部分は忘れさられてしまっているのが現状です。


アメリカも感謝祭の背後にあるピルグリム ファーザーズの信仰心やクリスマスが神様が救い主を送られた事を祝うと言う精神的な部分を失って、だだパーティに明け暮れる状況ですね。



一つ一つの伝統の背後にある精神的、霊的意味を感じ取る事は大切だと思います。


「おめでとう」の新年のご挨拶も「芽出度い」で、「新しい春を迎え芽が出る」と言うと意味です。

これは年が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉だそうです。

すなわち神様への感謝の言葉を交わし、心から霊的に歳神様を迎えた事を喜び合うそうです。


さて、新年に神様をお迎え出来るように、心身共にもう少し色んなゴミやホコリを払おうと思います。


清らかに迎えてこその初日の出ですね。

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